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しけんかんの宇宙 ♯04 :かなるなうたえ

この写真を撮っていたら、カメラの電池が切れた。

「もっとよく撮れたかも?」とも思ったし、
他の蝶々も、けっこう羽を休めていたから、
「もっといい写真が撮れたのに」と悔しい思いもあるけれど、
人生とは、そういうもの。
あらゆる因果の中での「今」でしかない。


『O介』に足りない技術面は、「音/音楽」だった。
音設計を緻密に組み直したら、
信じられないくらいよくなった。

ほんのちょっとの違いなのに。

寿司にワサビがあるかないか、みたいな感じだろうか?
(もちろん、ワサビが苦手な人もいるとは思うけれど。)

「音/音楽」によって命を吹き込む。
暗室でネガフィルムを印画紙に焼き付けているような感覚。

なんて、カッコつけて書いても、
わたしはフィルムで写真を撮っていた時もあるけれど、
自分で現像をしたことはないエセなので、
胸を張って、書けない辛さよ。

いずれにせよ、自分にとって、はじめて「フィクション」の意味を感じたかもしれない。
フィクション元年である。
40代半ばにして、自分の殻を破れた感覚。
ひとは何歳になっても、脱皮できる。

技術面の「足りなかったピース」は埋まった。

でも、「やる気」みたいなものが、以前のようには湧いてこない。
この8年の編集で、燃え尽き症候群になっていることは否めない。

「負け癖」というやつで。

心理学的に言えば、「自己効力(感)」が持てない状態だろう。

「やればやっただけ報われる」感覚が持てない。

「何度も何度も試して、結局、できない」わけだし、
もし、仮に作品ができても、
「また、例のごとく誰からも評価されないんじゃないか」というような。

「売れない作り手」の一番のキーは、ここにあるモチベーションをどう保つかでしかない。

「売れてる人」には売れてる人の辛さ、プレッシャーだったり、いろんな現実との兼ね合いとかが襲ってくるのだろう。想像でしかないけれど。

でも、売れてる人には、アンチも多くても、支持者もいっぱいいる。
一方、「売れてない人」は、アンチもいないけれど、支持者も少ない。
極めて極めて寂しいひとり旅。

とはいえ、良いところを見れば、この上なく「自由」なのだ。
現実的な制約など何もない。
こんな「金にもならない」作品をつくっても、
誰にも文句は言われないわけで、
こんな作品は、商業ベースでは、天地がひっくり返ったってできない。

そこを「プライド」と思うことにして。
そう自己洗脳して。


話しがそれた。
いや、ちょっと関連するから書いたのだけれど、
精神面で足りないのは、「世界を信じること」だと思った。
恥ずかしい言い方にすれば「愛」と言ってもいい。

映画や演劇は、美術作品がそうであるようには自立できない。
観客との相互性の中にしか起ちあがらない。
(現代美術が、だから「インスタレーション」などの関係性の表現に向かうのは、必然なのだけれど。)

とはいえ、「作品はメッセージである」という意見は、
難しいところで。

押しつけがましいメッセージは、わたしはもっとも苦手なので。
(「メッセージ」に対する「賛成」か「反対」という分断しか生まない場合が多いからですね。)

だから、「問い」あるいは「コミュニケーション」とでも呼ぼうか。
あるいは、「もっともっと広い意味でのメッセージ」なら、その言葉でもいいのだけれど。


世界を信用すること。観てくれる人を信頼すること。

それは、自分自身を信頼することでもあるのかもしれない。

他人を愛することは、自分を愛している土壌(安定した場)がなければ育たないというか。


わたしは30代前半の一時期(半年くらい)、あがた森魚さんとバンドをやって歌も歌っていた。
(それ以前から映画を一緒に作っていたので、交流自体はもっともっと長いのだけれど。)
だから、あがたさんは歌の師でもある。

あがたさんは、わたしに、いつも、
「がなるな、うたえ」と言っていた。
「はしるな、あわせろ」とも。

一緒に詞を書くようなことも試したことがあったのだけれど、
うまくいかなかった。

わたしの書く言葉は、「詩」ではあっても、「詞」ではないのだと痛感した。
その違いは、語る(歌う)相手。
「詩」は自分の世界に自閉し(あるいは、他者に投げかけるにしても、問いであり)、
「詞」は「話しかける言葉」。

あがたさんは、目の前の「ひとり」「ひとり」に歌うんだと言っていた。

その当時も、40代の半ばになっても、わたしにできていないのは、
おそらく「これ」なのだ。

それは、歌か映画かさえ、関係ない(同じ)問題であり。


世界を愛すること。

ひとりひとりの「あなた」に、やさしく語りかけること。

その回路が見つかりさえすれば、
『O介』は完成すると思う。

「回路」って、
だから「文法」の問題でも、「文体」の問題でもないのだろうな。



世界を信じること。

自分を信じること。

自分を愛するために。

あたなを愛するために。



がなるな うたえ。

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