人間の残された領域は現場だけなのかもしれない――作る力が余り始めた時代の「参加翻訳」
最近、ある展示会へ行って少し不思議な光景を見ました。
AIを使って作ったMVPが、大量に商品として並んでいたのです。
議事録、営業支援、業務管理、問い合わせ対応、データ分析。
AIを使えば、以前なら数か月かかったシステムを短期間で作れるようになりました。これは間違いなく大きな進歩です。
しかし私は、それらを見ながら少し違和感を覚えました。
業種をそれほど絞らず、「AIでこんなものが作れます」という商品が次々と並んでいる。
本来MVPとは、完成品を安く作る方法ではありません。
小さく作り、顧客に使ってもらい、そこから学び、修正するためのものだったはずです。
ところがAIによって作ることが簡単になった結果、
市場を見る→問題を見つける→作る
ではなく、
作る→並べる→売れるものを探す
という逆転が起き始めているように見えます。
これはAIが悪いのではありません。
むしろ、AIの能力があまりにも急速に上がったために、私たち人間の側がまだその力の使い方を理解しきれていないのだと思います。
そして私は、自分自身の立ち位置を少しずつ「作る側」から「顧客側」へ移そうとしています。
その理由について、今回は考えてみたいと思います。
技術革新の恩恵は、誰に渡ったのか
この構造は、AIで初めて起きたものではありません。
私は以前から、会計事務所のコンピュータ化に似たものを感じています。
昔の会計事務所では、多くの処理を人間が手作業で行っていました。
それがコンピュータ会計になり、計算、集計、転記などが劇的に効率化されました。
当然、会計事務所の生産性は上がります。
しかし、ここで考えてみたいのです。
顧問料はどれだけ下がったでしょうか。
顧問先が資料を準備する手間は、どれだけ減ったでしょうか。
もちろん事務所によって違います。
しかし大きな構造として見ると、コンピュータ化によって生まれた余力のかなりの部分を、会計事務所側が受け取ったのではないでしょうか。
さらに会計事務所へシステムを提供する会社も成長しました。
つまり、
技術革新
↓
システム会社の生産性向上
↓
会計事務所の生産性向上
↓
しかし顧問客の仕事はあまり変わらない
ということが起こり得ます。
私はこれを批判したいわけではありません。
システムを開発するにも投資が必要です。効率化によって利益率が上がることも企業として当然です。
ただ、一つ問いを置いてみたいのです。
技術革新によって生まれた余力は、最終的に誰に渡ったのでしょうか。
この問いは、現在のAIにもそのまま当てはまります。
AIで一番楽になっているのは誰なのか
私はAIを使ってシステムを作っています。
だからこそ実感します。
AIによって、開発はものすごく楽になりました。
以前なら何日もかかったコードが短時間で作れる。
修正も速い。
試作品もすぐ作れる。
つまり現時点でAIの恩恵を非常に大きく受けているのは、開発者側でもあります。
ところが、そのシステムを顧客へ渡した瞬間に、
「新しいシステムなので使い方を覚えてください」
となってしまったらどうでしょう。
開発者はAIによって楽になった。
しかし顧客は、新しい操作を覚えなければならない。
場合によっては旧来の業務も残っているので、
旧業務+新システム
となります。
これではAIによって生まれた余力が、顧客まで届いていません。
AIを導入したかどうかより、
AIによって生まれた余力が誰に届いたのか。
私は、こちらの方が重要なのではないかと思うようになりました。
DXなのかAXなのかを、利用者はそれほど気にしていない
最近ではDXだけでなく、AXという言葉も聞くようになりました。
デジタル化するだけではなく、AIによって判断や実行まで自動化していく。
方向としてはその通りだと思います。
しかし現場でシステムを使う人にとって、
「これはDXです」
「これはAXです」
という分類は、それほど重要ではありません。
利用者が知りたいのは、
「それで私の仕事は楽になったのですか?」
ということです。
紙をスマホに変えても、入力する量が同じなら、それほど楽にならないかもしれません。
