掌編|エメラルド
誰もいない海辺を歩いていた。
空は淡く、どこかアニメーションの背景みたいにやわらかい色をしていた。
その中で、海だけが綺麗なエメラルドグリーンだった。
波は静かで、砂浜の白さを薄く濡らしながら、何もなかったように寄せては返していた。
歩いているうちに、足元に小さな影が見えた。
猫だった。
こんな場所に猫がいるなんて珍しいと思って、つい目で追った。
猫は波打ち際を平気な顔で歩いていたけれど、次の瞬間、寄せた波に足元をほどかれるようにして、その体を少しずつ海に溶かしはじめた。
慌てて駆け寄ると、猫はもう半透明になっていた。それでも抱き上げると、ちゃんと猫の重みがあった。
腕の中で、ふにゃりと力を抜いて、うどんみたいに体を伸ばす。
濡れているのか、溶けかけているのか、もう区別がつかなかった。
とにかく何かしなきゃと思って、近くに店でもないか探した。
すると、砂浜の上にぽつんと、コンビニが建っていた。
中に入ると、普通に買い物できそうだった。
棚もあるし、明かりもついているし、店員もいる。
猫を抱いたまま商品を見て回るくらいは、何も言われなかった。
でも会計の順番が来たところで、急に店員の顔が曇った。
「うちの店、動物はダメなんですよ」
その一言で、全部だめになった。
さっきまで何も言わなかったのに。
あと少しなんだから目をつぶってくれてもいいのに、と思ったけれど、店の空気はもうきっぱりしていた。
仕方なく何も買えないまま外へ出る。
腕の中の猫を見て、つい責任転嫁した。
お前のせいだぞ。
猫は何か言いたそうな顔をしたあと、腕からぬるりと降りて、普通の猫みたいに砂の上を歩いていった。
さっきまで透明になりかけてたくせに、いつの間に戻ったのか。
最後に振り返って、こちらを見た顔が、妙に腹立たしかった。
お前がなんなんだよ、と思った。
結局、何も買えなかった。
でも、もうそのまま帰るしかなかった。
猫もいない。
なのに、さっき怒られたから、コンビニには行きにくかった。
砂浜の上に立っているコンビニを後にすると、少し先に動く歩道のようなものがあった。
空港にあるやつに似ていたけれど、もっと、地平線まで続いていそうな長さがあって、道が曲がっていた。
ベルトコンベアみたいに、それなりの速さで進んでいく。
乗ってみると、風が気持ちいい。
すぐに降りることはできたけど、せっかくだから、どこかへ行こうと思った。
どこへ行くのか検討もつかない。
でも、勝手に世界が流れていく感覚は、なんだか無責任で心地よかった。
電話中の人の声がして、その先にある場所の名前を呼んでいた気がする。
けれど名前は最後まで聞き取れなかった。
気づけば、その道はデパートの中を通っていた。
私はデパートでたったひとつだけ、イヤリングを買った。
貝殻のような、エメラルド。
ついさっきまで海辺にいたはずなのに、見える景色は少しずつ変わっていく。
砂浜の明るさも、コンビニの明かりも、動く歩道の風も、そのまま違う場所へ運ばれていく。
私の胸に、猫の毛を張りつけたままで。
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