おくりごと
義父が亡くなった。穏やかなお葬式だったと思う。
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昨年の春に病気が見つかった時点でかなり進行していたらしい。わたしがそれを知ったのはそれから数か月後のお盆の帰省のときだった。妻の実家でひさしぶりに食卓を囲み、お酒を飲み、楽しく語らってると、病気のことなどひどく遠くの出来事のように感じられた。治りはしないが、今すぐ悪化するでもなく、進行自体はゆっくりだったせいかもしれない。そのため不思議なほどいつもと変わらない和やかな団らんだった。それが去年のこと。
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わたしの実家では、そのお盆の帰省時に海外旅行の話が持ち上がった。兄がみんなで行きたいねと言ってくれたのだ。思えば両親とも働き通しで、これまで一家そろって旅行した試しがなかった。そういえば兄たちと旅行に行ったことが一度もない。これが最初で最後の機会かもしれないと思い、その計画を推し進めることにした。ハワイ旅行4泊6日の旅。参加者は兄2人とわたしの家族4人。翌年2月中旬実施で決まった。それも去年のこと。
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こうやって書いてみるとどうして予期できなかったのかと思うが、わたしたちには分からなかった。正月は義父もまだ息災で、わたしたちの旅行を楽しみにしてくれてたらしい。1月半ばに入院した時もすぐに退院できると思っていたが、それは叶わず、そこから気落ちしたのか、よくない方向へ進んでしまったようだ。容態が急変したのは1月31日。旅行の12日前だった。
兄たちに連絡してどうするか話し合ったが、この状況で行くべきではないと最終的に全員一致で旅行は取りやめることにした。それでよかったと思う。
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ハワイ旅行の顛末はここまで。
こういうことってあるんですね。実際行かなくてよかったです。お義父さんが亡くなったのは旅行の3日前でした。お通夜、お葬式があって、その次の日に海外旅行に出発なんてあんまりです。
結果的に思いがけず両家の結びつきが深まったと感じました。
これもお義父さんのおかげでしょうか。
でも、お義父さん。わたしたちはきっとハワイに行きます。心から楽しめる日が来たら、またチャレンジします。今回はまだ行くべき時機ではないと、お義父さんが体を張って教えてくれたのだと思います。中止にも意味があるのでしょう。次の機会に良い巡り合わせがあるのだと信じています。そうなるために何をすべきか考え始めているところです。
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お葬式の話に戻ります。
病気のことは以前から分かっていたので、穏やかな葬儀だったと思います。心の準備は出来ていたので、感謝の気持ちで送り出すことができました。
お見舞いに行けたのは二回。容態が急変した翌日とその一週間後。
一度目はわたしと妻と長男の3人で。そのときは孫である長男を連れて来たことを告げると、うっすら目を開けて反応してくれました。
二度目は大学の後期試験を終えて戻ってきた次男を駅で拾い、そのまま病院へ行き、今度は家族4人揃ってお見舞いすることができました。お義父さんが亡くなったのはその晩だったので、きっと孫である次男が来るまで待ってくれたのだろうと、みんな言ってくれました。わたしもそう思います。
緩和病棟で見た最期の姿は、呼吸器をつけてたけど苦しそうではなく、それが救いでした。静かで穏やかな時間を一緒に過ごすことができてよかった。
わたしと子供たちは日帰りで戻ったけど、妻はそのまま残り、お義母さんを始めとする家族全員で、その夜最期の瞬間を看取ることができたそうです。
最善ではないけど、最良だったのではないか。回復するのが最善であるならそれは叶わない願いなので、きっとこれが最良のお別れだったのでしょう。
痛みや苦しみは、わたしからは見えませんでした。生前の穏やかで誠実な人柄のまま、わたしたちの前からそっと姿を消したような印象です。
お義父さんに会えてよかったです。ありがとうございます。
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人はどこから来て、どこへ行くのか。
誰にも解けない永遠の命題。
だけどその命題はこう言いかえてもいい。
人はどこから来て、どこへ帰るのか。
人が亡くなるとき、どこかへ行ってしまうようで哀しくなるけど、もしかすると、この世界こそかりそめの場所で、人は亡くなると、元々いたところへ帰っていくだけなのかも知れない。
義父の穏やかな最期を思うと、そんなことを想ってしまう。
どこかへ行ってしまうのではなく、どこかへ帰るのだ。
わたしたちの知らないところへ。
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わたしたちは独りでこの世界に来て、独りでまたどこかへ帰っていく。
独りひとりの存在がつかのま出会い身を寄せ合うのが家族なのだとすれば、その奇跡を大切にしたいと思う。わたしもまたいつかどこかへ帰るのだろうけど、それまでの短い間いっしょに笑って、泣いて、そうやってなにか形にならないものを、手渡していけたらいいなと思う。
義父の生き方をみてそう感じたのだ。
