-詩の感想-「帰途(田村 隆一)」
「帰途」
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の下からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
君の一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
感想
田村隆一の中でも有名な詩の一つです。私はこの詩がとても大好きで、「帰途」に出会って以降、田村隆一詩集を買い集め朗読する日々が始まりました。積極的に批評や論考・エッセイを残しているため、彼の詩に対する姿勢や考え方を深めやすいのがとても嬉しいのです。中でも「帰途」はとても綺麗な構成をしていて、完成度がとても高い詩だと私は思います。言葉がすっと身体に入ってくる感覚がありながらも、読み進めていく中で物語があり、読みかえす度に意味や感情が変化する自由さを持ち合わせています。またテーマの普遍性が時代を貫通していることで、62年経った今でも意味の鮮度を保ったまま現存しています。
第1連での”言葉なんかおぼえるんじゃなかった”というフレーズを初めて見た時衝撃を受けました。特に詩は言葉を慎重に扱うメディアであるため、”言葉なんかおぼえるんじゃなかった”という言い回しは一見して矛盾して見えますが、言葉にしかできない表現であるとも解釈できます。田村隆一も参加していた「荒地」の中で鮎川信夫は「詩は詩以外のどんな言語形式にもまして、観念と映像を極度に凝縮せしめ得るものであり、言葉の価値を最高度に発揮せしめ得るものであるということが證明されなければならない」と述べました。田村のこの一行は詩の持つ効果をまさに体現したものと言えます。
詩には「あなた」と「きみ」が出現します。田村の中に具体的な人がいるのか、ペルソナがいるのか、それとも読者を指しているのかは分かりませんが、第1連で綴った自身の内情が2人との距離感を通じて徐々に吐露されていきます。連の進行に伴い、もともと圧倒的な他者だった「あなた」と「きみ」に対して、涙や痛苦を目の当たりにしたことから、次第に涙や血の中に意味を見出し始め、自分自身に問う様になります。特にこの問いに用いられる比喩が美しいですよね。たった一滴の血や涙の中に夕焼けのひびきや果実の核ほどの意味があるのか?そんな問いを人生で一回でもいいので立ててみたいものです。
そして再び”言葉なんかおぼえるんじゃなかった”というフレーズが差し込まれ、日本語とほんのすこしの外国語を”おぼえたおかげで”と続きますが、私は一連の言い回しがとても秀逸だと思っていて、ネガティブな印象だった詩全体が少しポジティブな方向へ引っ張られていく力を感じます。自己に対してどこまでいっても圧倒的な他者であり続けてしまう「あなた」や「きみ」という存在の涙や血に対して、「言葉を知ってしまったことで理解しようとしてしまうジレンマ」とその奥にある「意味を与えてしまうことで本質的に理解はできないという悲しみ」以外に「言葉があったからこそ立ちどまり寄り添うことができたという喜び」が垣間見えるようになりました。"おぼえたせいで"と表現しないことで、言葉"なんか"おぼえるじゃなかったの「〜なんか」が強く引き立って見えますね。
近年の多様性社会以降に出てきた「分からなさを分かる」といった言説が頻繁に議論されている構造にも近い感覚があるように思います。人間は弱い生き物ですから、群れてコミュニケーションをすることで生き延びてきました。言葉はその中心にある存在であり、こうして詩について思いを馳せられているのも言葉があってこその行為ですが、現代社会では言語に依存し非言語的な情報を疎かにしがちです。分からないものをわからないまま飲み込む背景には、言葉以上の情緒があります。この詩を読む度に「夕暮れのふるえるような夕焼けのひびき」や「果実の核」に感動し、その感覚を大切に胸へ留めておく事の尊さに気が付かされます。
おすすめの本
「田村隆一詩集」
田村隆一の詩集で『四千の日と夜』『言葉のない世界』『腐敗性物質/恐怖の研究』が私が敬愛する杉浦康平による造本でエンボス加工の聞いた三冊の本をまとめたものです。一冊ずつ紙の質感が違うので読み味も異なります。



「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」
田村隆一にインタビューをしてまとめた本があります。実際に記者の方が自宅へ出向き、様々な内容について会話していくというもの。「なっ」で締めくくられる文章は目の前でこちらに語り掛けているような気さえしてきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
他にも詩や記事を書いていくので、興味を持っていただけると嬉しいです。
