金魚鉢の蛍と熱帯夜|掌編小説(#シロクマ文芸部)
――熱帯夜。
何度寝返りを打っても、じっとりとした重たい空気が肌にまとわりついて離れない。エアコンの壊れた祖母の古い平屋では、首振り扇風機がミシミシと音を立てながら、ただ生ぬるい風を運んでいるだけだった。
――だめだ、全然眠れない……。
私は汗ばんだ首筋を拭いながら起き上がった。すり減った畳の感触を足の裏に感じながら、夜風を求めて縁側へと向かう。開け放たれたガラス戸の向こうからは、遠くのカエルの大合唱と、どこかの家で焚かれている蚊取り線香の匂いが漂ってくる。十五年ぶりに訪れた田舎の夜は、子供の頃の記憶と何一つ変わっていない。
縁側に腰を下ろし、冷蔵庫から出してきた冷たい麦茶を喉に流し込んだ、その時――。
「起きてるの?」
唐突に、鈴を転がしたような涼やかな声が響いた。驚いて顔を上げると、庭の隅にある古井戸のそばに、見慣れない男の子が立っていた。藍色の甚平を着て、手にはガラスの金魚鉢を抱えている。年齢は十歳くらいだろうか。月明かりに照らされた肌は透き通るように白く、不思議なほど真っ直ぐな瞳をしていた。
なぜか、恐怖心は少しも湧かなかった。むしろ、ずっと昔に置き忘れてきたものを見つけたような、胸の奥がキュッと締め付けられるような懐かしさに襲われた。
「暑くて、目が覚めちゃったの」
自分でも驚くほど自然に、私はその男の子に向かって話しかけていた。
「そっか。じゃあ、これ見る? 涼しくなるよ?」
男の子は縁側まで音もなく近づくと、抱えていた金魚鉢を私の隣にそっと置いた。中には水も金魚も入っていなかったが、代わりに無数の淡い黄緑色の光が明滅していた。
「これって……蛍?」
「僕の秘密の宝物。特別だよ?」
男の子がふふっと笑う。暗闇の中でぽわん、ぽわんと息をするように灯るその光を眺めていると、不思議と体の芯から熱が引いていくような感覚に陥った。清流の冷たい水の中に足先を浸しているような、心地よい涼しさだ。
「すごく綺麗……」
私がそう呟いた瞬間、ふわりと冷たい風が庭を吹き抜けた。軒先に吊るされた風鈴がチリンと高く鳴り、思わず目を閉じる。
再び目を開けた時、そこに男の子の姿はなかった。金魚鉢も、淡い蛍の光も、最初から存在しなかったかのように消え去っていた。ただ、網戸の向こうから入り込む風が先ほどよりもずっと涼しく、微かに線香花火の火薬の匂いを運んできた。
遠い昔、私もあんな風に甚平を着た男の子と一緒に、この庭で花火をした気がする。あれは、誰だったのだろう。顔も名前も思い出せない。もしかすると、幼い頃に思い描いた空想の友達だったのかもしれない。
もう一度目を閉じると、今度はすんなりと眠りの淵へ落ちていけそうだった。
私は縁側に身を預け、懐かしい夏のかけらをそっと抱きしめるように、静かに息を吐いた。
(了)
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