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家族のようで家族じゃない家族

 私は偽名で生活している。タナカアキは偽名だ。
 戸籍上の家族と縁を切るため、改名を目指している。

 虐待された記憶はない。だが、タナカアキになる前、父と姉との関係に悩んでいた。
 母は、私が23歳のときに亡くなった。その前から、両親は別居。結果的に死別した。
 父は一回り以上、年下の人と再婚。結婚して数年後、その人は若くして障がい者となった。父が介護していたのだが、自身も体を壊し、ふたりそろって施設に入所した。

 父とは疎遠だったが、”家族”の署名捺印などが必要となり、かかわるようになった。病院での手続き、施設の手続き、年金の管理、住民票の移動など、”家族”の仕事はいっぱいだ。
 配偶者にも子どもはいたが、外国と北海道にいて、私の姉も外国と、みな遠い。結局、同じ県内にいる私がするしかなかった。
 年金だけではまかないきれない施設の支払いや、急ぎでもないのに時間を問わずかけてくる電話に、心が削られていく。
 父は、友人たちの「年金が足りないはずはない」という声に惑わされ、私のことを疑っていた。通帳を見ればわかることなのに。
 1年も経たないうちに、父に対する優しさや思いやりはなくなってしまった。

 肉体的にも精神的にも追い詰められた私に、姉が追い打ちをかけた。
 姉は年に一度帰国した際、一日だけ会いに来る。それをありがたがる父と配偶者。一日だけすごすと、姉はさっさと東京へ遊びに行く。
 そうして、いつのまにか連絡をしてこなくなった。
 自由になるお金がない父は、自分の弟にお金の無心をしたらしい。心配した叔父が姉に連絡をとると、「自分はなにもできないし、お金を出す気もない」と答えたそうだ。
 ああ、そういえば「利用されるもんが悪い」と、母の看病をしていた私に言ったことがあったっけ。あのときと同じだ。
 この先、私は父と姉に搾取される。

 自分が生きるため、私は父と姉を捨てた。
 仕事を辞め、それまで付き合いのあった人たちとの連絡を絶ち、誰にも言わず引っ越した。それでも、いつか誰かに見つかって、元の生活に連れ戻されるという不安でいっぱいだった。
 仕事もこの先のことも、不安は山積み。とにかく生活しなくてはならない。
 仕事を探す中で見つけたのが「田舎フリーランス養成講座(いなフリ)」だ。
 フリーランスとして働くための入門編。ライティングやサイト制作などの基礎知識を身につけ、仕事のとり方を指南してくれる。
 新しい住まいからそう遠くないところで開催されると知り、参加した。

 そのときの統括がモリカズキ。現在私が住んでいるシェアハウスの家主だ。
 いなフリ前の面談で、”家族”と縁を切るため、移住と改名を目指していると伝えると、
「じゃあ、いなフリは『タナカアキ』でいきましょう!」
と言われた。驚くでもなく、ばかにするでもなく、平然と。
 そしておととし2019年5月、いなフリ初日。
 自己紹介が回ってきて、
「タナカアキです」
と、震える声で名乗った。
 あれから21か月、私はタナカアキとして生きている。

 タナカアキになって7か月が経った2019年12月、思い立って鳥取砂丘へ行った。
 それより3か月前に、モリが運営するシェアハウスに引っ越した。そこの住人と鳥取砂丘の話をしたことをきっかけに、行ってみたくなったのだ。
 途中で1泊し、たどり着いた鳥取砂丘は海外旅行客でいっぱい。なんだかなぁと思いながら階段を上りきると、目の前がひらけた。
 一面の砂をひたすら歩く。なかなか前に進まず、歩くのがいやになる。それでも歩き続けていると、圧倒的な砂の壁が目の前に迫った。
 少しずつ上りの傾斜がついた砂の上を歩く。手すりもなく、階段でもない、しかも踏み込むたびに沈む地面に、息が上がってくる。ゆっくりゆっくり、砂山の頂上へと向かう。
 あと10歩、5歩。目の前が砂から青空に変わった。あと3歩、2歩、1歩。

 青空と海が一直線に交わっている。
 沈む砂の上を歩くことから開放され、目の前の砂の壁か消え去り、360°を見渡せる。振り返ると、はじまりの階段が遠くに見える。左右には、同じように砂山のてっぺんでほっとしている人たち。そして、目の前は尽きない空と海。
 息を吸い、息を吐く。
 一度だけでなく、二度三度と息を吸い、息を吐く。体の中の酸素を全部入れ替えるように。息を吐くたび、眉間、肩、背中、肩甲骨、胃、腕と緩んでいく。
 これまで背負っていたものが、全部昇華していくのを感じた。

 ああ、タナカアキになってよかった! 心からそう思った。
 私を利用する人も、虐げる人もいない。いつ電話が鳴るのかと怯えなくていい。
 今、私は私のために生きている。穏やかな心持ち、静かな生活。特別なことなどなにもないけれど、私は幸せだ。
 そう思ったとき、モリの顔が浮かんできた。
 私をタナカアキにしてくれた人。今の私があるのは、あのときモリと出会ったから。

 たまらなくなって、砂丘のてっぺんからモリにメッセージを送った。
「突然だけど、モリ、ありがとう。『タナカアキでいきましょう』と言ってくれて。覚えてないかもしれんけど(笑)」
 返事が来ることなど期待せず、ただ感謝を伝えたかっただけ。
 帰らなきゃ。そう思ったとき、メッセージが届いた。
「覚えてる!笑 よかったよかった」

 私の家族は、家にいる。
 正確には、家族のようで家族じゃない。友だちのようで友だちじゃない。ともに暮らす、”家族”よりも家族らしい人たち。
 さあ、帰ろう。モリのいる、みんなのいる、我が家へ。

 あれから14か月。
 私は家を出ようと決めた。でも、前のときとは違う。
 家族を捨てたいからじゃない。帰る場所ができたから、旅立つことができる。
 「さよなら」ではなく「いってきます」。
 ここは実家。タナカアキのふるさと。

 

 


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