田山花袋の意外な話3つ─『蒲団』の四か月前に、そっくりな小説を書いていた
田山花袋という作家がいます。
明治40年に『蒲団』という小説を発表して、日本の文学の流れを変えた人です。
弟子だった若い女性が去ったあと、彼女の残していった蒲団に顔をうずめて泣く。そんな場面で終わる話です。
その花袋について、調べていて驚いたことを三つ書きます。
1. 四か月前に、そっくりな小説がある
『蒲団』が出たのは明治40年の9月です。
その四か月前、同じ年の5月に、花袋は『少女病』という短い小説を発表していました。
主人公は三十七歳の男。妻と小さな子どもが二人います。千駄ヶ谷の家から代々木の駅まで歩いて、電車で神田の会社に通っています。
この人の唯一の楽しみが、通勤の電車でした。車内から、若い女の人をながめるのです。どの駅から誰が乗ってくるかまで、全部覚えています。
(すでにここで気持ち悪いという声が聞こえてきそうですが……)
近所でも会社でも、変わった人だと笑われています。
そして最後、彼は電車から線路に落ちて、あっけない最期をむかえます。
妻子のある中年男が、若い女性に心をうばわれておかしくなっていく。
『蒲団』とほとんど同じ骨組みです。
四か月あとに書かれた有名なほうだけが残って、こちらはあまり読まれなくなりました。
2. 二人の主人公は、同じ名前を持っている
もっと驚いたのはここです。
『少女病』の主人公は、杉田古城といいます。
そして『蒲団』の主人公は、竹中時雄。作家としての筆名は、竹中古城です。
古城。同じ名前です。
さらに『蒲団』を読んでいくと、こんな一節が出てきます。
竹中時雄は三十四、五のころ、会社へ行く途中で毎朝会う美しい女教師がいて、その人に会うのが、その日その日の唯一の楽しみだった。
『少女病』の男と、まったく同じことをしています。
四か月前に書いた男を、花袋はもう一度出してきたことになります。
『少女病』では、若い女性に心を奪われる中年男を、最後に電車の下へ落としました。
四か月後の『蒲団』では、よく似た男を生かしたまま、そのみっともなさを最後まで書いています。
そう考えると、『少女病』は『蒲団』の試作品のようにも見えてきます。
3. 明治の「少女」は、二十二歳でも「少女」だった
『少女病』という題名を見ると、小さい女の子の話だと思うかもしれません。
ところが、そうではありません。
作中で、主人公は電車で向かい合わせに座った二人をながめます。
一人は袴をはいた女学生。もう一人は、学校には通っていない二十二、三歳の女性です。
この二人を、花袋はまとめて「少女の姿」と書いています。
二十二、三歳が「少女」に入っているのです。
当時の「少女」は、今よりも意味が広い言葉でした。
もともとは「をとめ」と読み、まだ結婚していない若い女性を指します。
子どもという意味ではありませんでした。
ところが明治になると、意味が変わりはじめます。
女学校が全国にでき、『少女界』『少女世界』といった雑誌が次々に創刊されました。
そこから「学校に通う年ごろの女の子」という、今に近い意味が広がっていきます。
このうち『少女世界』を出したのは、博文館という当時いちばん大きな出版社です。
そして花袋は、その博文館の社員でした。
『少女世界』の創刊が明治39年9月、『少女病』の発表がその八か月後です。
花袋は、新しい意味での「少女」を読者にした雑誌を出している会社の中にいながら、自分の小説では古いほうの意味で使っていたことになります。
『少女病』は、ちょうどその意味が入れかわる時期に書かれた作品でした。
文字は同じ。読み方も同じ。それなのに、指しているものが変わっている。
知らない言葉なら、わたしたちは辞書を引きます。
でも、知っている言葉は引きません。
昔の文章を読むときの落とし穴は、たぶんそこにあります。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援よろしくお願いします!
いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!