【50%くらいが、ちょうどいい。】
——完璧を追い求めないという、ひとつの生き方
世の中、よくある話だ。
「浮気は証拠を固めてから動け」
「仕事は100%の完成度で上司に出せ」
……もっともらしい。
誰もが、一度はそんなふうに考えたことがあるはずだ。
でも——現実はどうだろう?
浮気の証拠をいくら積み上げても、慰謝料は満額もらえないことが多い。
養育費だって、思うように支払われないケースが山ほどある。
なにより、信じていた相手に裏切られた心のダメージこそが、一番重い。
涙、涙。
夜も眠れない、仕事も手につかない・・・そんな日々になる。
——そんなの、正直やってられない。
仕事も同じ。
100%のつもりで作った企画書や提案が、上司のひと言であっさり覆る。
「せっかく会社のためを思って作ったのに!」
のにのにのにー!のには使わないほうがいいね。
——その悔しさ、わかる人も多いはずだ。
だからこそ、いつも私はこう考えている。
「50%くらいで、ちょうどいい」と。
もちろん、手を抜くわけじゃない。
“まじめな適度”ってやつだ。
余白を残しておけば、あとで修正もできる。
新しいアイデアも入り込む。
無理して100%を狙って、身動き取れなくなるより、よっぽど賢い。
浮気問題もそう。
100%の証拠を掴む前に、「距離を置く」「一度離れてみる」。
それくらいのスタンスでも、十分に次の道は見えてくる。
いざ離婚になったら・・・お金や子どものこと?
——未来はいつだって不確定だ。
だからこそ、”ほどほど”がいい。
「そんときはそんときだ!」
「なるようにしかならない!」
「どーにでもなるさ!」
仕事も同様だ。
途中経過を共有し、柔軟に進めることで、結果的に良い方向へ行くことも多い。
100%主義は、時に人を追い込む。
損じゃない?苦しいでしょ。
なんでこんなに苦しいの?
負のベクトルは負でしかない・・・
いつでも50%くらいの余白があれば、人生はもっとしなやかで、楽になる。
気楽にいこうよ。
地球は46億歳。
俺たちは地球からしたら
たった2秒の人生よん。
私は、そう思う。
