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刑法175条と現代のインターネット社会――『わいせつ物』を改めて考える

ある方が、日本の現行法における「わいせつ物」の解釈について、時代に合わせて見直すべきではないかと問題提起されているのを見かけた。

きっかけになったのはこちらの記事。

あしやまひろこのサイトとブログ
「無修正をなぜ頒布してはならないのかを法務大臣に直訴して聞き出した&訴訟進行しています(随時更新)」

これを読んでいて、ふと思った。そもそも、この国でいう「わいせつ物」ってなんなのだろう?

モザイクを掛けなければならないとか、R18だとか、成人向けだからどうだとか、そういった実務的な話はなんとなく理解はしている。

でも、そこに至るまでの法律や判例まで遡って考えたことはなかった。なので改めて勉強してみることにした。


そもそも刑法175条は明治時代からある

現在も存在する刑法175条の原型は、1907年(明治40年)に制定された刑法に含まれている。

ざっくり言えば、「わいせつ物を頒布したり、公然と陳列したりしてはいけない」という内容だ。

ただ、ここでいきなり疑問が出てくる。「わいせつ」って、具体的には何を指すのだろう?実は刑法175条そのものには、それが細かく定義されているわけではない。

そこで後の裁判所が、判例を積み重ねることで「わいせつとは何か」を形作っていくことになる。

戦後、「表現の自由」とぶつかる

戦後、日本国憲法が施行され、憲法21条によって表現の自由が保障されるようになった。

すると当然、「表現の自由があるのに、小説や絵を『わいせつだから禁止』としてよいのか?」という問題が出てくる。

その代表的な事件が「チャタレー事件」だった。

1957年3月13日――チャタレー事件

D・H・ロレンスの小説『チャタレー夫人の恋人』の翻訳出版をめぐる裁判で、最高裁大法廷は1957年3月13日、「わいせつ」を判断する基本的な考え方を示した。

一般に「わいせつの三要件」と呼ばれているもので、

  • いたずらに性欲を興奮または刺激する

  • 普通人の正常な性的羞恥心を害する

  • 善良な性的道義観念に反する

というものだ。

ここで大事なのは、「裸が描かれているからわいせつ」とか、「性行為が出てくるからわいせつ」と機械的に判断するものではないということだ。

性に関する表現が存在することと、「わいせつ物」であることは同じではない。この基準を土台として、その後さらに細かな判断方法が積み上げられていく。

1969年10月15日――「悪徳の栄え」事件

次に重要なのが、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』をめぐる事件だ。

最高裁大法廷は1969年10月15日、文書の一部分だけを切り取って評価するのではなく、文書全体との関連でわいせつ性を判断しなければならないとした。

つまり、「このページだけ見ると露骨だからアウト」ではなく、「その表現が作品全体の中で何を意味しているのか」を見る。

文学性、思想性、芸術性があることによって、性的描写の意味や性的刺激の程度が変わることも考慮する。

ただし逆に言えば、「芸術作品だから何を描いても自動的にセーフ」ということでもない。芸術性や思想性も含めて、作品全体で判断するということだ。

1980年11月28日――「四畳半襖の下張」事件

さらに現在の判断方法にかなり近い形まで整理されたのが、「四畳半襖の下張」事件だった。

最高裁第二小法廷は1980年11月28日、わいせつ性を判断するときには、

  • 性に関する描写がどれだけ露骨で詳細か

  • その描写が作品全体に占める比重

  • 描写と作品の思想などとの関連性

  • 作品全体の構成や展開

  • 芸術性や思想性によって性的刺激がどの程度緩和されているか

  • 全体として読者の好色的興味に訴えるものなのか

などを総合的に検討する必要があるとした。そして、これらを「その時代の健全な社会通念」に照らして判断するとした。

これはかなり重要だと思う。
つまり「わいせつ」という概念は、数学の公式のように永遠に固定されたものではない。社会や時代の価値観が変化すれば、判断も変化する余地があることになる。

2008年2月19日――メイプルソープ写真集事件

時代が進み、今度は写真表現が問題となる。

米国の写真家ロバート・メイプルソープの写真集を日本へ持ち込もうとしたところ、税関から輸入禁制品に該当すると判断されたことから争われた事件だ。

最高裁第三小法廷は2008年2月19日、写真集に含まれる個々の写真だけではなく、写真集全体の構成や芸術的観点なども考慮して評価する必要があるとして、税関の処分を取り消した。