AIが要約してくれても、その前後に別の確認作業が増えれば、やはり楽にならないかもしれません。
技術側から見た進歩と、利用者側から見た進歩は同じではありません。
ここに「差分」があります。
報告さんを導入して分かったこと
これは、自分で作った「報告さん」を実際の現場へ導入して、改めて感じたことでもあります。
システムを導入すれば、その日から効率化される。
そんな単純なものではありませんでした。
人間には、それまで続けてきた仕事のやり方があります。
新しいシステムが入ったからといって、昨日までの習慣を今日から全部捨てられるわけではありません。
むしろ導入直後には、
新しい操作を覚える。
今までのやり方でも確認する。
間違っていないかチェックする。
周囲に聞く。
こうした作業が加わり、一時的には仕事が増えることさえあります。
つまり、
システム導入=即効率化
ではありません。
その間には、
人間が変化を受け入れる時間
があります。
ここを技術側が忘れてはいけないと思います。
AIは速い。しかし人間はそんなに速く変わらない
AIに興味を持つ人ほど、この時間を待つことが難しくなる場合があります。
AIそのものが、とても速いからです。
文章は数秒でできる。
画像もできる。
プログラムもできる。
MVPも短期間でできる。
すると私たちは無意識に、
作るのが速い
→ 導入も速い
→ 人もすぐ変わる
→ 効果もすぐ出る
→ すぐ売上になる
と考えたくなります。
しかし、人間はそうはいきません。
理解する。
試す。
慣れる。
疑問を持つ。
納得する。
そして初めて、自分から変えようとする。
ここには時間が必要です。
だから私は、
AIの速度で準備し、人間の速度で変える。
ことが重要だと思っています。
裏側の開発は速くていい。
顧客から「ここを変えられませんか」と言われたら、AIを使ってすぐ直せばいい。
しかし、こちらが10個改善できるからといって、一度に10個変える必要はありません。
顧客が一つ理解したら、一つ進む。
そして待つ。
するとある時、顧客自身から、
「だったら、これも変えられるんじゃないですか?」
という言葉が出てきます。
私はこの瞬間がとても重要だと思っています。
外から与えられたDXが、
自分たちの業務改善
に変わる瞬間だからです。
私は昔から「差分」を見るようにしてきた
私は以前から、街を歩くこと、会社を見ること、人と話すことを意識してきました。
そこで見るのは「差分」です。
会社が言っていることと、現場で起きていること。
制度で決められていることと、実際に行われていること。
管理者が考えている業務と、働く人が実際にしている業務。
顧客が「困っている」と言っていることと、本当に余力を奪っていること。
人と話していると、
「昔からこうしています」
という言葉が出てくることがあります。
そこには理由がある場合もあります。
逆に、以前は必要だったけれど現在は必要なくなっていることもあります。
PCの前だけでは、この差分はなかなか見つかりません。
AIに、
「介護事業所向けのAIサービスを10個考えてください」
と聞けば、10個でも100個でも提案してくれるでしょう。
そして今なら、そのうち何個かを実際に作ることさえできます。
しかし、
その事業所で昨日、職員が20分余計な仕事をしていた理由
は、現場へ行かなければ分かりません。
人と話さなければ分かりません。
「作れる」が価値ではなくなる
そして私は、ここがAI時代の大きな転換点だと思っています。
現在はAIを使える開発者が大きな恩恵を受けています。
しかし、それはずっと続くでしょうか。
AIがさらに進化すれば、いずれ顧客自身が、
「こういうアプリを作って」
とAIに頼めるようになります。
そうなれば、
AIでアプリを作れます
ということ自体の価値は急速に下がります。
これは過去のコンピュータ化との大きな違いです。
会計事務所がコンピュータ化しても、顧問客が自分で会計システムを開発することは困難でした。
しかしAIは、開発能力そのものを顧客側へ渡していく可能性があります。
だから、
作れる人
から、
