🍠 一本のさつまいもが、日本を旅した。― 1600年代から始まった「人から人へ」の物語 ―
さつまいもは、最初から日本にあったわけではない。
遠い南の国から海を渡り、
琉球へ。
そして薩摩へ。
さらに日本各地へ。
その旅を支えたのは、
大きな企業でもなければ、
国家の壮大なプロジェクトでもなかった。
「この芋を、もっと多くの人に伝えたい」
そう考えた、一人ひとりの人間だった。
🍠
今日は、さつまいもが日本全国へ広がっていった物語を追ってみたい。
⸻
🌏 第1章 最初のバトンを持った男
時は1605年。
琉球王国。
中国・福建との交流が盛んだった時代に、
一人の人物が中国から甘藷(さつまいも)を琉球へ持ち帰ったと伝えられている。
その人物が、
野國總管(のぐにそうかん)
だ。
ただし、「野國總管」は個人名ではなく役職名とされ、実際の人物については諸説ある。
つまり、
「この人が絶対にこういう人物だった」
と断言するより、
歴史の中に残された“さつまいもの伝来者”
として見る方が正確だろう。
それでも、この出来事の意味は大きい。
ここから、
🍠 中国
↓
🍠 琉球
↓
🍠 日本本土
という、さつまいもの大航海が始まっていく。
⸻
🌱 第2章 「持ってきただけ」では広がらない
ここが面白い。
種芋を持ってきただけでは、
さつまいもは広がらない。
必要なのは、
栽培方法を知る人。
そして、
それを他の人に教える人。
そこで登場するのが、
儀間真常(ぎま しんじょう)
野國總管によって伝えられた甘藷の栽培方法を学び、琉球各地への普及に尽力した人物だ。
さらに儀間真常は、
綿花
砂糖
甘藷
などの産業にも関わったとされる。
つまり彼がやったことは、
「珍しい植物を育てた」
だけではない。
“生活を支える作物”として社会に定着させることだった。
ここが重要だ。
⸻
🚢 第3章 そして、薩摩へ
琉球で広がったさつまいもは、やがて薩摩へ伝わる。
ここで登場するのが、
前田利右衛門(まえだ りえもん)
1705年頃、琉球から薩摩へ甘藷を持ち帰った人物として知られている。
現在の鹿児島県指宿市山川。
この地から、さつまいもの栽培が広がっていったとされる。
そして、
「薩摩から来た芋」
だから、
薩摩芋(さつまいも)
という名前が定着していく。
🍠
今では日本全国で当たり前に食べている。
でも名前をたどっていくと、
「薩摩」という一つの地域にたどり着く。
なんとも面白い。
⸻
⛵ 第4章 「一人の行動」が、地域を救う
1711年。
今度は愛媛県の大三島。
ここに登場するのが、
下見吉十郎(あさみ きちじゅうろう)
薩摩から甘藷を持ち帰り、
大三島で栽培を広めた人物だ。
この功績から、現在でも「甘藷地蔵」として知られている。
当時の人々にとって、
さつまいもは単なる「新しい食べ物」ではなかった。
米が十分にとれない土地でも育てやすい。
しかも、土の中で育つ。
つまり、
「もしもの時の食料」
になった。
一人の人間が持ち帰った芋が、
その地域の未来を変えていく。
⸻
🌾 第5章 「いも代官」と呼ばれた男
そして1730年代。
石見国。
現在の島根県西部。
ここで大きな役割を果たした人物がいる。
井戸平左衛門正明(いど へいざえもん まさあき)
享保の飢饉の際、
年貢の減免や米蔵の開放などを行い、さらに甘藷の普及にも尽力したとされる。
後世、
「いも代官」
と呼ばれるようになった。
面白いのは、
さつまいもそのものだけではなく、
「どうすれば人々が飢えずに済むのか」
という視点で普及が進んだことだ。
つまり、さつまいもの歴史は、
農業の歴史であると同時に、
防災・食料安全保障の歴史
でもある。
⸻
🏯 第6章 江戸へ。そして青木昆陽
そして、いよいよ有名な人物が登場する。
青木昆陽(あおき こんよう)
江戸時代、甘藷の研究・普及に尽力し、
「甘藷先生」
とも呼ばれた人物だ。
著書『蕃薯考』を著し、さつまいもの有用性を広めた。
ここで、さつまいもは単なる地方の作物から、
「飢饉対策として役立つ作物」
として、より広く知られるようになっていく。
⸻
🗾 第7章 最後のバトンは、東北へ
そして物語は、さらに北へ進む。
宮城県。
ここで知られているのが、
川村幸八(かわむら こうはち)
だ。
さつまいもの栽培に取り組み、
東北地方での普及に貢献した人物として、
「東北の青木昆陽」
「甘藷翁」
などと呼ばれている。
南の地域で育てられていた作物が、
ついには東北へ。
🍠
一本の芋が、
人から人へ。
地域から地域へ。
何十年、何百年という時間をかけて、
日本列島を旅していった。
⸻
🍠 さつまいもの歴史を一本の線にすると……
こうなる。
中国・福建
↓
琉球
野國總管
↓
儀間真常
↓
薩摩
前田利右衛門
↓
大三島
下見吉十郎
↓
石見
井戸平左衛門
↓
江戸・関東
青木昆陽
↓
東北
川村幸八
※伝来時期や経路には諸説・史料上の違いがあります。
⸻
🌱 一本の芋を、誰かが「次の人」に渡した
ここまで調べていて、
僕が一番面白いと思ったのは、
さつまいもそのものではない。
「人」だ。
野國總管が持ち帰った。
儀間真常が広めた。
前田利右衛門が薩摩へ伝えた。
下見吉十郎が大三島へ。
井戸平左衛門が人々のために普及させた。
青木昆陽が研究し、広めた。
川村幸八が東北へ。
一人では、日本全国には届かない。
でも、
一人が次の一人へ渡す。
それを繰り返す。
すると、
何百年後には、
日本中の人がその恩恵を受ける。
⸻
🍠 そして、今。
僕はいま、自分でさつまいもを育てている。
土を耕して、
苗を植えて、
葉を観察して、
つるを食べて、
芋がどう育つのかを見ている。
ふと考える。
自分が土に植えたこの一本も、
何百年前から、
誰かが誰かへ渡してきた「続き」なのかもしれない。
そう考えると、
ただのさつまいもが、
少し違って見えてくる。
🍠
歴史は、教科書の中だけにあるんじゃない。
今、自分が手にしている一本の芋の中にも、
誰かが生きた証が残っている。
⸻
🌱 次回予告
次は、歴史から再び「土」に戻ろう。
🍠
「なぜ、さつまいもは土の中に芋を作るのか?」
葉っぱは太陽の光を受ける。
つるは伸びる。
そして地下では、
いつの間にか芋が太っていく。
一体、植物の中で何が起きているのか?
「葉っぱから、どうやって芋になるの?」
これを知ると、
今育てているさつまいもを見る目が、
また一段変わるかもしれない。
🍠🌱
さつまいも研究録、まだまだ続きます。

