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命を繋ぐ尾瀬の生きもの〜はるかな尾瀬沼へ【登山記】

 七月上旬、静岡から電車を乗り継いで、尾瀬への登山口がある群馬県片品村へ向かった。そこから尾瀬沼に行き、長蔵小屋で一泊してきた。
 天候が危ぶまれたが、運よく晴天に恵まれ美しい燧ヶ岳や尾瀬の自然を見ることができた。
 神秘的な山と湿原に囲まれた場所で営まれてきた、生き物たちの循環。命を繋ぐ尾瀬の物語を体験した旅であった。

尾瀬沼の形成と縄文人

 尾瀬沼は、群馬県と福島県にまたがる、日本有数の高層湿原の沼である。
 約8000年前、この地に聳える燧ヶ岳が噴火し、流れ出した溶岩が沼尻川を堰き止めた。その堰き止めによって出現したのがこの沼だという。
 堰き止められて生まれた水が、やがて豊かな自然を、昆虫を、動物たちの命を育んでいった。

 沼の周辺、そして福島県側の檜枝岐村には、縄文の遺跡が多数ある。
 この一帯まで、縄文人は住みついていた。彼らもまたこの豊かな食材を求めて、尾瀬に入り込んだのではないか。
 しかし尾瀬沼の標高は高く、通年の居住には向かないためか、定住の跡は、まだ見つかっていないようだ。

 生き物が住むには厳しいこの土地だが、豊富な水が育んだ植生が、美しいこの尾瀬沼の自然を静かに形作ってきた。

大清水から一ノ瀬へ そして尾瀬沼へ

 尾瀬行き一日目。
 静岡から東京、そして群馬県の高崎まで新幹線。そこから電車とバスを乗り継ぎ、夕方片品村に着いた。
 その日は、尾瀬戸倉バス停近くの「玉泉」に宿泊した。

尾瀬戸倉のバス停にて この目の前の宿「玉泉」で一日目は宿泊
片品温泉につかり、夕食もとても美味しかった
冬場は近くスキー場の利用客が多い

 翌朝、尾瀬戸倉から大清水までタクシーで入り、そこから一ノ瀬までは低公害車のミニバスに揺られた。一ノ瀬からが徒歩となる。

尾瀬沼行の低公害バスが発着する大清水 沼田駅や上毛高原駅とをつなぐ直通バスも運行する
一ノ瀬のバス停付近
そこから木道を歩き尾瀬沼に向かって歩いていく
沢沿いの道は湧き水なのだろうか、ぬかるんでいた
三平峠に続く木道

 何処からともなく湧き出る水でぬかるむ沢沿いの道。一部木道や石畳となっているが、泥炭地を用心しいしい踏みしめながら進んだ。
 三平峠までは、かなり急な登りもある。
 一時間半ほどかけて、木道を歩き峠に着いた。そこから三平下まではもう遠くない。

1762mの三平峠
三平峠から降りてくると木立の向こうに尾瀬沼が見えてきた
木立の向こうにあの山が、そして湖が見えてくる

 下りの途中、木々の切れ間から尾瀬沼がふいに見えてくる。近づくにつれ、期待が高まっていった。

 やがて尾瀬沼山荘の赤い屋根が見え、開けた先に燧ヶ岳が聳え立ち、その姿がそのまま鏡のように水面に映り込んでいた。

尾瀬沼山荘近くの湖畔より 向こうに燧ヶ岳がみえる

 逆さ燧ヶ岳だ。

美しい燧ヶ岳がみえる
晴天とはいかないが空気が澄んでいるため、鏡のように映る燧ヶ岳
一帯のパノラマ写真

 湖面は驚くほど穏やかで、山影をくっきりと写していた。
 前日まで出ていた荒天の予報が、嘘のような静けさだった。

尾瀬沼を一周してきた午後の同じ場所 既に雲の中に燧ヶ岳は隠れていた

 尾瀬沼山荘近くから対岸を望むと、沼尻にある小屋の屋根が見えた。

尾瀬沼周回

 木道を歩き、今日の宿である長蔵小屋に着いた。
 大きな荷物を置き、身軽になって尾瀬沼の周回へと出かけることにした。

歴史ある長蔵小屋へ ランチ営業もやっている
今夜はここに宿泊のため、リュックを置いて尾瀬沼周遊へ
小屋周辺でニッコウキスゲが咲いていた
長蔵小屋付近の尾瀬沼の風景(昼前ごろ)

 尾瀬沼の北岸に向かって木道を進む。
 よく整備された木道の上を、軽やかな気分で歩を進めることができた。

水芭蕉の季節に歩けば、また違った景色があっただろう
沼の北岸の木道歩き
7月のこの日 コバイケイソウが盛りだった

 木道を進むと、水芭蕉はすでに花期を過ぎていたが、その花の茎はまだ残っていた。あの白い花びらに見える部分は、実は苞の一種だという。
 花そのものはその内側にある小さな棒状のものだ。

湿原の草の勢いのある緑の向こうにさっそうと流れていく雲と不動の燧ヶ岳
この美しい湿原を守るために、ここ尾瀬は木道の整備などに長年取り組んでいる
湿原を守る木道が、同時に観光も呼び込む