ここでもやはり、「特定の身体部分が写っているから即わいせつ」という単純な判断にはなっていない。

作品全体として何を表現しているのかを見るという、これまでの判例の流れが写真にも適用された形だ。

2020年7月16日――ろくでなし子事件

そしてインターネット時代。

美術家のろくでなし子氏が、自身の身体を3Dスキャンしたデータなどを支援者に送信したことが刑法175条に問われた。

最高裁第一小法廷は2020年7月16日、わいせつな電磁的記録についても従来の判断枠組みを用いることを認めた。

つまり、明治時代に「本や図画」を中心として作られた刑法175条は、

書籍→写真→映像→デジタルデータ

と、技術の変化に合わせて適用範囲を広げながら現在まで使われていることになる。

ここまでの争点は「その作品自体がわいせつか」

こうして振り返ってみると、これまでの代表的な判例で主に争われてきたのは、「その作品自体が社会通念上わいせつと評価されるのか」という点だったことが分かる。

何を描いたか。
どれだけ露骨なのか。
作品全体の中でどの程度の比重を占めているのか。
芸術性や思想性があるのか。

そうした「コンテンツそのもの」を中心に判断してきた。
ところが、現在のインターネット社会を考えると、ここで少し疑問が出てくる。

インターネットでは「誰に見せるか」を選べる

現代は、誰でも同じ場所で同じものを見る時代ではない。年齢確認をした人にだけ公開することもできる。特定の利用者だけに配信することもできる。
自分の意思で「成人向けコンテンツを見る」と選択した利用者だけに表示することもできる。

そうなると、「その作品が何を表現しているか」だけではなく、
「誰に、どういう環境で見せるのか」という軸も考えた方がいいのではないか。冒頭で紹介した問題提起も、まさにここにある。

成人同士である。
相手が内容を理解したうえで閲覧を希望している。
限定された範囲だけで頒布する。
未成年者や見たくない第三者には届かないよう厳格にゾーニングする。

そこまでしている場合でも、刑法175条を一律に適用する必要が本当にあるのか。見たくない人の権利と衝突しないのであれば、表現の自由や成人本人の自己決定をより尊重してもよいのではないか。
この問題提起自体には、私は一定の合理性があると思う。

海外では「誰に見せるか」を重視する制度もある

もちろん海外でもポルノグラフィーなどの性表現に対する規制はある。
「外国ではなんでも自由」という話ではまったくない。
ただし、制度設計の考え方が日本とは少し違う国がある。

たとえばドイツ刑法では、一般的なポルノグラフィーについて、18歳未満の者へ提供したり、未成年者がアクセス・閲覧できる場所に置いたりすることなどを具体的に規制している。

イギリスにも18歳以上向けの「18」に加えて、より明示的な成人向け作品のための「R18」という区分があり、成人だけが利用できる認可された映画館や店舗などに流通経路を限定する制度が存在する。

つまり、「何を描いているのか」という内容規制だけではなく、
「誰がアクセスできるのか」「どこで販売・上映するのか」
というアクセスや流通の規制が大きな役割を持っている。

日本にもR18があるじゃないか

では、「日本にもR18があるから同じでは?」と思うかもしれない。
でも、ここが少しややこしい。

日本にも当然、年齢によるゾーニングは存在する。
映画には映倫のR18+があり、出版社や各種プラットフォームにも成人向け区分がある。
さらに地方自治体の青少年保護育成条例など、未成年者への販売や閲覧を制限する法制度も存在する。

ただし、刑法175条そのものには、
「18歳未満には見せてはいけない」
「成人同士なら見せてもよい」
という区別は書かれていない。
ここが海外の一部制度との大きな違いになる。

日本では「法律+自主規制」の二段構えになっている

刑法175条は、「わいせつ物を頒布し、又は公然と陳列してはいけない」
という比較的抽象的な規定になっている。

では、制作現場ではどうするのか。
「裁判になるまで合法か違法か分かりません」では商売にならない。

そこで映画・映像・出版・同人・投稿サイトなど、それぞれの業界やサービスが、「少なくともこの程度まで処理すれば刑法175条に抵触するリスクを下げられるだろう」という自主規制を発達させてきた。

モザイク。
ぼかし。
黒線。
白抜き。

そうした隠蔽処理がその典型だ。
重要なのは、「刑法175条にモザイクを○ピクセル掛けること」などと書かれているわけではないということだ。

日本では、「刑法175条と判例による法的な判断」に加えて、
「その違法性を回避するために業界やプラットフォーム側が作った自主規制」という二段階のフィルターが事実上存在している。

だからR18として成人だけにゾーニングしたとしても、「成人しか見ないのだから無修正でよい」とはならない。

実際、pixivも年齢制限と隠蔽処理を別々に扱っており、R-18設定だけでは足りず、必要な部分には別途隠蔽処理を求めている。

ここは、日本独特の分かりにくさの一つだと思う。

では成人同士で合意していればよいのか

ここで、冒頭の記事の主張へ戻る。

成人同士であり、限定頒布であり、厳格なゾーニングが行われ、見たくない第三者には届かない。そこまで条件を整えれば問題ないのではないか。
これは直感的には理解しやすい。

しかし、現在の刑法175条をそのまま読むと、大きな壁がある。

第一に、「公然陳列」には文字どおり「公然」という条件が付いている。
しかし「頒布」については、「公然に頒布した場合」とは書かれていない。

第二に、刑法175条は、「誰に頒布したか」より前に、「わいせつ物を頒布したか」を問題にする構造になっている。条文には、「成人だけに頒布した場合を除く」とも、「当事者間で合意している場合を除く」とも書かれていない。

