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クィアも性暴力に遭う

※この記事には性暴力や関連のある内容が含まれます。読んでいてつらくなったら、無理をせず離れてご自身の心身の安全を確保してください。

※性被害に苦しんでいる方へ
以下に頼ったり専門的な機関に繋がって適切なサポートを受けることを強くおすすめします。

・ワンストップセンター #8891
・警察への通報 #8103

自分や身近な人を守るためにまず覚えておきたいことも、ぜひご一読ください。

【以下、筆者の場合】

クィアも性暴力に遭う。当たり前だが、日常同様、クィアは不可視化されやすい。

筆者はノンバイナリーであるが、自ら不可視化の道に進んでしまいそうになる。自他のクィアとしての尊厳、人間としての尊厳を忘れないために記録しておきたい。




コレをはたして性暴力と言ってもいいかどうか、悩んでるうちはたいがい性暴力である。

頭では分かっているが、いくら強いフェミニストのつもりでいても自分ごとになると辺りが濃霧に包まれるような感覚になる。性暴力を受けたと認識するたび、迷子になる。

私に起こったことは、恐らくごくありふれていて何人もが身に覚えのあることだと思う。このこと自体が、この社会の未熟さであり欠陥である。

「性暴力は加害者が悪いのであって被害者であるあなたや誰かが悪いことは決してない。」その心強い文言は性暴力被害に関連する救済機関が発表するものであり、少しずつ現代に浸透している考え方である。

理解はしていても、自分に落ち度があったことにすれば、少し無理をすれば、どうにか何事もなかったかのように生き延びることができた。

何か事件を知るたびに、あるいは知り合いから嫌な話を聞くたびに、思い出す。今までに私が体験した様々な違和感や嫌悪感が、ぼやけていた輪郭を取り戻して目の前に迫る。

私が被害を告発できない理由、そんなものは本来ないのかもしれない。でも私にはたくさんあると思える。自らの矛盾や立場性など様々な理由を抱えている気分になる。だから、たくさんある。

被害者用の窓口やサービスもたくさんあるし、こういう時はこうするといった手順も知っているはずなのに、どうしてかうまく活用できない。何かが私を阻んでいるみたいに。

クィアだと尚更だ。理解のない無神経なシスジェンダーヘテロセクシャルの人間には、私はただの「女」に見える。そしてこの「女」の呪いは深い。トランスジェンダー/ノンバイナリーのセクシャルヘルス、は他の性的マイノリティと同様に複雑だ。同胞たちはセクシャルヘルスにおいては一般的に語られる範囲以上に、言語化が難しい感覚を抱えながら日々を過ごしていることだろう。将来手助けをしてくれる人々が、自分のジェンダーを尊重するだろうか、不要な一言を言われるのではないか、といった心配や不安も頭をよぎる。

今まで私に起きたこと。私以外の誰かが体験したと聞けばその規模を問わず心の底から加害者を軽蔑し怒ることができるのだが、いざ自分となると、現に何度も同じ言い訳を強調するくらいには、はたしてこれは性加害で私が性被害に遭ったことは真実なのか?と堂々巡りに考え始めてしまう。その思考を何周かすると、「私は被害に遭ってないかも。」と事実を身に覚えのないアザくらいに認識するようになった。

自分が自分を信じられなくて、守れなくなるのはなぜだろう。

私が複数人から繰り返し受けた加害は二つある。
一つ目は避妊具なしの性行為。
二つ目は撮影だ。

避妊具なしの性行為は初めて性行為をした相手の時からだった。セックスを覚えて10年ほど経つ今でも起こることだ。私は毎回着けてほしいと頼み込むが、相手方はそれぞれに

「気持ちよくないからつけない」

「外に出すから大丈夫」

「中に出ちゃった」

「着けるなら挿れない」

「どっかいっちゃった」

など、自己中心的で時には脅しのような言葉と共に避妊具の装着を回避する。セフレ、当時の恋人など関係性はそれぞれだが、中にはパートナー公認でいわゆるオープンリレーションシップを互いに結んでいるのにも関わらず、私の妊娠リスクや双方の性病感染リスクなども棚にあげてしまう人間もいたし、私の膣の中に外れたコンドームを探しもせずそのままにする人もいた。幸いにも私は妊娠したことはないが、性病のリスクは免れない状況である。性病検査を受けるまで、安心して過ごすことは難しかった。知り合いには望まぬ中出しされた結果、妊娠し中絶処置を受けた子もいる。出す方は責任も放棄して治療費も手術代も養育費も払わないような将来に向けてお気楽に生きることができるのだろう。もしパートナーや気のおけない親友がいるなら、その人々はこの人たちの醜悪な部分を知らずに楽しく一緒にいて心地がいい、大事にされ愛してくれている、などの一面しか知ることがないのだろう。その裏では誰かが心身をずた袋のように扱われているのに。

撮影については、毎回私からの同意なしに行われている。自分のパートナーからでさえ、記録や録画はされたくない。これをオカズに抜くとして、嫌だと言っている人間を丸め込んで撮影したものを一体どんな気持ちで観ることができる?と思うばかりである。この世は立派なレイプ社会だと言いたくもなる。

