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【読書】W.G. ゼーバルト『カンポ・サント』

(この読書メモは、2020年9月に書いたものです)

ドイツ出身の小説家W.G.ゼーバルトの遺稿を含む、散文、エッセイ集です。ゼーバルト作品は、日本では白水社からゼーバルト・コレクションとして7巻が刊行されています。自分にとってはこれが5冊目。

ゼーバルトの散文は、モノクロの写真や挿し絵が作品の一部となった独特なスタイルがまず目を惹きます。生前はイギリスのイースト・アングリア大学という名門校でヨーロッパ文学の教授を務めていたそうで、だからというわけじゃないけど読みやすくはないです。作品には、さまざまなヨーロッパ文学の引用や作家にまつわるエピソードが絡められていたりするようなのですが、自分には素養がないため、その辺りのおもしろさには気づけません。

こんなふうだから、自分は正直なところ作品をちゃんと読めているのか自信がないのですが、それでも好きで読み続けているのは、小説とも独白ともつかない長く陰鬱で、ともすると単調にすら思える文章に翻弄された読後の感じが、なんだか夜通し夢を見たあとの疲れや記憶の混乱、そして不可解な懐かしさ……といった感覚に似ていて、そこに不思議な魅力を感じているからです。

本書『カンポ・サント』は、前半に散文、後半に文芸評論やエッセイが収められていますが、評論は散文に比べてさらにハードルが高かった。自分にできるのは、せいぜい印象に残った文章や表現を拾い集めるくらいです。

──「詩は」とヘルベックは書いている、「スローモーションで歴史をかたち造る口頭の形式である。(中略)詩はまた現実への嫌悪であり、現実より重い(後略)」(「小兎の子、ちい兎──詩人エルンスト・ヘルベックのトーテム動物」より)

── ヴューラの別邸の浴室の床の模様、(中略)額をついて寄りかかるドア框(がまち)のふくらみ──わずか数語の的確な言葉とともに、(中略)幼年時代の全宇宙が不意を打って私たちの眼前に姿を現す。(「夢のテクスチュア──ナボコフについての短い覚書」より)

エルンスト・ヘルベック、ウラジミール・ナボコフといった、恥ずかしながら全く馴染みのない詩人や作家に混じって、しかし突然、ブルース・チャトウィンの名前が現れたときは、不意打ちだっただけに本当に驚きました。

ゼーバルトはブルース・チャトウィンについてこんなふうに書いています。

── チャトウィンの視線の普遍性は、その描写が永遠に回帰する私たちの想像力のトポスに訴えるところにある。たとえば地の涯の世界の描写──パタゴニアに百年以上前に移民してきたウェールズ人の村では、いまなおカルヴァン派の賛美歌がうたわれ、その地の凍てついた灰色の空の下、痩せた草原をしじゅう吹き抜ける風は、樹木をこまらせ、みんな東むきに曲げてしまう、といったぐあいに。(「赤茶色の毛皮のなぞ──ブルース・チャトウィンへの接近」より)

トポスというのは、むかし町田にあったディスカウントストアのことではなく、概念としての場所=「場」みたいな意味のようです。難解な表現だけど、ともかく肯定的な評価だと自分は理解しました。

勝手な思い込みかもしれませんが、別のエッセイでは、少年期に出会った一片の毛皮と“旅”に執着し続けたブルース・チャトウィンとの共通性を思わせるような文章にも出会いました。

── 都市カルテットは読む人としての私の経歴の出発点であったばかりではなく、小学校に行きだしてすぐに始まった私の地理狂いの出発点でもあった。のちの人生で次第に強迫度を増していく地誌への熱狂であって、私はあらゆる種類の地図帳や折りたたみ地図の上に屈みこんで、果てしもない時間を過ごした。(「復元のこころみ」より)

つぶやくように語る独白作家「W.G.ゼーバルト」と自由気ままな放蕩作家「ブルース・チャトウィン」

この二人は、自分の中では対極に位置する存在でした。なぜ自分がこの対照的な二人の作家をどっちも好きでいるのか、われながら不可解だったし、自分の嗜好の一貫性も疑わしいなと、自身の感性を否定的に考えたりもしました。

でも、あながち間違ってはいなかったのかもしれない。この二人の急逝(※)した作家には、共鳴するなにかがあるのかもしれない。

自分の中でバラバラだった断片の符合。人生は小さな偶然の発見をつなぎ合わせてできている。チャトウィンとゼーバルトが生きた世界に、自分もまた生きており、時間と空間を隔ててなお、彼らが感じたなにかを受け取ることができる。そんなうれしさを改めて感じました。

ゼーバルトの没年のスピーチだという「復元のこころみ」。ここでは、もう聴くことのできないゼーバルトの生の声に触れ、自分のような素養のない人間でも、その作品の原点になにがあったのかを垣間見ることができた気がします。

そこにはこんな言葉が記されています。

── 以来、問いつづけている。いかなる眼に見えない関係が私たちの人生を定めているのか、いかなる糸が走っているのか(中略)
文学が何の役に立つのか。
役に立つとすればおそらくはただ、想い起こすことに、そして奇妙な、因果律によっては究明できない関連があることが理解できるようになることに。
(中略)
書くことにはさまざまな形がある。しかし事実の記録や学問を越えでて、復元のこころみがおこなわれるのは文学においてのみだろう。

(※ ブルース・チャトウィンは、1989年, 48歳のときにエイズで、W.G.ゼーバルトは、2001年, 57歳のときに交通事故で亡くなりました)

(2020/9/19 記、2025/3/8 改稿)


W.G.ゼーバルト『カンポ・サント』白水社(2011/3/30)
ISBN-10 4560027331
ISBN-13 978-4560027332


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