世界が少しだけ良く見えるとき~僕がここ数年で、最も聴いているクリスマスソング~
12月の街は、少しだけ嘘をつく。
光が増え、音が増え、笑顔が増えたように見える。イルミネーションは夜を明るく塗り替え、街を歩く人たちは、どこか急いで、どこか楽しそうだ。
その光景を前にして、なぜだろう、胸の奥が静かにざわつくことがある。悲しいわけでも、寂しいというわけでもない。ただ、きれいすぎるものを前にしたときの、言葉にならない感情。
そんな夜に、僕はこの曲を聴く。
クルアンビンの「Christmas Time Is Here」。僕がここ数年で、いちばんよく聴いているクリスマスソング。
そしてこれは、華やかなクリスマスの街並みやイルミネーションを前に、少しだけ感傷的になっている人にこそ、手渡したい一曲でもある。
もともとは、とても有名なクリスマスソングだった
この曲は、1965年に放送された『A Charlie Brown Christmas(チャーリー・ブラウンのクリスマス)』のために書かれた楽曲だ。
そして、この曲が入っているのは僕が最も好きなクリスマスアルバムでもある。
作曲はヴィンス・ガラルディ。子どもたちのコーラスと、柔らかなジャズピアノ。「アメリカのクリスマス」を象徴する名曲として、長く愛されてきた。
歌詞の中には、こんな言葉がある。
"Love and dreams to share"(分かち合うための愛と夢)
そして、少し後に、こんな一節が現れる。
"Oh, that we could always see such spirit through the year"(ああ、こんな心を、一年を通して持てたなら)
これらは一続きの文章ではない。けれど曲全体を通して聴いていると、同じ願いを別の角度からなぞっている言葉のように感じられる。
クルアンビンのカバーは、何が違うのか
クルアンビンのカバーを聴くと、まず気づくのは、音の余白の多さだ。
原曲のピアノとコーラスは、ローラ・リーのウィスパーボイスと、マーク・スピアのギターに置き換わっている。ギターの音色は乾いていて、リバーブが深く、まるで遠くから届くような響き。ドラムのビートはゆったりとして、前に出ない。
ジャズとも、ポップとも、ソウルとも言い切れない。アメリカの曲のはずなのに、タイ音楽や中東の音階を思わせる瞬間がある。
さらに言えば、いつの時代の音楽なのかもわからない。1960年代の懐かしさとも違うし、今っぽい洗練とも、少し距離がある。
まるで、どこか遠い場所、来たことはないはずなのに、でも確かに知っているところに、連れていかれるような感覚がある。
盛り上げない、説明しない、押し付けない
クルアンビンのアレンジは、とても抑制的だ。
声は囁くようで、感情を前に出さない。祝祭を強調しない。サビで盛り上がることもない。
「クリスマスだから楽しく」「クリスマスだから幸せでいよう」
そうした分かりやすいメッセージを、この曲は一切、押し付けてこない。
だからこそ、きらびやかな街の明かりを見て、理由もなく少しだけ感傷的になっている心にも、無理なく入り込んでくる。
残るのは、心のあり方だけ
聴いているうちに、クリスマスという特定の行事や文化は、少しずつ後景に退いていく。
代わりに残るのは、こんな感覚だ。
誰かにやさしくなれた気がした瞬間
世界が、ほんの少しだけ良く見えた時間
それが続いてほしい、という静かな願い
それだけだ。
だからこの曲は、クリスマスを祝わない人にも届くし、雪のない場所でも成立するし、年の終わりでなくても、聴けてしまう。
国や時代を越えて、感覚だけが残る音楽になっている。
なぜ、ここ数年でいちばん「聴いている」のか
この曲が、僕にとって特別なのは、希望を声高に語らないからだと思う。
世界は、そんなに簡単には良くならない。あの「いい感じ」は、たぶん長くは続かない。
それでも、世界が少しだけ良く見えるときを、どうにか手放さずにいたい。
そんな気持ちを、否定せず、誇張もせず、ただ受け止めてくれる。
クルアンビンの「Christmas Time Is Here」は、未来を約束する音楽ではない。でも、信じてみたくなった気持ちだけは、残してくれる音楽だ。
クリスマスの夜に、ひとりで聴いてもいい
この曲は、誰かとパーティーをするときの音楽ではない気がする。
むしろ、イルミネーションの帰り道や、灯りを落とした部屋で、ひとりで聴くのがちょうどいい。
華やかな季節の中で、少しだけ立ち止まってしまった人に、「その感じで大丈夫ですよ」と言ってくれるような曲。
僕はここ数年、12月になってクリスマスが近づくとこの曲をずっと聴いている。繰り返して。
そして、この曲が流れている間は、世界が優しさに包まれているのを忘れないでいようと思うのだ。
