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ハイラルは一日にして成らず──時間を旅する都市、ローマにて|回生の旅路 #6

みなさんにとって、旅の目的って何ですか?

美味しいものを食べること。綺麗な景色を見ること。
日常からちょっと離れて、深呼吸し直すようなこと。

それもぜんぶ、素敵な目的やと思います。

けれど僕は、ある時から、こう考えるようになったんです。

──旅って本当に、“空間”を移動するだけでええんやろか?

今回書くのは、そんな僕の旅の感覚がガラッと変わった瞬間の話です。
そしてそれが、あのゲーム『ブレス オブ ザ ワイルド』にどう繋がっていったか。
「時間を旅する」という不思議な体験の記録。



1|街が似すぎていて、旅が虚しくなった

ヨーロッパで暮らしていた頃、旅に出るたびに最初は感動してました。

「映画やん……」

自己紹介シリーズの②でも書いたけど、初めてブリュッセルやロンドンを歩いたときは、
石畳の広場や古い教会、ジブリに出てきそうなオシャレなカフェ、まるで物語の中みたいに感じてた。

でも、不思議なもので。
ヨーロッパで旅を重ねれば重ねるほど、ふとある瞬間が訪れたんです。

──どこに行っても、同じように見える。

ブリュッセル、ロンドン、ワルシャワ…etc。もちろん国も文化も違う。
けど、目の前に広がる「いかにもヨーロッパ」な街並みは、どこか既視感のコピペみたいで。

ヨーロッパのどこでしょう?


「自分は何を求めて、こんなに移動してるんやろう?」って、急に不安になった。

友達に聞いてみたんです。「旅の目的って、なんやと思う?」って。

返ってきたのは、「美味しいご飯」「映える景色」「非日常を味わいたい」──そういう答え。

たしかにそれも旅の醍醐味やと思う。
けど僕は、そのどれにも自分の“芯”を見つけられなかった。

移動を繰り返すほど、空虚になっていく。
次の目的地が決まっていても、心が置いてけぼりになる。

そんな時期に、たどり着いた場所があった。

──ローマ。
そこは、“旅の目的”がガラッと書き換えられる場所だったんです。



2|ローマという“時間の地層”

ローマに来たのは、博士課程の共同研究がきっかけでした。
滞在中は昼間だけ実験があって、それ以外の時間は基本フリー。

ホテルでじっとしているのも退屈やし、せっかくだから街に出て、地図を持たずにぶらぶら歩いていた。

すると、思いがけず、心を持っていかれるような場所に出会ったんです。

フォロ・ロマーノ。

紀元前6世紀から紀元3世紀の遺跡

古代ローマの神殿跡や石柱が、地面からにょきにょきと突き出ている。
「過去」そのものが露出しているような、不思議な空間。

でも不思議なのは、それだけじゃない。

遺跡のすぐ隣には、ルネサンス期に建てられた教会や、
中世の建築がそのまま保存されていたりする。

道は現代のアスファルトで舗装され、バイクが通りすぎていく。

一か所に、複数の“時代”が層のように積み重なっている。


ローマでは、場所を移動しなくても、“時代の深さ”に触れられる。

観光ではなく、“時間を旅している”ような感覚。
自分の足が、今という堆積した時間の地層の上に立っているんだと気づいた瞬間。

──これは、ただの「都市」やない。
ここは、“時間の都市”や。

ローマは1日にして成らずとはよく言ったものだ。



3|横軸だけの旅、縦軸のある旅

あのとき、ローマで感じたのは、
「旅には二つの軸がある」ということだった。

ひとつは、空間を移動する“横軸”。
もうひとつは、時間をさかのぼる“縦軸”

これまでの僕の旅は、完全に“横”だった。
どれだけ遠くまで移動したか、何か所の国を巡ったか。
「次の目的地」があることが、旅そのものやと思ってた。

でも、ローマでは違った。

同じ場所に立ち続けているだけで、
何層もの時間が、その足元から立ちのぼってくるような感覚。

2000年前の神殿、500年前のルネサンス建築、現代の交通インフラ──
すべてが“同時にそこにある”という空間。

たとえば、この石畳の上をレオナルド・ダ・ヴィンチが歩いたかもしれない。
それを想像するだけで、いま目の前の景色が少しずつ“深く”なっていく。

ただの「今いる場所」が、時間の交差点になる。


──これって、ゲームで言うところの“フィールド”の概念を、まるごと裏返した感覚やなって思った。

そう、『ブレス オブ ザ ワイルド』の世界もそうだった。

ただマップが広いだけじゃない。
「この場所で、かつて何が起きたのか?」を、プレイヤーに問いかけてくる世界。

ハイラルの平原に立ったとき、僕は思った。
「ここには昔、村があったんだな」
「この倒れた塔には、何か物語があったんだろうな」って。

プレイヤー自身が、物語の“復元者”になっていく。

──地図を塗りつぶす旅じゃない。
記憶を掘り起こす旅なんや。

空間を動くことだけが旅やと思ってた自分に、
「立ち止まって潜る」という視点をくれたのが、
ローマであり、ブレワイやった。

ルネサンス期のフレスコ画 (1508〜1524年ごろ)


