ヒュームの法則の誤り:価値はどこに存在するか

 「事実から価値は導出できない」という哲学上の議論がある。どれだけ自然界の事実を観察しても、価値は発見できない、という考えだ。この命題は、初めて記述したとされる哲学者の名を冠し「ヒュームの法則」と呼ばれたり、自然主義的誤謬という少し異なる問題との関連において現在盛んに論じられている。
 彼らの問題意識は次の問いに集約される:事実から価値が導出されない場合、価値はどこに存在するのだろうか? 
 この問題を解決するひとつの方法をここに記そう。端的に言えば、事実などない。価値がない事実など、西田幾多郎的に言えば、人間が理論的要請によって作り出した抽象概念だ。
 わたしたちの経験に帰ってみれば、事実と価値は分けられない形で存在する。大自然の風景は美しいし、戦争は良くない。わたしたちはそれを知っている。なぜならば、わたしたちの生きた現実には、事実と価値が切り離せない仕方で現れているからだ。
 すなわち、価値のない事実というものが存在する、という前提が間違っている、またはわたしたちの人生と関係ないため、「事実から価値は導出できない」という命題は重要な問題ではない。
 幸不幸も、道徳的善悪も、美醜も、真偽も、人生の意味も、わたしたちの経験の中に存在する。
 ここに書いたことはおそらく、現象学や京都学派哲学の文献において言い尽くされているような気もするが、覚書として残しておく。

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