神社とお寺の違い、調べてみたら知らないことだらけだった話

神社とお寺の違い、
調べてみたら知らないことだらけだった話


貫井神社では、水の神様に雨で見送られた。

深川不動尊では、太鼓の音に体を震わされた。

どちらも心が動いた。でも、何かが違う。

そもそも、神社とお寺は何が違うんだろう。


祀っているものが、そもそも違う


神社は、神道の神様を祀る場所。

お寺は、仏教の仏様を祀る場所。

神社の御神体は、山や木、鏡や剣など、
見えない形で祀られていることが多い。

一方、お寺の仏像は、
人の目に見える形で安置されている。

深川不動尊の不動明王も、
堂々と本堂の正面にあった。

見えない神様と、見える仏様。
この違いが、そもそもの入口だった。


鳥居とは、山門とは


鳥居は、神域と俗世を分ける境界の印。

くぐった瞬間から、そこは神様の領域になる。

山門は、悟りの世界への入口。

俗世間と仏道の世界を分ける、
お寺にとっての境界線だ。

目を見開いた阿吽像や狛犬が門の両脇に立っているのは、悪いものが内に入ってこないようにするため。

深川不動尊の本堂にも、
力強い彫刻が施されていたのを思い出す。

役割は同じ。

ただ、境界の先にあるものが違う。
神社は神様の世界へ、お寺は悟りの世界へ。


手の合わせ方が、違う


これが一番、
体に染みついている違いかもしれない。

神社の作法は、こうだ。

1. 鳥居の前で一礼
2. 参道は中央を避け、端を歩く
3. 手水舎で手と口を清める
4. お賽銭を入れ、鈴を鳴らす
5. 二礼、二拍手、一礼

柏手の音で、神様に自分の存在を知らせる。

お寺の作法は、こうだ。

1. 山門の前で一礼(敷居はまたぐ)
2. 手水舎(常香炉があれば線香)で清める
3. 賽銭を入れる
4. 合掌して、一礼

拍手は打たない。
静かに手を合わせ、感謝や祈りを伝える。

貫井神社では迷わず手を打てたのに、
深川不動尊では一瞬、手が止まった。

無意識に、体が違いを
覚えていたのかもしれない。

ちなみに、二礼二拍手一礼はあくまで標準形。

出雲大社は二礼四拍手一礼、
鹿児島の霧島神宮は三拍手など、
神社によって独自の作法が今も残っている。

「絶対にこう」と決まっているわけではないらしい。


それでも、混ざり合っている


ここまで調べて、一番驚いたのがこれだった。

神社と仏教は、明治時代まで、
はっきり区別されていなかった。

神仏習合と呼ばれる考え方で、
長い間、人々の暮らしの中で
おおらかに混ざり合ってきた。

深川不動尊で見た、鳥居と狐の像と龍神様。

お寺の中に、神道のものが同居していた理由が、ここでようやくつながった。

きれいに分かれているようで、
根っこは同じところから伸びている。

神社とお寺は、今もどこかで
地続きなのかもしれない。


違いを知ってから、参拝の仕方が少し変わった。

鳥居をくぐるときと、山門をくぐるとき。

手を打つときと、静かに合わせるとき。

その一瞬の切り替えが、今までより少しだけ、
ていねいになった気がする。

いいなと思ったら応援しよう!