知の巨人・南方熊楠を訪ねて〜故郷和歌山県で海を眺めて走る旅
私の生まれ故郷は、和歌山県有田郡。みかんの産地である。
高校を卒業後、あまり帰郷することはない。父はすでに他界。今は母が1人で暮らす。いや、たくさんの友達に囲まれて暮らす。
今年の1月、母は九死に一生の大病から生還した。神様は本当にいるのかも知れないとその時に思った。
今回、母は、千葉県に住む姉と長野県に住む私、そして滋賀県に住む弟、3人同時に会いたいといい、全員で都合を合わせて集まった。母の体ももとのようにとは行かないが、年末大掃除やみんなで思い出を語り合う機会にしようと思った。
思い返せば、みんなで遊びに行った思い出も遠い昔。たまには、ドライブでもしないかと私が持ちかけた。
南紀白浜。美しいに違いない。和歌山県と言えば、南方熊楠だ。the King of 大妖怪。←勝手にそう思っている。何をやった人?と聞かれてもどこから話していいのやら、

明治から昭和初期にかけて活躍した人で、粘菌の研究の第一人者。と言うだけではない。自然界だけでなくこの世界のいろんなことに通じていた人である。博物学、生態学、人類学、民俗学を深く研究した。
子どもの頃からずば抜けた記憶力と向学心で「天狗」と言う意味のあだ名。
そして、そんな時代に「勉強がしたい」という理由で単身でアメリカに渡り、8年も独学で学んだ。そして18ヵ国語を理解した。そんなことある⁈って話だ。
先々週に東北の記念館に会いに行った柳田國男とも民俗学を通じて交友が深かった。柳田國男から「日本人の可能性の極限」と称されていたと言う。
宮沢賢治にしても南方熊楠にしても、どうやったらそんなに多くの知識を頭に入れ、新しい考えを広げていけるのだろうか。とても想像出来ない。1日は同じ24時間のはずだが。。。笑
伝説もすごいが、我が家では一つ違う伝説があった。
母の父。つまり私の祖父と呼ばれる人は、結婚してすぐのまだ、20歳代に病気で他界した。母は、当時まだ3歳。妹さん(私にとっては叔母)は0歳児だった。
男前で頭が良かったという伝説の祖父。熊楠と顔が似ているという名誉な我が家だけの伝説である。
なるほど、熊楠、男前だ。男前で頭が良くて変人。最高だ。だから、今回の旅は、熊楠に会いに行って、祖父の話をするという素敵な特典があった。熊楠と似ていると言って盛り上がるのだから、祖父も名誉な話だ。
今日は、冬とは思えない暖かい1日で、海風が心地よく最高によい1日だった。南方熊楠記念館では、車椅子を借りて母を乗せ、ゆっくりまわれた。展望台からの美しい景色に母は喜んだ。釣りをする人々を高くから眺めながら父の思い出話に花が咲いた。

ランチは、母と父の思い出の店で食べた。4人でたくさん写真も撮った。
夕方は疲れる前に、まだ日があるうちに帰って来れた。和歌山県、なかなかいいところだ。いつか熊野古道も歩いてみたいし、高野山にも行ってみたい。年を重ねてからわかる良さもある。

しかし、宮沢賢治は実家が質屋。柳田國男は官界にいた。南方熊楠の実家は酒屋だった。こうしたことを考えたとき、経済的な支えはやはり学問に影響するのかも知れないと思う。
しかし、何にしても、これらの偉人たちの業績を戦禍から守り抜いた後世の人々の努力をなしには、この素晴らしい学問や業績は現代のものにはならなかったことは間違いない。
帰りに田辺市の駅前を通った。大きな武蔵坊弁慶の銅像が、威風堂々と陽に照らされている。田辺市は弁慶の生誕の地とされている。
牛若丸のお話をそう言えば小さい頃によく聞いた。
先々週は、岩手県の中尊寺で弁慶の最期の姿を学んだ。そうやって考えると人の一生の不可思議さを想う。嘘のような夢のような儚いけど、確かにあったもの。それが人生ではないだろうか。和歌山県、あったかい。あの日寒波に見舞われた岩手県の空気を思った。
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