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放課後の教室で、僕は世界を拭いている

放課後の教室は、ときどき「未完成の手紙」みたいだと思う。
 
差出人も宛先も書かれていないのに、机や椅子が、それぞれ言いかけた言葉を抱えたまま、じっと黙っている。僕はその中で、返事の代わりに雑巾をしぼる。ぎゅっと力を込めると、水滴がぽたりと落ちて、なんだか句読点を打っている気分になる。
 
床に残った砂は、昼間の冒険の名残だ。きっと誰かの靴の裏にくっついてきた遠いグラウンドの一部で、いわば<世界のかけら>である。そう思うと、掃除という行為は少しだけ壮大になる。僕は今、世界を拭いているのだ。……言い過ぎかもしれないけれど、放課後くらいはこれくらいの妄想を許してほしい。
 
机を拭いていると、昼間の小さな戦いが浮かんでくる。
「もう無理。」と言いかけて、飲み込んだ子の顔。
同じところで何度もつまずいて、でも鉛筆だけは離さなかった手。
 
ああいう時間は、見た目にはまったくドラマチックではない。むしろ、地味で、眠気を誘うほど単調だ。もし教育にBGMをつけるとしたら、壮大なオーケストラではなく、たぶんずっと同じリズムのメトロノームだろう。カチ、カチ、カチ、と。
 
けれど不思議なことに、その単調さの中で、人は少しずつ形を変えていく。まるで石鹸が水に溶けて、気づいたら指先がすべすべしているみたいに。変化は劇的ではないのに、確実に起きている。
 
ある日、何でもない顔で「できたっ。」と言う子がいる。
その声は小さい。拍手も起きない。
でも、その子の中では、たしかに地殻変動が起きている。僕はそれを知っているから、内心ではこっそりガッツポーズをしている。教師というのは、案外、心の中で忙しい職業だ。
 
大人になると、この「メトロノームの時間」はさらに増える。書類、確認、修正、また確認。ときどき、「これは何の修行なのだろう?」と思うけれど、残念ながら悟りは開けない。ただ、少しずつ「踏みとどまる筋肉」だけは鍛えられていく。
 
面白いのは、その筋肉が、ある瞬間に役立つことだ。ずっと考えても分からなかったことが、ある日ふっとつながる。まるで迷路の上から地図を渡されたみたいに、急に道が見える。あの瞬間のために、人はカチカチと同じリズムを刻み続けているのかもしれない。
 
僕は最後の机を拭き終えて、窓の外を見る。夕焼けはだいぶ薄くなっていて、夜が静かに侵入してきている。教室は相変わらず無口だ。でも、よく見ると、どの机もほんの少しだけ前を向いている気がする。気のせいかもしれないけれど、そう思うことにしている。
 
きっと明日も、同じような繰り返しが待っている。
同じようでいて、ほんの少しだけ違う1日が。
 
そしてその違いは、たぶん誰にも気づかれない。
けれど、誰にも気づかれないからこそ、ちゃんと積もっていく。
 
僕は電気を消して、教室を出る。
暗くなった部屋の中で、未完成の手紙たちは、続きを静かに書き始めているはずだ。

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