 水芭蕉は川沿いに咲き、ゼリー状の種を水に流して増えていく。
 時にはその種は熊に食べられることによって、撒かれるのだという。
 熊の行動範囲はおよそ山手線一周ほどの広さらしい。昨今山歩きでは注意が必要な熊であるが、この沼の生態系を支える存在でもあるのだ。

 今、日本中を騒がせている熊であるが、決して単なる害獣ではない。
 縄文の昔から神として崇められ、ある意味人々と共生してきた存在だ。
 もちろん現代において、実際に被害が出ている以上「すべて保護すべき」という綺麗な論理だけでは済まない。

 だが、一方的に排除すべき存在として扱うのも違うのではないかと思う。
 少なくともこの尾瀬においては、熊も生命の循環の一端を担っている。
 尾瀬沼を彩る美しい水芭蕉の景色も、実は熊の食性と種子の拡散によって保たれている側面があるのだ。

沼尻にある小屋が見えてきた

 木道を歩きながら、菖蒲やカキツバタ、そしてニッコウキスゲに出会った。ニッコウキスゲは、一つの茎に五、六輪ほどの花をつけるが、一度に咲かせず少しずつ時期をずらす。受粉のタイミングを見計らっているのだという。
 花は一日か二日しか持たない。ちょうど七月中旬のこの頃からが見頃となる。 

木道のニッコウキスゲ

 この花は、実は食用としてもうまいらしく、蕾は中華料理の食材にもなるという。そしてそれは人間だけの話ではない。
 鹿もまたこの花を狙っているということだ。

 そういえば、このあたりの鹿は人に慣れきっていて、近づいても逃げようとしないという。暖かくなるにつれ鹿の生息域も北上し、そのぶん食害も広がって、尾瀬もその対応に苦労しているという話を聞いた。

三平峠に向かう途中で出会った鹿
かなり近づいても逃げるそぶりも見せなかった

 人が鹿を食べなくなったことも、その一因なのだそうだ。
 尾瀬の自然保護管も、ジビエ料理への関心を高めることも大切だと言っていた。

長英新道への入口 実はこの日燧ヶ岳に向かう登山道の山開きだった

 途中、長英新道の分岐から燧ヶ岳への登山道が伸びていた。
 ちょうどこの日が山開きだったらしい。燧ヶ岳は日本百名山の一つに数えられている。
 尾瀬にはもう一つ、至仏山という百名山もあり、そちらは眺望の良さで知られている。

沼尻の小屋付近からの燧ヶ岳

 燧ヶ岳は、尾瀬の景色を代表する山であると同時に、尾瀬という土地そのものを作った山でもある。
 約8000年前に噴火し、その溶岩流が沼尻川を堰き止めたことで尾瀬沼ができた。その後、長い時をかけて尾瀬ヶ原に湿原が形成されていった。

 湿原は一年に数ミリしか回復しないのだという。
 もし足跡を一つ残せば、それが元に戻るまでに十年以上かかる計算になる。縄文以前から少しずつ育まれてきたこの湿原にも、ある時代、大きな危機が訪れた。

午後の燧ヶ岳 雲が多く風も出てきた

はるかなる尾瀬~歌謡曲の功罪

 昭和二十四年、一つの歌が生まれた。「夏の思い出」である。
 この歌が空前の大ヒットとなり、瞬く間に尾瀬ブームが巻き起こった。人々が押し寄せ、湿原を守るという発想もないまま、直接足を踏み入れる者が後を絶たなかった。

元長蔵小屋

 そこに立ち上がった人がいた。
 長蔵小屋を営みながら、尾瀬を守り続けた。山のマナーを根気強く説き、やがて賛同者が増えた。
 ゴミを持ち帰る運動が広がっていき、やがて法律が整えられた。

 観光地の木道は、自然を保護するための手段にも変貌していった。
 訪れる者たちの意識も変わり、この地を守ろうという動きはさらに広がった。
 今、私たちが歩いているこの木道は、そうした歴史の上に敷かれているのだということを知った。

多くの多様な生物が棲む尾瀬の自然は、「守ろう」という意識の中で保たれている
尾瀬の歴史(拡大してご覧ください)

 尾瀬は今、国立公園の特別保護地区に指定されていると同時に、文化財保護法上の特別天然記念物にも指定されている。
 この枠組みの中では、たとえ倒木であっても、勝手に取り除くことは許されない。倒木も自然の為せるものであり、それは植生を作る土台となるからだ。
 それを残すか処理するか、その判断は慎重に行われる。