つまり、
成人か未成年か。
閲覧者が希望したか。
十分な年齢確認をしたか。
閉じた環境だけで提供したか。

こういった要素を、そのまま刑法175条の例外として読み込むのは現在の法解釈ではかなり難しい。

ここに、「成人の合意とゾーニングを重視する考え方」と、「わいせつ物そのものの頒布を規制する日本の刑法175条」との大きなズレが存在する。

変えるなら、実はかなり大きな話になる

もし日本も、「成人同士で合意し、厳格なゾーニングが確保されている場合には、成人向けの性表現をより広く認める」
という制度へ本格的に移行するのであれば、単純に「刑法175条はそう解釈できます」と言うだけでは難しいように思える。

最高裁が従来の判例を大きく変更し、刑法175条の適用範囲を限定する。あるいは国会が刑法175条そのものを改正し、
「一定の成人限定頒布を適用対象から除外する」
といった制度を新しく作る。

そのくらい大きな変更が必要になるのではないだろうか。
これは単なる「無修正を認めるかどうか」という話ではない。

日本の性表現規制を、「何を見せるか」中心から、
「誰に、どう見せるか」というアクセス規制も重視する制度へ変えるのか。
そういう制度設計そのものの話になる。

そしてインターネットは、すでに国境を越えている

ここまで調べていて、個人的に一番気になったのがこれだった。

刑法175条は今も現役だ。ただ、その中心的な判断基準の多くは、1950年代から1980年代に形成されたものでもある。

一方で現代のインターネットは、

海外サイト
SNS
クラウド
ストリーミング
個人間通信
VPN

と、国境をほとんど意識せず情報へアクセスできる環境になった。
日本国内の出版・映像業者が厳格に修正処理をしていても、利用者側は海外のサーバーへアクセスすれば同じ種類の表現を簡単に見ることができる。

そうなると、「国内の表現だけを強く加工することで、刑法175条が本来守ろうとしているものは現在どこまで守られているのか」という疑問も生まれてくる。

もちろん、「インターネットで見られるのだから法律をなくせ」
という単純な話ではない。

未成年者をどう保護するのか。
見たくない人にどう見せないようにするのか。
成人の自己決定をどこまで認めるのか。
非同意や搾取を伴うコンテンツと、成人間の合意による表現をどう区別するのか。

そういった問題を、現在の技術環境に合わせて考え直す必要があるのではないかと思う。

この問題提起そのものには意味がある

冒頭で紹介した方の主張が、そのまま現在の日本法で認められるのか。

そこについては、私はかなり難しいと思っている。

現行の刑法175条や、これまで積み重ねられてきた最高裁判例との間には大きな隔たりがあるからだ。

ただし、「だからこの問題提起は屁理屈だ」と片付けるのも違うと思う。
これまで社会の中でどこか腫れ物に触るように扱われ、「まあ、そういうものだから」と曖昧なまま受け入れられてきた「わいせつ物」という概念について、実際に行政や司法へ判断を求める。

そうすることで、「なぜ現在の日本法ではこうなるのか」という法解釈が、裁判記録として可視化されていく。それ自体には意味がある。

さらに、「インターネットが世界規模で普及した現代の情報流通と、日本で長年維持されてきた『わいせつ物』の考え方との間には、かなりズレが生じているのではないか」という問いを社会に投げかけることにもなる。

刑法175条が間違っている、と簡単に言うつもりはない。規制をなくせばすべて解決する、とも思わない。

ただ、1907年に制定された法律と、その後の判例によって形作られてきた「わいせつ物」という考え方を、現在のインターネット社会に照らして改めて考える余地はあるはずだ。

この問題提起が、これまで曖昧なまま受け入れられてきた日本の「わいせつ物」という法概念を、現代の情報流通や表現環境に照らして見直すきっかけの一つになるのであれば、それだけでも十分に意味のあることではないかと思う。


参考資料

日本の法令

刑法(明治40年法律第45号)
e-Gov法令検索「刑法」

刑法第175条
刑法第175条 - Wikibooks

日本国憲法・第21条
e-Gov法令検索「日本国憲法」

主な判例

チャタレー事件
最高裁大法廷 1957年3月13日判決
判決全文・京都産業大学判例集

「悪徳の栄え」事件
最高裁大法廷 1969年10月15日判決
判例解説・判決情報

「四畳半襖の下張」事件
最高裁第二小法廷 1980年11月28日判決
判決全文・京都産業大学判例集

メイプルソープ写真集事件
最高裁第三小法廷 2008年2月19日判決
判決全文・京都産業大学判例集

ろくでなし子事件
最高裁第一小法廷 2020年7月16日判決
有斐閣Online 判例解説

日本の自主規制・プラットフォーム

映画倫理機構(映倫)
映画の区分と審査について

pixiv「年齢制限とはなんですか」
pixivヘルプセンター

pixivFANBOX「R-18コンテンツ等の隠蔽処理について」
pixivFANBOXヘルプセンター

海外制度の参考

ドイツ刑法184条「ポルノグラフィーコンテンツの流通」
ドイツ連邦司法省 法令データベース

英国BBFC「R18」
British Board of Film Classification

今回の問題提起

あしやまひろこのサイトとブログ
「無修正をなぜ頒布してはならないのかを法務大臣に直訴して聞き出した&訴訟進行しています(随時更新)」

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