何を作るべきかを一緒に発見できる人
へ価値が移っていくのではないでしょうか。
だから、今ある業務をそのままシステム化しない
顧客から、
「この仕事をAI化してください」
と言われたとします。
すぐに作ることもできます。
しかし、その前に聞いてみる。
「なぜ、この仕事をしているのですか?」
「誰が使うのですか?」
「その人は何を確認していますか?」
「同じ情報を別のところにも入力していませんか?」
「この作業そのものをなくせませんか?」
すると、
業務をAI化することより、業務そのものをなくした方がいい
ことがあります。
私は、こちらへ移っていきたいと思っています。
システムを売る側から顧客を見るのではなく、
顧客側から業務を見る。
その上で、
AIでできること。
AIでやらない方がいいこと。
小規模事業者では維持が難しいこと。
既存サービスを使った方がいいこと。
人間に残すべきこと。
そもそもやめていいこと。
これらを一緒に考える。
私は、この関わり方を「参加翻訳」と考えています。
参加翻訳者は、答えを急がない
参加翻訳では、正しい答えを知っているだけでは足りません。
こちらには、
「この仕事はいらない」
と見えているかもしれない。
しかし、相手がまだそこまで理解していないなら、一足飛びに進めない。
小さく変える。
使ってもらう。
少し楽になってもらう。
話を聞く。
そして待つ。
本人が、
「これなら、こっちも変えられるんじゃない?」
と気づくまで待つ。
つまり参加翻訳には、
見る力、聞く力、翻訳する力、作る力、そして待つ力
が必要なのだと思います。
顧客自身が気づいた改善は強い。
なぜなら、それはもう「導入されたシステム」ではないからです。
自分たちで始めた改善になります。
これは釣りに似ている
私はこの関係を考えていて、釣りに似ていると思いました。
現代の漁には高度な技術があります。
レーダーがある。
魚群探知機がある。
GPSがある。
高速のリールがある。
獲った魚を高品質で保存する急速冷凍もある。
しかし、だからといって魚の習性を知らなくていいわけではありません。
魚はどこにいるのか。
潮はどう動くのか。
水温はどうか。
何を食べているのか。
いつ動くのか。
優れた道具を持ちながら、海を見る。
そして魚が動くのを待つ。
AIも同じではないでしょうか。
裏側には最新技術を持っていればいい。
AI、バイブコーディング、自動化、データ分析。
使えるものはどんどん使えばいい。
しかし、PCの前だけに座ってはいけない。
外へ出る。
街を見る。
会社を見る。
仕事を見る。
そして人と話す。
そこで差分を探す。
何かを見つけても、すぐに全部変えようとしない。
相手の動きを見る。
小さく仕掛ける。
反応を見る。
待つ。
そして相手が動いたら、裏側に持っている最新技術を一気に使う。
だから私は、AI時代に必要なのは「AIか現場か」という二者択一ではないと思っています。
レーダーを使いながら、海を見る。
AIを使いながら、人を見る。
それでいいのです。
むしろAIが強くなればなるほど、人間には現場を見る力が必要になる。
なぜなら、作る能力が余り始めるからです。
これから希少になるのは、
何を作れるか
ではなく、
どこに本当の差分があるのかを発見できること
なのかもしれません。
そして、その差分を顧客と一緒に見つけ、AIへ翻訳し、小さく実装し、また現場を見る。
その循環を続けていく。
最終的には、参加翻訳者がいなくても顧客自身が、
「ここ、おかしくない?」
「AIなら変えられない?」
「そもそも、この仕事いらないんじゃない?」
と考えられるようになる。
そこまで行けば、AI導入は成功したと言えるのではないでしょうか。
AIをたくさん使う会社を作ることが目的ではありません。
自分たちの仕事を自分たちで見直し、必要なところにAIを使える会社になること。
そのためには、AIの圧倒的な速度だけでは足りません。
現場を見ること。
人と話すこと。
そして、人が自分で気づくまで待つこと。
AIの速度で準備し、人間の速度で変える。
私は、それがAI時代の「参加翻訳」なのではないかと思っています。
