自分のパンツは自分で洗え〜6、お金を出して、男を買う。①
草木も眠る丑三つ時。私はビジネスホテルのベッドの上で、バスローブ姿のまま正座をしていた。
34歳、3月。仕事終わりに飛行機に飛び乗り、日付が変わるころに成田空港に到着した。成田市の宿でシャワーを浴び、翌日のチェックアウト時刻から睡眠時間を逆算する。早々に布団に入った方が良いのはわかっているが、眠る前にやってしまわなければならないことがあった。
3月下旬とはいえ、北海道はまだまだ雪の季節。悪天候で飛行機が欠航しやすいため、冬は北海道から出ないことが多いのだが、私は有給をもぎ取って弾丸旅行を計画した。
待ち受ける春の最繁忙期。それに挑む前にエネルギーを充電しなければならない。成田山新勝寺や川越観光など予定を詰め込んだが、最大の目的は小説の仕事をもぎ取るための営業だ。今年こそ新刊を出さなければ、消えた作家になってしまうだろう。
正座姿のままLINEのアプリを開き、私は送信画面を立ち上げる。
それはとある予約サイトに連携しており、日付が変わってもなお働く人のいる夜の世界だった。
『はじめて利用します。わからないことが多いので、色々相談に乗っていただけますか?』
既読がつくのが早い。私は移動疲れで寝ぼけ眼だというのに、返信も自動応答ではなく人のぬくもりを感じられた。
『ご連絡ありがとうございます。はじめての利用とのこと、緊張しますよね』
はたしてこの文章を打っているのは男性なのか女性なのか。文体から探ろうとして、やめた。事前に読んでいた漫画のキャラクターを思い出し、内勤スタッフの女性と話していると想像する。
『急ですが、明日ーー今日の予約で対応できる方を希望しています』
2月の街コンから怒濤の日々を過ごし、私は半ばやけくそのように東京行きを決めたのだった。
ラウンジ街コンからヘルシー街コンをはしごし、ホスト系男子にセックスに誘われた夜。私はそれを冷たくあしらって帰路についた。
翌日の休日出勤は甲斐さんと一緒だ。仕事は平日ほど忙しくもなく、仕事中も雑談に花が咲く。私が街コンに参加した顛末を話すと、彼女はハラハラとした様子で相槌を打っていた。
「……よかった、ホスト君の家から出勤してたらどうしようかと思った」
「そんなにほいほい簡単についていきませんよ」
拒否する私に、ホスト君もしつこく食い下がることはなかった。休日出勤は若干の二日酔いが混じっているが、それはお酒好きの甲斐さんも同様だ。
「あのまま家に行って朝まで過ごしても、自分がよけい惨めになるだけだなと思って」
「そうだね。お互い割り切っているならまだしも、田丸ちゃんはヤリ目男子との出会いを探していたわけじゃないんだし」
ヤリ目、つまりワンナイトラブを狙う男子はマッチングアプリに多く存在する。結婚相談所では婚前交渉を一切禁止されているため、久しぶりにそういった類いの輩に遭遇した。いくらスペックの高い男性が集まる街コンといっても、皆が皆結婚相手を探しているわけではないらしい。
「……私、最後の彼氏と別れてからずいぶん経っているので、自分に自信がなくなっているのを感じます」
「あたしだってそうだよ。今の彼氏と付き合うまで何年も空いたもの」
婚活が上手くいかないと、自分への自信がどんどん失われていく。子どもを生む年齢、魅力的な容姿、そういった武器がない自分は価値がないのだと感じてしまう。その結果、ヤリ目男子に声をかけられ、卑屈な自分を隠しきれなくなっていた。
休日出勤後、徐々にお見合い成立の件数が増えた。桜田さんの言うとおり、婚活にも時期によって会員の動きが変化するらしい。週末にお見合いをこなすが、やはりうまくいかないことが多く、その悩みを甲斐さんに話す。そんな生活がまだしばらくは続くと思っていた。
3月中旬。4月の人事異動に向けて内示が出始めたころ、甲斐さんの異動が決まった。
勤務時間・残業時間ともに多い部署で何年も働いていたため、彼女の異動は妥当だと思った。年明けから仕事の引き継ぎも増え、私も内心覚悟はしていた。とはいえ、春からは部署で一番の繁忙期シーズンに突入するため、後任の人事には敏感にならざるを得ない。
「あたしの代わりに春から配属されるのは、4月入社の新卒の子です」
「……は?」
「なので、田丸ちゃんが新卒の指導係になります」
「いやいや、私まだ、中途の子の指導途中なのに」
業務多忙につき、私と甲斐さんのサポートとして中途採用のスタッフが入社していた。社会人経験はあるものの、医療業界は未経験。半年かけて育成し、基礎的なことはできるがまだまだ覚えることは山積みだ。甲斐さんの代わりに入るのは2年目か3年目の仕事を覚えたスタッフだと思っていたのだが。
まさか、なんの役にも立ちやしない新卒を配属するとは。
しかもこのドくそ繁忙期に。
5月にはコロナの五類以降が控えているというのに。
「無理ですよ、新卒なんて育ててる時間ないです」
「課長が田丸さんならやれると思うって」
「私、絶対、倒れますよ」
繁忙期を経験するのもこれで3年目。21時22時の帰宅が毎日続き、休日は寝て過ごす生活が夏まで続くのだ。
