noteをはじめてみて
noteを始めてから1ヶ月少し経ちました。
とりあえずやってみようと始めてみたnoteですが、書き残していくことが楽しく、今ではnoteを書き進めることが日常の一部になっています。
自分のことを話すのが苦手、snsも苦手。
そんな自分がなぜnoteを始めようと思ったのか。
生活や内面は、自分が満足できていればそれでいい。
自分の中にだけに留めておけば十分だと思っていました。
今も友達や職場の方などに自ら自分の話をすることは少なく、snsの投稿もしていません。
ですが、自分の世界を生きていることに満足できるようになってきたからこそ、すべてを自分の内側だけで完結できてしまうことに、どこか寂しさのような物足りなさを感じるようになりました。
自分の生活や考えたこと、感じたことなどを内側だけに留めず、少し外に出してみたい。
誰かに届けたいわけではないけど、誰かの目に触れるかもしれない場所にそっと置いておきたい。
そんな風に思うようになりました。
外に置いておくだけなら、日記だけでいいのかもしれません。
毎日の習慣として、日記・手帳時間を数分つくるようにしています。
1日の終わりに一行日記を書いたり、1年でやってみたいことを書いてみたり、何でも書いていいページを作ってみたりと、文字に残すことは数年前から続けています。
「今日何があったか・何をしたか」「今日どんなことを感じたか」
何気ない日々も言葉に残しておくことで「何もなかった日ではなかった」と毎日生きている実感が湧きますし、文字にして客観的に見ることで頭の中が整理されたりもします。
月の予定を見返して思い出の余韻に浸ったり、1年前はこんなことを考えていたのかと過去を見返したりするのも楽しいです。
でも、「日記を書く」ということも、誰かの目に留まるものではないため、結局は自分の中だけで完結してしまうものだと感じています。
snsに残していこうとも思いましたが、snsは誰かに見せることや共有することが前提にあるような気がして、誰かに届けることが目的になりやすいsnsは自分には開けすぎている場所だと感じました。
また、友達や職場の人など身近な人に見られることが頭をよぎると、素直に自分のことを書くことができません。
非公開のアカウントで、記録用として写真や言葉を残したりはしているのですが、それも日記同様、人に見られる心配がない反面、自分の中だけで満足を得られるものだと感じています。
「日記もsnsなんか違う」と考えていた中、見つけたのが“note”でした。
自分の考えや感じたことをゆっくりと自分のペースで言葉にできる。
誰かが記事を見つけるかもしれないけれど、誰かに届けることが目的にならない。
自分の内側だけで完結しすぎず、でも外側に広がりすぎずに、自分の考えや感じたことを外に置いておける。
そんな、自分にとって丁度いい距離感の場所がnoteだと感じました。
身近な人ではない、見知らぬ誰かが見てくれているからこそ続けられる。
もし、このnoteが友達や職場の人などもっと身近な人に見られる前提だとしたら、こんなにも素直に自分のことを書くことは出来ていないと思います。
静かに世界と繋がっていられる。
このnoteの距離感が自分にとって心地いいなと感じています。
誰かの目に留まる可能性を残しながら、自分の内側を外に置いておく。
ただそれだけで意味があると感じています。
それでも、「ビュー」や「スキ」を通して、
今まで自分の中だけに留めていたものが誰かに届き、眺めてくれている人がいる、ということが実感できるのはやっぱり嬉しいです。
また、noteを書くようになって、自分が何を考えているのかをより深掘りするようになりましたし、客観的に見つめ直すことで「やっぱり、こうやって暮らしていきたい」と再確認したり、「本当はこう思っていたのかもしれない」と改めて考え直すきっかけが生まれたりすることもあり、「noteを書く」ということが、自分自身を知ることにもなっていることに気が付きました。
noteを始める前と比べて、
「こういうものが好きな自分でいていい」
「こういうことを大切にしたいと思っている自分でいていい」
というように思える感覚が強くなっている気がします。
自分の内側と外側との間に、少し接点ができたからこそ生まれた感覚なのかもしれません。
社会生活で自己表現が苦手な自分でも、noteという少し開けた場所で、言葉をじっくりと選んで、文章を組み立てて、素直に自分を表現することができていることが嬉しいです。
これからも自分のペースで、書きたいことをのびのびと残せていけたらいいなと思います。