歩道から見えるいくつもの倒木 この倒木の上に新たな命が宿り、そして台地に根を伸ばしていく

 こうして初日は暮れていった。明日はこの沼をさらに巡り、大江湿原へと足を延ばす予定である。

長蔵小屋の夜

尾瀬沼の水

 朝の景色も素晴らしかった。雨天の予想だったが、朝の尾瀬は若干の曇り空で遠くの空には青が見えた。
 燧ヶ岳を目指すであろう早朝立ちの一行の姿もあった。

早朝に旅立っていった一段 燧ヶ岳を目指すのだろう

 あの形の良い燧ヶ岳や至仏山に、私もいつか登ってみたいと思う。

 朝食までの間、長蔵小屋周辺と尾瀬沼山荘までの区間を散歩した。
 朝靄の中、多くの宿泊客が幻想的な尾瀬沼の自然を楽しんでいた。

早朝の尾瀬沼

 やや曇りがちではあったが、時折晴れ間ものぞき、光の加減で様々な表情を見せてくれた。

ニッコウキスゲの群生で有名な大江湿原へ

 長蔵小屋を発ち、大江湿原へ向かった。
 ニッコウキスゲの群生地として知られているが、今はまだ咲き始めの黄色い花が、湿原の木道脇を彩り始めていた。

 大江湿原の向こうは、福島県の檜枝岐村に続いていく。
 ここには、縄文の遺跡が数多く残っている場所だという。

この木道の向こうは、福島県の檜枝岐村に続いていく
時折こうしたベンチがあって一休みしながら景色を楽しめる

 この大江湿原の途中で引き返し、元来た三平峠から大清水へと戻る。
 若干の時間があったため、尾瀬沼観光センターの自然ガイドのミニツアーに参加することとした。

尾瀬の自然観察

 尾瀬沼を歩く楽しみの一つは、季節の草花を見ながら歩くことだ。
 前述の水芭蕉は既に姿を消していたが、ニッコウキスゲが咲き始めていた。
 ところどころに姿を現す青い花は、ヒオウギアヤメ(檜扇菖蒲)かカキツバタ(杜若・燕子花)かの区別がつかなかったが、尾瀬沼のビジターセンターの解説で区別がつくようになった。

こちらがカキツバタ(杜若・燕子花) 白い筋が入っている
こちらは檜扇菖蒲。こちらの方がよく見かけた

 道すがらオオウバユリの説明を受けた。
 この百合は種から芽吹いて七年ほど、ひたすら鱗茎に力を蓄え続け、ようやく一度だけ花をつけ、一生を終える。

 アイヌの人々はこの鱗茎を掘り、すりつぶして澱粉をとり、冬を越すための保存食とした。

大きいものになると2mを超えるものとなるオオウバユリ
菌類もいろいろ
こちらは銀竜草(ギンリョウソウ)という素敵な名前とともに、その形状から「ゆうれいたけ」とも呼ばれる。光合成をしない、菌従属栄養植物である

 そういえば尾瀬沼は、日本海に注ぐ、阿賀野川水系のはじまりでもある。
 尾瀬沼から尾瀬ヶ原を経て只見川にもなり、会津の山中を抜けて阿賀川と合わさり、阿賀野川と名を変えて日本海へ注ぐ。
 この沼の一滴が、あの火焔土器のクニの暮らしと文化を支え、伝えたのだと思うと、感慨深い。

命をつなぐ尾瀬の大自然

 帰り道木道を歩きながら、根が高く持ち上がった針葉樹がいくつも目に入ってきた。なぜだろうと疑問に思い、ビジターセンターの職員に聞いてみた。
 「あれは、倒木の上に落ちた種が芽吹き、根を四方に伸ばしながら育ち、やがて土台となった倒木そのものが朽ちて消えたあとの姿なんです」

 あの蛸の足のような奇妙な形は命が命へと受け渡されていった、確かな痕跡そのものなのだ。

中央奥の樹は、周りの樹と比べて根が盛り上がっているように見える
明らかに不自然に盛り上がって、苔むしている
倒木の上に落ちた新しい種が芽吹き、そこから根を大地におろしていく
やがて倒木は朽ちて土に還り、そこが空洞のようになるのだ

 朽ちた倒木の上に芽生えた命が、次の命へと繋がっていく。
 その形は、朽ちたあとも変わらずそこに残り続ける。

☆   ☽   ☼

 ここは、命を、そして人の思いを繋いでいく場所なのだと思う。
 冬になれば、生き物たちの住めないような厳しい場所になる。
 それでもこの沼は、雪の下でじっと次の夏にやってくる次の命を待っているのだ。
 約8000年前、自然が偶然作り上げた美しい山中の湖と湿原の奇跡。厳しい気候が特殊な環境となり、多様で希少な生物の楽園となった。
 その中で、多くの命が育まれ、循環していった。
 またここを源とする大河の一滴も日本の広い範囲につながっている。
 多くの生き物が繋いできた神秘的なこの光景と場所を、私たちは謙虚な気持ちで訪れ、そして守らなければいけないと思う。
 そして、ここで感じる心地よさや清々しさが、どこから来るものなのか、そうしたことに思いを馳せながら、この地を楽しみたい。

 そういえば、私はここに来る前に、ひどい腰痛と背中の痛みに悩まされていた。ここに来ることができるか不安であったくらいだ。
 ところが、尾瀬を訪れ3日間ここで過ごし、下山した翌日から、嘘のように痛みが消えていることに気づいた。
 山は人を癒してくれるのだと、私は改めて実感した。


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