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安っぽい情報。安っぽい人間。

インターネットという「情報のジャンクフード」

インターネットは、誰もが利用できる便利な媒体だ。知りたいことを一瞬で調べられるし、世界中の人間が作ったコンテンツに触れることもできる。けれど僕は、インターネットには別の側面があると思っている。
人間を、少しずつ堕落させる方向へ最適化されている。

目先の高評価が欲しくて、誰もが情報を安売りした。その結果、情報そのものの市場価値は暴落した。
どれだけ考え抜かれた情報なのかよりも、どれだけ早く、手軽に、大量に消費できるか。いつの間にか、そんな勝負になってしまった。
情報はジャンクフードのようになった。安い。早い。刺激的。そして、いくらでも食べられる。僕たちはそんな環境に慣れ切ってしまった。
そして皮肉なことに、安く摂取できるものに慣れた僕たちは、そのコンテンツの価値を自分たちが判断する側だと思っている。

「これはつまらない」
「これは質が低い」
「こっちのほうが面白い」
そうやって評価している。
でも、その判断基準そのものが、安い情報を大量に摂取する環境によって作られているとしたらどうだろう。

刺激が、集中力を食い潰していく

SNSには、無数の人間の意見が流れてくる。
自分の考えとは違う意見。自分を否定する意見。自分より優れているように見える人間。誰かから評価されている人間。
そんなものを毎日浴び続ければ、人間は「何を考えるか」よりも、「どう見られるか」を気にするようになる。

特に子供にとって、この環境はかなり特殊だと思う。

失敗してはいけない。間違ったことを言ってはいけない。嫌われてはいけない。炎上してはいけない。

そうして、何かを本気で追求するよりも、非の打ち所がない人間のふりをすることだけが上手くなっていく。

さらに動画コンテンツは、次々と刺激を与えてくる。

数十秒で内容が完結する動画。数分で要点だけをまとめた解説。次に見るべき動画を勝手に提示してくれるアルゴリズム。退屈する暇すら与えられない。

その結果、僕たちは「集中できなくなった」というより、集中し続ける必要のあるものを避けるようになったのではないかと思う。

みんな飽きっぽいんだ

流行の寿命も短くなった。昨日まで皆が知っていたものが、今日はもう古い。新しい曲、新しいミーム、新しい映像、新しい言葉が次々と現れて、前のものを押し流していく。

すべてが大量生産され、大量消費される。音楽も、その影響を強く受けているように感じる。
もちろん、今の音楽が昔より劣っていると言いたいわけではない。優れた作品はいくらでもある。
ただ、作品そのものよりも「一瞬で引っかかること」が求められるようになっているとは思う。
最初の数秒で耳を掴む。短い時間で印象を残す。切り抜きやすい。共有しやすい。

それは音楽に限った話ではない。映画も、漫画も、文章も、ゲームも、あらゆるコンテンツが「すぐに理解できること」「すぐに楽しめること」を求められている。

まるで世界中のコンテンツが、少しずつジャンクフードになっているように見える。

消去法の成功法

そして、この環境が最も怖いのは、単純に娯楽の質が変わることではない。人間の生き方そのものまで変えてしまうことだ。

努力をしなくても、無限に時間を潰せる。考えなくても、誰かが答えを教えてくれる。自分で決断しなくても、周囲が何を選んでいるのかを見ることができる。

「みんながそうしているから」「これが正解らしいから」「失敗しなさそうだから」そんな理由で人生を選ぶ。

本当は何がしたいのかを考える前に、周囲の意見を見て、そこから外れない選択肢を選ぶ。

人生を、自分で選ぶのではなく、消去法で残ったものから選ぶ。そういう人間が増えているように僕には見える。

もちろん、インターネットそのものが悪いわけではない。誰かの人生を救う情報だってある。遠く離れた人間と繋がることもできる。今までなら一生知ることのなかった知識にも触れられる。

だからこそ厄介なのだ。これは「悪いものを排除すれば解決する」という話ではない。

便利すぎるからこそ、人間が自分で努力する必要を奪ってしまう。

それでも僕らは生物なのか?

生物は、生きるために行動する。食べる。動く。学習する。競争する。環境に適応する。繁殖する。

もちろん人間には文化があり、文明があり、単純な生存競争だけでは説明できない。それでも僕たちは、生物として生きている。

……本当にそうだろうか。

一日の大半を椅子に座って画面を眺め、誰かが作った刺激を受け取り続ける。自分で考えるより先に検索し、自分で選ぶより先にランキングを見る。誰かの作った回答をさも自分のものかのように扱う。

人生そのものが、生産性のない消費によって構成されているのだとしたら、僕たちはまだ自分たちを「生物」だと言えるのだろうか。

今、人類は生物の頂点にいる。少なくとも僕たちは、そう思っている。

しかし、それがこれからも揺るがないと、誰が言えるのだろう。

アルゴリズムという名の息子

僕は、インターネットを悪だとは思っていない。インターネットには意思がない。善でも悪でもない。ただ、人間がそういう環境を作り、その環境に人間自身が適応しているだけだ。

けれど、その結果として起きていることを眺めていると、どうしても奇妙な感覚になる。

人間は、自分たちの生存能力を少しずつ手放している。

考えることを手放す。
覚えることを手放す。
努力することを手放す。
選択することを手放す。
その代わりに、便利さと刺激を手に入れている。

インターネットは、僕たちを生物から引きずり下ろそうとしている。それが善なのか悪なのか、僕には分からない。ただ、そうなっている。もしかすると僕たちは、人類という生物の完成形に向かっているのではなく、別の何かへ移行する途中にいるのかもしれない。

生物としての能力を捨て、情報を消費するだけの存在へ。自分で考えることをやめ、アルゴリズムに選択を委ねる存在へ。
そして、その先に何があるのかは分からない。
ただ僕には、この惨状が、人類が「次の生物」へ移行するための準備をしているように見えてならない。

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