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溺れる記者の戦場① こころの中の戦場

アルコール依存症記者の戦場①

アフガニスタンの首都カブールの地雷原=Photo by Takeshi Kiryu

 本物の戦場から戻ったはずだった。だが、銃声のない日本で始まったのは、アルコール依存症という、もう一つの戦いだった。これは、記者である「ぼく」が入院治療を通して向き合った、回復までの記録だ。

 二〇〇一年九月十一日。米同時多発テロで、アメリカの富とニューヨークの象徴だった世界貿易センタービルや、国防総省(ペンタゴン)が崩壊した。当時、全国紙記者でドイツ特派員だったぼくは、その様子を首都ベルリンのテレビで、開いた口が塞がらないまま見ていた。ジャンボジェット機をハイジャックして突っ込んだ実行犯の一人がハンブルク工科大学の留学生だった。彼はハンブルクを拠点に他の実行犯ともつながるネットワークを構築していたことが次第に明らかになってきたのだ。

 仕事が急に忙しくなった。ベルリンからハンブルクはかなり遠い。毎日のように特急で四時間かけてハンブルクに通い、実行犯の人物像を探ろうと必死だった。

 テロの報復としてアメリカが始めた二つの戦争があった。アフガニスタン(二〇〇一〜二〇〇二年)とイラク(二〇〇三年)だ。しかし、当時のブッシュ米政権が目論んだ大量破壊兵器は結局どこにもなく、大義名分のない戦争になった。

 それらの戦いが終わった初夏。ぼくは戦地取材を終え、五年間の特派員生活から日本に帰国した。ところが、戦場での緊張感と、ある意味での充実感や興奮から冷めやらず、日本に適応できずにいた。この国では銃声は聞こえない。迫撃砲が「しゅるるる…」と音を立てて頭上を飛んで行き、わずか百メートル後方で爆発することもない。なんと平和なんだ。それが違和感だった。

 それから一年経ったころだ。家族や友人に『お酒の飲み方がおかしい』と何度も言われるようになった。しかし、ぼくは治療から逃げ回った。精神科はハードルが高かったからだ。まだ〝心療内科〟なんてなかった。でも…。

 その年七月末。あれだけ嫌だった入院治療に、ついに踏み切った。最後に決断したのは自分だけれど、お酒のせいで、まともに仕事に行けなくなるまで心身の状態は悪化していた。上司である東京本社社会部デスクのお見舞いがなかったら、おそらく入院には踏み切っていなかったと思う。

 入院初日の回復プログラムをすべて終えても、「嫌だ」という気持ちは変わらなかった。入院だと思うと辛いので、強制的な隔離生活だと思えば、少しは気が紛れただろうか。常に「何のために入院しているのか」を自問自答しないと、耐えられそうになかった。

 ではここから、自分の生きる意味を問い続けた過程を記しておきたい。

 その日。

 午前 十時過ぎ、アルコール症専門病院に着いた。血圧と体重、体温を計った後でしばらく待たされた。さまざまな説明を受け、承諾書に署名・捺印した後で、病室に行く前にナースステーションで荷物の徹底検査があった。あわよくば(入院中に取材も)などと考えていたのだから、「自分は病気だ」という自覚がぜんぜん足りなかったのだろう。よく考えれば当たり前だけれど撮影は一切禁止で、デジタルカメラは持ち込めなかった。それどころか小さなはさみ、爪切り、コードの長い電源タップ、のど薬などもNG。スプーンは良くてもフォークの持ち込みはだめ。自分では管理できても他の患者がこれらを使って〝良からぬこと〟をするのを徹底的に響戒しているようだ。フォークやはさみは自傷行為に使えるし、電源のコードも、命に関わる行為に使われかねない。北関東の山奥にある専門病院はアルコール依存症だけでなく薬物依存症や摂食障害、窃盗症(クレプトマニア)などの治療にもあたるため、薬物が隠されていないか、ノートや手帳の間まで徹底的に調べられた。今後も抜き打ち的に所持品検査はあるという。まるで、犯罪容疑者になったかのように感じた。

 昼食を終えた後、「AKP」という会合に出た。AKPは「アルコール教育プログラム」の略。看護師が三〇分講義し、三〇分は参加した患者が全員ひとことずつ述べる。

 この日はアルコール依存症になぜなるのか、どう治療するのかという課題だった。タイトルは「断酒治療と回復」。印象に残った言葉を書き留めておこう。

 アルコール依存症の場合は「治癒」ではなく「回復」。ぼくは意味をつかみかねて質問した。回答はこうだった。

 「例えば糖尿病などと同じ。治療は行っても、一生、抱えて生きていかなければならない」

 「進行がんと同じようなものですか」と聞いてみた。手術で患部を切除しても、再発や転移の可能性もある。アルコール依存症も「同じだ」という。

 つまり、節酒では何にもならない。アルコール依存症から「回復」するには「断酒」しかないということだ。注意点は①空腹にしない②怒りから距離を取る③飲酒欲求にひとりで打ち勝つのは困難。だから孤独にならないこと。仲間を作る④疲労しない——などがポイントという。そのために生活リズムをしっかりさせることが大切だとも。今は治療の考え方も少し変わってきたけれど、当時は「断酒しかない」がスタンダードだった。

 看護師は「途中で〝スリップ 〟(再飲酒してしまうこと)しても自分を責める必要はありません。再び断酒のスタートラインに立てばいい」と言ったけれど、ある患者は「生活リズムがきちんとしている人は納得できないのではないか。ミーティングをすっぽかしたり、公衆道徳を守れない、あるいは時間や規則を守れない人は…まずこういうことをできるようにするのが先決ではないか」と言った。この人によると、退院してから一生、アルコールを一滴も口にしない患者はほんのわずかなのだという。

 夕食後には患者だけのミーティングだ。「言いっ放し、聞きっぱなし」が原則で、自分のことしか話してはならない。他人の発言に意見や質問、批評をしてはならない。

 自身も患者である司会者いわく「ここは断酒を目指す人たちが話し合う場所であり、AA(アルコホーリクス・アノニマス)=無名のアルコール依存症者の集まり=は断酒会ではない。議論して結論をまとめる場所ではない」という。そして、この場で出た話は一切、外部に漏らすのは禁止だ。入院中、記事の材料にしようと考えていたぼくの甘い考えは見事に打ち砕かれた。

 でもそれを承知で、ギクリとした出席者の発言を、個人が特定されないようにできるだけ注意しながら書き留めておきたいと思う。

 「否認しているうちは楽にならない」

 つまり「自分はアルコール依存症なんかじゃない」と否定し続けているうちはどうにもならない。もっと分かりやすく言った人がいた。「七年前、東京で初めてミーティングに出た時の印象は『こんなやつらと一緒にいなければならないのか。俺は貴様らとは違う』という強烈な否認だった」

 ぼく自身が感じていたことと同じだ。(おれはこいつらとは違う)。でも驚いたことに、患者の中には寺の住職や有名大学の名誉教授、現役の医師らもいた。住職は「ミーティング自体が治療だよ」と言った。きっと、そうなのだろう。

 「治癒」「完治」はしない、回復するしかない病気。だが、どこまで回復したら元気になったと言えるのだろう。

 「普通の飲酒者にはもう一生、戻れない」

 本物の戦場から、今度は自分との戦いが、ぼくの新しい戦場になった。

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