大人になると、「無」が一番癒される理由
こんにちは。たかっちです。
私は「癒し」という言葉があまり得意ではない。
なんというか、少し意識が高い感じがするからだ。
「自分を癒してあげる時間も大切ですよね」
みたいな文章を見るたびに、確かにその通りなのだが、こっちはその前に洗濯物を畳まないといけないのである。
子どもは何かをこぼすし、仕事のチャットは夜でも鳴るし、気づけばAmazonで買った覚えのない細かい荷物が届いている。
大人になると、癒しは探しに行くものではなく、隙間に落ちているものになる。
最近の私にとって、癒しとは「無」である
無風。
無刺激。
無締め付け。
できれば、何も主張してこないものがいい。
歳を重ねると、人は圧に疲れる。
店員のテンション。
美容師との会話。
「今話題です!」みたいなポップ。
あと、ゴムが強すぎるやつ。
若い頃は、少し圧があるくらいが好きだった。
でも不思議なもので、30代を越えると、人は戦場より休憩所を求め始める。
何も求めてこないもの。
黙って受け止めてくれるもの。
「あ、今日はもうこれでいいや」と思わせてくれるもの。
疲れた日ほど、同じやつを選んでいる
最近、私はあることに気づいた。
疲れて帰宅した日ほど、同じものを選んでいるのだ。
いや、誤解のないように言っておくと、ちゃんと洗濯はしている。
そういう話ではない。
ローテーションの中で、無意識にそれを手に取ってしまうのである。
ユニクロのエアリズムボクサーパンツ。
またお前か、と思った人もいるかもしれない。
私もそう思っている。
気づけば人生の節目節目に、こいつがいる。
初めて履いた時、正直かなり頼りなかった。
薄い。
軽い。
というか、存在感がない。
パンツ界の「私は前に出ませんので」みたいな顔をしている。
昔の私なら選ばなかった。
もっとこう、パンツ!!!!みたいな、主張の強いパンツを履いていた。
無駄に分厚い生地。
謎の立体構造。
スポーツカーみたいな配色。
パンツに何を求めていたのか、今となっては本当に分からない。
履いても、何も起きない
ただ、エアリズムは違った。
履いた瞬間、何も起きない。
感動もない。
興奮もない。
なのに、気づけばずっと履いている。
これは恋ではない。
完全に癒しである。
たぶん、本当に癒されるものって、脳に強く残らないのだ。
自然すぎて、気づかない。
空気みたいにそこにいる。
でも、なくなると困る。
人生の後半になると、人はそういう存在に救われ始める。
どうでもいいが、気になることがある
最近、休日に一人でスーパーへ行く時間が好きだ。
朝一、少し空いてる店内を歩き回る。
特に目的のものがないが、陳列されているものを見て、自分のなかでイメージを作っていく。
たまに変な輸入菓子を見る。
誰にも期待されない。
誰にも急かされない。
あの感じが好きだ。
その日の最後、風呂に入って、例のパンツを履く。
すると脳が、
「あ、今日はもう終わりです」
と判断する。
たぶん私は、あの瞬間に回復している。
、、、書いていて気づいたのだが、私はこの記事で、人生の癒しについて語っているのか、パンツの感想を語っているのか、自分でもよく分からなくなってきた。
たぶん、両方である。
今日の学び
「馴化(じゅんか)」という言葉がある。
人は、同じ刺激を繰り返し受けると、だんだん反応が薄くなっていく現象のことだ。
普通はネガティブな意味で使われる。
「ずっと一緒にいると、相手のいいところに気づかなくなる」
みたいな話だ。
でも私は、これは悪いことばかりじゃないと思っている。
刺激に慣れる、ということは、その存在が生活に馴染んでいる、ということだ。
ドキドキしないけど、いないと困る。
感動しないけど、安心する。
これって、実はかなり高度な関係性だ。
若い頃は、癒しってもっとドラマチックなものだと思っていた。
運命の恋とか、絶景とか、涙が出る映画とか。
でも今の私は、ムレないだけでかなり幸せだ。
人間、最後は通気性に辿り着くのである。
P.S
刺激より通気性。
これ、たぶん人生のかなり大事な真理だと思っています。
「日常の小さな違和感から学ぶ心理学」に興味がある方は、こちらもどうぞ。
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