こんなものだ
日が落ちる頃になるとトロントの街中からピクニックマットを持った人々が集まってくる大きな公園で私は、赤みを増した太陽が最後に身を隠す憎らしいビルがしかと見える特等席に座って、空も見ないでパソコンとにらめっこをしていた。
カタカタと言葉を文字に起こしていたのは私だけで、ほかは皆スワスワと静かになびく風にそっと乗せるように静かに言葉を音にしていて、そこら一体に平和な時間が流れていた。
ふと冷たい風が顔にあたってようやく顔を上げた私は、もう太陽がすっかりビルに隠れてしまっていて、跡を引くように滲んだ赤色が遠くに見えるビル街の空を覆っているのに気がついた。
「調子はどうだ(ハウアーユードゥーイング)」
その言葉が私に向けられていることに気がつくのには数秒を要した。
私の横に座っていた二人組は
「君が手を止めるのを心待ちにしていたんだ」
と冗談めかしくいった。
話を聞いてみると、彼らはどうやら車で1時間半かけてこの公園にやってきたらしい。
夕日が綺麗だと評判な公園に来てみたら、一番良く見えるベンチのスペースが空いていて、そこの端に一人ぽつんと座っている私が夕日も見ずに文字を打ち続けているものだから、それがなんとなく面白かったのだと話をしてくれた。
私がそんな席を陣取ることができたのは、私が連れもなく昼からそこに座っていたからだと話すと、「一人でいてくれて助かった、サンクス」と言うものだから、「私の孤独が人を助けたのははじめてだ」と教えてやった。
初対面の人々がはじめに交わす無難な会話を一通り終えたあと、私が来月には日本に帰ること、今は仕事もせずいつもこうして公園でただダラダラとしていることを話すと、
「俺達もまだ仕事は見つかってないけど、まあなるようになるよ、ブロ」
と言った。
「ハウアーユードゥーイング(調子どう?)
「サンクス(ありがとう)」
「ブロ」
良い言葉だ。短くて、明るくて、軽快だ。特にサンクスは、道行く人々に気軽に使えるのが良い。
日本で他人に「ありがとう」と短く軽く言ってしまうと、聞いた人の頭に「なんでため口だったんだろう」という疑問を残してしまうことを避けられないのに対して、こちらでは短く「サンクス」と言っても特に何の疑問も残すことはない。
「ブロ」は純日本製の私の口には未だになじまないが、こちらに来て何度も耳にしたおかげで今ではすっかり耳馴染みのある言葉になった。すんなり耳から頭に入ってくる。
最初こそ、映画でしか聞かないこの言葉の新鮮さにブローを食らったような衝撃があったが、いまではこうしてブログに書けるほどには日常に溶け込んでいる。
「例えば俺達が日本にいて、今日みたいに知らない人に声をかけたとしたら、話しかけられた人はどう思う?」
そう尋ねた彼らに私は、「変な人だ」と思われるだろうと話した。
こちらの「普通」も場所が違えば「変」になるのだから、観念は固定しないに限るなと私は思った。
キャスターでもつけて、いかようにも動かせるようにしておきたいものだ。
今回もいつものように、「君の英語はすばらしいよ」という馴染のある言葉を頂戴して気分が良くなった私は、話しかけられた驚きで巻いていた舌をすっかり薄く伸ばして、ペラペラと話を続けた。
私よりも3つ歳を重ねていた彼らは、こうして話しながら見る夕日も、一人で眺める夕日もどちらも素晴らしいだろうと言った。
私達三人は幸い今は仕事がないから、楽しむ時間がめいっぱいある。
夕日をゆっくりと眺めていると、「人生こんなもんだな」と思う、みたいなふわふわとした話をしながら私達は、後ろに並んでいた移動販売車がみんないなくなっても帰らず、陽の光の援助もなく黒くなった芝生の上からすっかりピクニックマットがなくなってしまっても帰らず、遠く下に見える公園のトラックで走る少年がいなくなっても帰らずに話し続けた。
「25歳になった時になんとなく、すべてが終わったような気がした」
一人がそういったのを強く覚えている。
「なんとなく全てに見切りがついたような気がして、「こんなものだ」と思えるようになって、いまはすべてが流れていくのを見ているような感覚で生きている」
そう話した彼がお腹を壊してトイレへと向かった。
30分程した頃に帰ってきて、我慢をしながら歩かなければいけなかった数分間はトラウマ級だったと言った彼に向かって、彼の友人は「そんなものだよ」と言ったが、「こんなものだとは思っていなかった」というものだから、私達はすっかりおかしくなって真っ暗な中に佇むベンチに座ってその日一番明るく笑った。
同じ公園で今日もまた一人こうして、パソコンで文字を打っている。
私の周りを絶えず飛び回っている蜂は不快だが、パソコンの画面の上をてんとう虫が這っているのを目で追うのは愉快で、柔らかくないベンチでお尻は痛いが、服を詰め込んだリュックで作り上げた背もたれである程度リラックスできる。
眼の前に広がる緑の傾斜に人がまばらに座っていて、それぞれが談笑していて、空は青くてやや冷たい風が吹いている。
ベンチから立ち上がって帰っていく人がいて、それを見つけてベンチめがけて傾斜を嬉しそうに上がって来る人々がいて、その傾斜を苦しそうな顔をしながら何往復もしている人がいる。
何かを待っているようにスマートフォンを熱心に眺めている人も、恋人を熱心にカメラに収めている人も、テーブルに頬杖をついて私みたいにただ一人外を眺めている人も、芝生に寝転んで本を読んでいる人も、犬と添い寝をしている人もいる。
前を見て
「ああ、こんなものだな」
と思える景色が眼の前にある。
