僕の本だな|時とともに生きる
このシリーズを書くようになってから、週に一度、本だなを眺めることが習慣になってきた。
さて、何をもとに書こうか。
そんなことを考えながら本を手に取り、パラパラとページを繰り、巻末の発行日を見て、「あぁ、あの頃に読んだ本か」と振り返る。
奥にある本を取り出すのは少し手間がかかる。
けれど、どんな本があったか気になり、せっかく出したのだからと読み始めると、思った以上に時間が過ぎていて、なかなか全部は見きれない。
今日、手に取ったのは、その奥にあった一冊。
外山滋比古さんの『思考の整理学』。
社会人になって、割とすぐに読んだ本だと思う。
帯には「東大・京大で一番読まれた本」と書かれていて、それに惹かれて買った覚えがある。
200ページほどで、どちらかというとすっきりした厚さ。タイトルと帯からは少し難しそうな印象を受けたけれど、「これくらいなら読めそうだ」と感じたのだろう。
たぶん、この本は今でも僕に大きな影響を与えている。
「考えろ」という言葉は、学校でも職場でも、そして日常の中でも、当たり前のように耳にする。
けれど、「考える」とは何かについて、誰かに教わった記憶はあまりない。
頭に何かが浮かぶことが考えることなのか。
目の前のことを暗記し、それを正確に再現することが考えることなのか。
正直なところ、よくわからなかった。
本を開くと、最初に出てくるのは「グライダー」という単語。
何のことかさっぱりわからない。でも、読み進めるうちに、それが思考の姿勢の話なのだと気づく。
グライダーのように気流に乗って飛ぶのか。
飛行機のように、自らの力で前に進むのか。
どちらが好きかと聞かれれば、自ずと決まる。なので、この入り方をされると、もう自分の意志で読み進めるしかなくなる。改めて読み返してみて、すごい仕掛けだなと思う。
あの頃の僕は、グライダーだったのだろうか。それとも飛行機だったのだろうか。そんなことを、ふと考える。
本の中では、「発酵」「カクテル」「触媒」といった、一見すると「考えること」とどう結びつくのか不思議に思う言葉が続く。
けれど、どれもが思考とは何かを、理屈ではなく感覚で教えてくれる。
もう一つ、自分の中に深く刻まれている言葉がある。
「時の試練」だ。
文学の話として30年、50年という時間が語られるが、「新しい木では家を建てることはできない」という一節と重ねて読むと、その意味がすっと入ってくる。
そして、この言葉に触れると、村上春樹の『ノルウェイの森』に出てくる「時の洗礼」という表現を思い出す。偶然なのかどうかはわからないけれど、どちらも時間というものの重みをそっと教えてくれる。
noteを始めて、もうすぐ3か月。
始めた頃の文章を読み返すと、トーンは今と大きく変わらないけど、どこかフレッシュさがある。
たった3か月。それでも、時間が生み出した小さな味を感じられたことが、少し嬉しかった。
『思考の整理学』をもとに書きながら、とりとめのない文章になってしまったけれど、最後に裏表紙を見ると、「考えることの楽しさを満喫させてくれる本」とある。
そうそう、と思う。
考えることは、やらされるものでも、しんどいものでもない。
本当は、とても楽しいことなのだ。
考えることは、焦らず、寝かすぐらいでいいのかもしれない。
12年もののウイスキーを飲めば、その時間の価値がよくわかる。
出した本をこれから奥にしまうけど、次にまたこの本を取り出すときが、なぜか、今から楽しみになった。
それまで、じっくりと寝かせることにしよう。