4|ハイラルにも、時間の層があった

『ブレス オブ ザ ワイルド』の世界には、二重の“時間の跡地”がある。

ひとつは、100年前。
厄災ガノンによって滅ぼされた街や村。
焼けた馬宿、折れた塔、草に覆われた兵士の記録。

「かつてここに人が生きていた」と感じられる、記憶の痕跡が、世界のそこかしこに残っている。

そしてもうひとつは、1万年前──
ゾナウ文明と呼ばれる、古代の高度な文明の遺跡。
シーカー族に伝わる技術よりもさらに古い、巨大で不気味な祠や遺構が、静かに眠っている。

この二つの時間が、同じフィールドの上に重なるように存在している。

それが、このゲームの“異質さ”であり、“深さ”だった。

1万年前と100年前──
100倍もの時間差が、“隣り合って”そこにある。

ローマで見た時間の地層と、まったく同じ構造だった。

フォロ・ロマーノで出会った、古代ローマの礎石のすぐ上にルネサンス建築がのっている風景。
その隣に立つ、今どきのバイク。スマホで自撮りする観光客。

──そう、大過去と過去と現在が、断絶されずに地続きで共存している。

時間って、必ずしも“直線”じゃない。
重なって、混ざって、反響しあって、いまの風景をつくっている。


そしてリンクも、僕も、
その“時間のレイヤー”の上を歩いていた。



5|立ち止まらなければ、見えなかった

思えば──
旅がただの「移動」じゃなくなったのは、自分自身が立ち止まったからかもしれない。

うつで寝込んでいた頃。
スマホの地図を見ることすら怖くて、駅まで行くのも無理で。
旅どころか、近所のスーパーにも行けなかった。

「どこにも行けない」ことを、ずっと“敗北”やと思ってた。
でも今は、少し違うふうに思える。

行けなかったからこそ、見えたものがある。

人は、動けないとき、“今いる場所”に目を凝らすようになる。
時間の縦軸を掘るように、風景の奥行きを探すようになる。

そのとき初めて、「ここには、かつて誰かが生きていた」とか、
「この場所には昔、別の姿があった」と感じられるようになった。

旅に出ないと得られないと思っていた“気づき”が、
ほんの数メートルしか移動していない自分にも、訪れた。

リンクが回生の祠から目覚めたように、
僕もまた、ベッドから起き上がったあの日から、
“同じ世界を、違う目で見る旅”が始まっていたのかもしれない。


6|歴史を知れば、普段の散歩も旅になる

今、僕は大阪に住んでいる。
遠くの国へ旅をする元気はない。

けれど──
この街にも、“時間の層”があると知ってから、
僕の日常はすこし変わった。

たとえば、地名。
難波、道頓堀、心斎橋……。

大阪には、水にまつわる地名がとても多い。
そのほとんどが、かつて川が流れていた場所や、
舟運で栄えていた町の名残なんだそうだ。

そんなことを知ってからは、
ただ歩いているだけでも、ちょっと不思議な気持ちになる。

「この道は、昔は川だったんかな」
「ここで舟を降りて、誰かが橋を渡ったんかもな」

昔の地図を片手に歩くと、現在の道とぴったり重なるところもある。
まるで“昔の川筋の上”を歩いているみたいで、
同じ風景が、少しだけ“違って”見えてくる。

でも、それだけじゃない。

大阪の大地そのものが、
とんでもなく“歴史の深い場所”だったりする。

たとえば、飛鳥時代には難波宮があった。
古代の首都のひとつとして、政治の中心だったこともある。

さらに遡れば、古墳時代。
巨大な前方後円墳が、街の真ん中に今も残っている。
仁徳天皇陵古墳──あれは、地元の公園じゃなくて、
世界最大級の“記憶のモニュメント”や。

そんな視点で街を歩くと、
ビルの合間にある丘や、公園の地形でさえ、
何かを語りかけてくるように思えてくる。

“ここ”は、ただの「今いる場所」やない。

古代と中世と現代が、レイヤーになって重なっている、僕だけのハイラルだった。

遠くに行かなくても、
時間の縦軸を旅することで、風景は新しくなる。


歴史って、過去を知るためのものじゃない。

“今ここ”を、もう一度見つめなおすための道具なのかもしれない。

旅の目的も、少し変わった。

「どこへ行くか」より、「どう見るか」。
移動のスピードより、まなざしの深さ。


それを教えてくれたのが──
ローマであり、ブレス オブ ザ ワイルドであり、
そして何より、“立ち止まる”という経験そのものやったんかもしれない。


水の都、大阪



次回は「ゲームを飛び出して、地元で記憶の旅へ。」です。乞うご期待!



あとがき

学生時代、もっとちゃんと日本史とか世界史とか勉強しとけばよかったと思いますね。あの時は試験のためにしか勉強してなかったな。

ある友達は建築学科出身で「あ、これはなんとか様式だ〜」とか、高校で歴史教えてる友達は「ここがあの跡地か」とか色んな楽しみ方していた。

自分も科学徒なのでスイス行った時に、ここでアインシュタインが講演したのかとか感動したのを覚えている。

みなさんの旅の"軸"はなんですか?よかったらコメント欄で教えてください!

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