ある人は、「撮影されるのは嫌だ」と前から伝えていたのにも関わらず、

「この携帯はネットに繋がらないから流出もしない。自分しかみない。」

と言い張り、しまいには撮られてしまったこともある。ネットに繋がらないって言っても、Wi-Fiは繋がるだろ...とも思ってはいたし、流出する時はどうしたってするので、リベンジポルノなどの可能性も感じながら屈してしまったのである。いいよと言わないうちに勝手に撮られていたという具合に。流出が嫌だから私の端末で撮って私だけが所持していればいいと甘い考えでいた時は、「送って」と言われて渋々送ってしまったこともある。
もし今後告発したりNOを突きつけたら、私の顔や身体が映った動画がばら撒かれるかもしれない。悪夢と闘う前に、予防ができればこんなことを心配せずにいられるのに。立場や条件を突き付けられると一気に手枷足枷を嵌められ雁字搦めになるような感覚になった。

私が体験したケースはほとんどが私が相手に抵抗しきれずに屈したというパターンとなっていて、「このままでは絶対にいけない」と分かっているのに、どうしてもその場の状況や様々なことを考えた結果、私への人権侵害行為の数々を許してしまう。振り返ると、すごく嫌な気分になる一方で、「私がそれを望んでいたのかもしれない」という猜疑心が芽生えることで、私は私を信じられなくなる。

そして「私が弱いからダメなんだ」から認知が歪み、「弱くいてはいけない、こんなの私じゃない」までで止まればいいものを

「そんな弱い人間、私じゃなかった」

にまで変換できてしまうのだ。

今までの出来事が他人事のように思える。むしろ、それらを活用して小説でも書けそうなくらいには境界線が引かれ妄想すらできる。遠くから眺めているような気分になる。売れそうな成敗モノの官能サスペンス小説が書けると思う。最終的には、相手の最愛の人に告発文が届けられてその後の2人も破滅を歩むようなシナリオで。(実世界ではその相手に「コイツは絶対ダメ、さっさと捨てて一緒に逃げよう」と救済したい。)

そんなに恨めしいならとっとと告発すればいいのに、という声が頭の中で響いている。でも、できない。いろんな理由がある。できないよ。

私はノンバイナリーであり「女」ではないが、出来事が起こるたびに

「私が女だからこんなことになっているんだ」

とどうしても考えてしまうし、事象を引き寄せてしまう女性っぽい体つきや顔立ちをもつ自分が嫌で、自分の身体に対する所有の感覚が薄れていくと次第に自分の存在にまでが揺らぎが生じる。

「なンで女なんヵに生マれたんダろ?」

誰がどんなジェンダーでもいい。どう生きてたっていい。ノンバイナリーが女らしさを満喫したっていい。でも自分にだけはどうしても許すことができない。

私は人々が性にもっと奔放であってもいいと考えている。私もそうしたい。だからパートナーに頼んでオープンリレーションシップにシフトしてもらった。

なのに、それでもうまくいかないという前例を、ノンバイナリークィアフェミニストの私が作ってしまった。この上ない恥だと感じる。

私の事情を詳らかに話して納得して尊重してくれるような相手を見つけることはかなり難しいので、色々を透明にすることで最低限の営みにレベルを下げている。つまり、オープンリレーションシップ中であることは公開するが、私はノンバイナリーだから女として扱わないでほしいとか、ジェンダーバイアス的なことは言わないでほしいとか、そういうのは一旦黙っているということ。

相手を人間として尊重していれば、わざわざ注意書きを伝えずとも成熟したコミュニケーションが取れるはずだが、性欲を前にして私を含め人々の脳みそは溶けに溶けまくる。そして非人間的扱いをし、それを許し、互いに何事もなかったかのように日常に戻る。

自己嫌悪に陥っていることを、パートナーにも打ち明けられない。自分は本当に不誠実だと思う。ただ、性被害を受けた人だって望めば性行為をしたっていいし、被害と願望は切り離したっていいということは、社会に対して声を大にして言いたいことではある。

「押しに弱くて自己主張ができなかった」

「私が女を使って自分の欲を満たしたんだ。
尊重されなくても自業自得だ」

と私が悪いことにすれば、なんでもよくなる。ゴムなしや撮影以外にも嫌だったこと、たくさんある。全部私が強ければ避けれたかも。私が悪い。

でも本当は絶対に違う。こんなのよくない。

分かっているのに。もうこんなの嫌なのに。どうしたら抜け出せる?

失敗例を作ってしまったことで、オープンリレーションシップが今後一切できなくなったり、世の中のスティグマを強化してしまうかも。そんなのは本望じゃない。順風満帆にクィアでヘルシーなセクシャルライフを満喫する予定だったのに。クィアフェミニストの風上にも置けない。こんなヤツ。と自分をいじめるばかりで進展がない。コマを進める勇気が、気力が、全くわかない。記録だけはしておくつもりで、あわよくば誰かに読まれることを期待して、ここに残しておく。

こんなヤツに言われても説得力が微塵もないことを承知なのだが、同じような悩みを抱えている人やクィアフレンズへ。

あなたは大切で、傷つけられていい存在じゃない。
そのままでいい、揺らいでもいい、
あなたらしさやあなたのクィアネスを手放さないでほしい。

被害があなたの存在をかき消そうとする時、それは絶対にあってはならないこと。

危険を感じたらすぐに助けを求めて。もし困っている人が近くにいたら手を取り合って助けよう。二次被害を防ごう。

性加害は犯罪だから、ちゃんと誰かに相談してみよう。

せっかく生き延びるなら自分を蔑ろにするよりも、大事にしながら生き延びよう。

私も近々勇気を出そうと思うから。

じゃあ、げんきで。

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