【① 私の原点】マーケ×Webデザインの職業訓練4か月目。42歳主婦・1児の母が日々悩みながら再就職を目指します。
私が生まれ育ったのは、地方の小さな市です。
大きな都市ではないけれど、商店街には百貨店やファストフード店もあって、子どもの私には十分に楽しい場所でした。
その百貨店には、たくさんの思い出があります。
サンリオショップでクリスマスプレゼントにノートと鉛筆を買ってもらったこと、父の日にキーケースをお小遣い全額をはたいて買ったこと。(そのキーケースを、父は今でも使ってくれています。物持ちがいいですね。)デパ地下でお惣菜を買い込み、近くの花火大会へ出掛けることもありました。
しかし、私が高校生になるころ、近隣の市に大規模な商業施設ができたことで、インフラも人の流れもそちらへ集まるようになりました。
何年か後には百貨店が閉店し、ほかの商業施設も後を追うように消え、商店街も静かになっていきました。まちの移り変わりはどこででも常にあることですが、私にとってこの変化はとても大きな衝撃でした。
自分の思い出までもが少しずつ消えていくような寂しさは、長い間、心に残り続けました。
その経験が、進路に影響を与えたのだと思います。
大学ではまちづくりを学びました。本当の地域の活性化とは何なのか。ずっと感じていたあの寂しさが、学びの動機になりました。ただ、卒業後に市役所や県庁へ就職するイメージはなかなか持てず、最終的に選んだのは地元の広告代理店でした。
自分が面白いと感じた方々が広告の世界で活躍していることが多く、ブランディングや広告クリエイティブの考え方に触れるたびに、「こんな仕事ができたらいいな」と、ほのかな憧れを抱いていました。そして、地元の広告代理店なら、広告やイベントの力で地域のお店や人々を元気にできるかもしれない。そんな気持ちもありました。
広告代理店の仕事はとても楽しかったです。人との出会いが多く、業務の幅も広く、広告そのものへの面白さも感じていました。一方で、小さなモヤモヤも抱えていました。
「広告枠がどれだけ売れるか」が評価の軸になることが多く、この枠に出稿してもらうことにクライアントのメリットはあるだろうか、クライアントの商品やお店の魅力を十分に引き出せているだろうか、と自問することがありました。新聞やテレビの出稿費用は高額で、私が担当していたクライアントは、大規模な広告展開をすることが難しいケースが多くありました。これでは、あのお店の雰囲気や、商品・サービスへの思いを伝えきれないというもどかしさが、ずっとありました。
一方で、いま振り返ると、もっと工夫できたはずだとも思います。限られた条件の中でより魅力的に伝える努力、そしてその枠を超えてさらに展開させていく発想が、当時の自分には足りなかった。さらに(この会社は3年半で退職したのですが)もっと長く続けていれば、インターネットやSNSの普及とともに、伝え方の幅も広がっていたはずです。当時は懸命に働いていたつもりですが、反省の気持ちは今だからこそ強く感じています。
広告代理店を退職した後は、サービス業で広報と接客を経験、最終的には自社商品を持つメーカーで営業として働きました。
どの職場でも、自分の意見を商品や業務に反映していただける機会に恵まれ、ただこなすだけでなく、関係者みんなで作り上げていくような仕事ができました。失敗も至らない点も盛りだくさんの未熟者ですが、本当に多くの方に助けていただきながら、とても充実した時間を過ごしました。
そして、結婚・夫の転勤を機に、計8年ほどの社会人生活にいったん区切りをつけることになりました。
次回は、主婦になってからの日々と、再就職を考え始めるまでのことを書こうと思います。
*現在、マーケティング×Webデザインの職業訓練6か月コース、4か月目。42歳・1児の母が、日々悩みながら学んでいます。*