新卒と中途を育成しながら繁忙期を回すということは、責任ある仕事をすべて私が引き受けなければならない。中途の子に業務を引き継ぎつつ、さらに新卒の指導をし、その間の業務判断は全て私が責任を負う。そのプレッシャーは計り知れず、過労で身体を壊す自分の姿がありありと浮かんだ。
「一度決まった人事を変えることはできないから、もうこれでやるしかないよ」
下手に騒ごうものなら、甲斐さんが残留になる可能性がある。彼女も最近は体調を崩し気味であり、私の味方になってくれることはなかった。
4月から始まる新人事に向け、私は一ひとつ、条件を出した。
3月下旬に有給休暇をもぎとり、英気を養うべく弾丸で東京に行くことにしたのだった。
『私が34歳なので、年齢の近い方を希望します。ジャ○ーズ系の女性らしいルックスやぐいぐい来るようなパリピ感がある人は苦手で、落ち着いた雰囲気のある男性がいいのですが……』
LINEに入力する希望条件。自分なりにwebサイトで調べてみたが、良し悪しの判断がつかなくなり、運営に相談することにした。はたして世の男性も同じようなことで悩むのだろうか。未知の世界過ぎて想像もつかない。
東京行きを利用して、私は婚活とは全く関係のない男性に会ってみようと思った。
小説家ではなく、自分というひとりの女性として会うため、創作関係の人は当てはまらない。マッチングアプリや飲み屋で出会いを探しても、ホスト君の二の舞になって終わりだろう。
然るべき手段で出会うほうが危険なことに巻き込まれる心配もないはずだ。
ホストクラブも初回ならお安く飲めるらしい。しかし、ホストの言うことなどあてにならないに決まっている。上辺だけの言葉で愛を囁かれてもよけい虚しくなって終わりだ。
レンタル彼氏という手もある。ホストよりは一対一で接してくれるだろう。しかし、『彼氏』をレンタルする以上、決められた時間内は恋人として振る舞われるのだろう。結局は恋愛の真似事であり、それが透けて見えては意味がない。
悩む私の頭に浮かんだのは、当時、様々な媒体で取り上げられるようになった女性用風俗だった。
コロナ禍で急増した女性用風俗の世界。はじめはアダルト要素の強い漫画や小説などで俗物的に描かれていたが、徐々に一般の漫画やエッセイなどでもその存在が描かれるようになった。
エロとしてわかりやすく消費できるアダルトコンテンツと違い、一般の漫画やエッセイで描かれる女性用風俗を利用するのは、何らかの悩みを抱える女性ばかりだった。
夫とのセックスレスで悩む女性、あるいは、恋人との夜の営みに悩みを抱える女性、男性経験がないことがコンプレックスになってしまった高齢処女。様々なエピソードに登場する女性たちは、女性用風俗を単なる性欲解消の場として使っていなかった。
私が書く小説のテーマに、ジェンダーや性について描いたものがある。デビュー作がファンタジー寄りの恋愛小説だったため、その後もプラトニックな世界を求められ、夜の色の濃いプロットを出しても相手にしてもらえなかった。
しかし、新人賞に応募する原稿では夜の描写もしっかり書いている。それで最終選考まで残ることもあったのだから、自分の方向性としては間違っていないのだろう。
作品の幅を広げるために、いずれ女性用風俗をテーマにした作品を書こうと思っていた。
体験取材と銘打てば立派な言い訳になる。ベッドの上に行かなくても、男性キャストと話すだけで知る世界もあるだろう。
東京に行ける機会はそうそうない。
やるなら、今だ。
『その条件ですと、こちらのセラピストがおすすめです』
私の覚悟を知ってか知らずか、運営が候補の男性ーーセラピストをふたり挙げた。
『どちらも少々ワイルド系ではありますが、エスコートの評価はいずれも高く、紳士的と評判ですよ』
URLをクリックすると、それぞれのプロフィールページにアクセスできる。源氏名と年齢、顔や全身の雰囲気を掴めるいくつかの写真。口元など個人が特定されないようモザイクがかかっているが、雰囲気は掴みやすく、ふたりとも私より年下だった。
『今ならどちらも空きがありますので、ゆっくり決めていただいて大丈夫ですよ』
時間をもらい、私はふたりのページを熟読する。運営が書いているとおぼしきPRは怪文めいているが、一問一答や挨拶文などはセラピストが自分で書いているらしい。
文章から人柄を見抜くのは大得意だ。私は口コミへの返事が丁寧な男性を選ぶことにした。
私がセラピストの指名をすると、親身に相談に乗っていた運営の対応が事務的なものに変わる。指名料や交通費、ホテル代についてなど具体的なお金の話になったが、明朗会計こそ信頼につながるのだろう。ひとしきりの説明が終わった後、再び、運営の言葉がやわらかいものに戻った。
『明日、お約束の時間に池袋待ち合わせでお願いいたします。細かな場所は時間が近くなったら連絡いたしますね』
『ありがとうございます。とても緊張しています』
『セラピストにも、緊張されていると伝えておきますね。今夜はゆっくりお休みください』
長い長いLINEのやりとりを終え、私はそのままベッドに突っ伏した。
生まれて初めて、お金を出して、男の人を買ってしまった。
