自己犠牲は、美徳なのだろうか
自分の言動を振り返ることを習慣にしている。あの時の自分は適当な言葉で発言していたのだろうか。あの時の行動は無駄ではなかったのだろうか。
その中で、客観的に自分は「自己犠牲」をよくしている気がする。
要は「自分の欲求や幸福、時間や労力を後回しにして、他者や目的のために尽くす行為」のこと。
けど、一般的には自分のためによくない事(相手のためには良いこと)とされる節がある。
今回は、その「自己犠牲」について自分の考えと、自分のなりたい姿(夢(?))について記すことにする。
自己犠牲は、美徳なのだろうか。
あるキャラクターがいる。 そのキャラクターは自分の顔をちぎって、空腹の誰かに差し出す。 多くの日本人は、どこかでその姿を美しいものだと感じている気がする。
だから私たちも、「自分を削ってでも誰かを助けること」を、知らず知らずのうちに正しいことだと思ってしまう。
自己犠牲は、すべて悪いことなのだろうか。
私は自己犠牲を選ぶ人は、問題解決能力が高い人なのかもしれないと考えている。 その人はきっと問題と理想のギャップが見えている。 誰かが動くのを待つより、自分が動いたほうが早く解決することも分かっている。
だから前に出る。
「自分が評価されたい」からではない。 ただ、自分がやるのが一番早いと知っているだけだ。
しかも、その人は目の前の問題だけでなく、その奥にある本質まで見えていることが多い。
でもその能力は時に罠にもなり得る。
「自分がやれば解決する」ことが分かってしまうから、限界まで頑張ってしまう。 自分が限界だと思ったときには、とっくに限界を越していて疲弊している。
また自己犠牲する人の矢印は、いつも自分ではなく相手へ向いている。
相手のために。 周りのために。 組織のために。 未来のために。
でも、その「みんな」の中に、自分だけはいない。 自分がどうなっても、相手が助かればいい。 そんな思いが、どこかにある。
私の経験
私もそうだった。
周りのことばかり気にして、注意する側に立っていた。 でも、「それは君の役目じゃない」と言われた。
上からの圧力に苦しむ友人がいた。 頼ってきた自分にできることは、組織を変えることだと思った。 友人のために。 これから入ってくる人のために。
そう思って、自分の身を投げ出して戦った。
結果として、壊れたのは自分だった。
心が疲れ切り、何もかもが怖くなった。 何もしたくなくなった。
そのとき、ようやく気づいた。 自己犠牲は、一見美しいことかもしれないが、最後の手段であるべきだということに。
自分を守る方法をすべて試したあと、それでも誰かを守るために自己犠牲を選ぶものだ。 最初から選ぶものではない。 さらに誰かを大切にしたいなら、まず自分を大切にしなければならない。
自分が壊れてしまえば、守りたいものまで失ってしまう。
自己犠牲の先にあるもの
でも、きっと多くの人は自己犠牲選んでしまう。
私はその選択を、私は否定したくない。
あなたが考え抜いて、「これが今の自分にとって一番いい」と判断したのなら、私にはそれを否定する権利なんてない。
私の夢(?)
ただ、一つだけ気になることがある。
その選択は、自分にも優しくなれているだろうか。 「自分はどう思っているの?」と、自分自身に問いかける時間はあっただろうか。
私は、その選択に至るまでの物語を知りたい。 何を見て、何を感じて、何を守ろうとして、その決断にたどり着いたのか。
もしかしたら、話を聞いたところで何も解決しないかもしれない。
現実は何も変わらないのかもしれない。
それでも、その人の中にある本当の気持ちには、少しだけ近づける気がする。
だから私は、答えを渡したいわけじゃない。
「それは本当に、あなたの気持ち?」 そんな問いだけを、そっと置いて帰れる人でありたい。
誰かの人生を変える人ではなく、
自分の心にも目を向けるきっかけとなる問いを残せる人でありたい。
ってことで、「自己犠牲」と「私の夢」について書いてみました~
夢とは言いつつ、全然具体的ではないし何をしたいのか、自分でもやっぱりあやふやなところがあって、またこのnoteを通じてアウトプットしていきたいな。
学生は夏休み!社会人はただ暑いだけ!(笑)
よい夏を~
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ではこの辺で~
