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1.2メートルのナルシシズムと、死角に消えるお尻

じいさんは足場を確認すると、腕を大きく振り上げた。

ーー飛べ。

空へ身体を投げ出す。

着地までの、ほんの一瞬。
あの人は、何を見ていたのだろう。


車で7分ほどの所にスポーツジムがある。
そこに5年ほど通ってるが、高齢者率がめちゃ高い。
午前10時頃には、三々五々集まってきて、あちこちに塊ができている。


スポーツジムと言っても、
集まってお喋りするだけが目的のような、地域のコミュニティサロンと化してる。


おばあさん連は、推しのインストラクターの20分間のプログラムには必ず参加する。
そしてウォーキングマシンに乗ったかと思うと10分で終了。
あとはひたすら喋ってる。


私はそこでは一歩引いた立ち位置を取っている。

「今月は何回目?」
「まだ7回しかきてない〜」
程度の会話はするが、早々に切り上げて自分の世界に入る。



いつも一通り筋トレしたあと、仕上げでウォーキングマシンに乗る。
横一列に25台ほど並んだウォーキングマシンの前は全面鏡張り。


そこには、ジムに集う様々な人間の生態が映し出されてる。


ウォーキングで汗を流していると、今日も来た来た。
「立ち幅跳びじいさん。」


現れるのは午前10時過ぎ。
おばあさん連がザワザワと集まる時間に、判で押したように現れる。


80過ぎぐらいか。
そしていつも短パンを腰履きしてる。
下半身が、今にもこぼれ落ちそうだ。
パンツのゴムが伸びてるのか、わざとかは知らない。



筋トレマシンの間の狭い空間が、この人の舞台だ。
映ってるのを承知しているかのように、いやにゆったりと鏡の中に登場する。



まずは、腹筋マシンの棒につかまって大袈裟な屈伸を始めた。

いや、それ使い方違うし。
(筋トレしろや!)


次は、開脚運動を始める。
たいして開いてない。
そして動作の合間にいちいち前方の鏡をチェックする。



いよいよメインイベント。
じいさん最大の見せ場がやってきた。


足場を確認すると、
腕を後ろに思い切り振り上げた。
折れ曲がった肘の裏側がシワシワだ。
猫の額ほどのわずかなスペースで、渾身の跳躍。



飛んだ!
…すぐそこに、着地した。



派手な前振りの割にはちっとも飛んでない。
せいぜい1.2メートル。
大股で歩いた方が距離稼げそう。


そして、鏡をチラリと横目で見ながら、俺を見ろやれ!
みたいな完璧なポーズ。
両手を腰に当てて、「ふっ」みたいな。
それを何度も繰り返してる。


見たくもないのに、真後ろでの絶賛パフォーマンスが嫌でも鏡に映る。

いつぞやは、しくじってコケてた。
それも着地じゃなくて、飛ぶ瞬間に腰が外れたみたいに変な格好になってコケた。
「ほょ〜」みたいな顔してた。


私は、
「プクク」と声が漏れそうなのを
首のタオルで口を押さえて必死にこらえてた。


さっきまで、あんなに俺を見ろアピールしてたのに、急に恥ずかしくなったのか、コケた後に筋トレマシンの陰に隠れた。
今さら遅い。



おばあさん連は、さすが人生の達人。
そんなじいさんに見向きもせん。
鉄壁のスルー。


だから、立ち幅跳びじいさんのメインターゲットは、おばあさん連の中ではちいと若手のちゃんとジムしてる、
「あのジム限定の若手ばばあ」
まぁ私もここに含まれる。

「あそこならワンチャン、俺の渾身の跳躍を見てくれるはず…!」の思い込みが痛い。


そして、間髪入れずに登場するのが、第二の刺客「ケツガン見じじい」

歳は70代半ばに見える。
毎日ジムに来てるから身体はシュッとしてる。


筋トレマシンで腹筋とかやってるフリしながら、レアな若手女性か、ジム限定の若手ばばあのお尻を素知らぬ顔してガン見してる。

ほら、ツイストマシンとかやると、お尻がフリフリ振れるでしょう?
どうやらあれが大好物らしい。


ケツガン見じじいは、どうも私がお気に入り(自意識過剰)のようだ。
常に私の延長線上に位置取りしていて、視線はいつもこちらに向いている。


キショい、キモ過ぎる。


だから、気配を察した瞬間に離れた場所にワープする。
そして死角に入る。


すると「あれ?どこ行った」と、
キョロキョロ間抜け顔。
ざまあ味噌汁だ。


ここは女の意地だ。
簡単にケツを見せてなるものか。
じじいと若手ばばあの高度な心理戦が繰り広げられていた。


しかし、最近ケツガン見じじいの動向に変化があった。
私を凝視することがなくなったのだ。

それには大きな理由がある。
おばあさん連と仲良くなり出した。

彼女たちは、ケツ見のターゲットではなかったからか、毎日頑張ってる大人しいお仲間として受け入れたのかもしれない。

よく話しかけられるようになった。
最初は照れた様子を見せていたが、そのうち、その仲間の中に嬉しそうに溶け込んでいた。



筋トレマシンの上で、女性のお尻を追っかけてた濁った視線は、彼女たちへの温和な眼差しに変わっていた。



その様子を鏡越しに見ながら、
疎ましいばかりだったじいさんの孤独が、初めて形を持って浮かび上がったように感じた。


もしかしたら、ただ寂しかったのだろうか。
ここにいていいんだと思える場所を、ずっと探してただけなのかもしれないと。


安心してジムで汗を流せるようになった私は、立ち幅跳びじいさんが気になりだした。
ここ2、3ヶ月、姿を見ていない。


じいさんが、いつも屈伸していた腹筋マシンが鏡に映っている。
機械に挟まれた狭い空間が、今はいやに広く見える。


「どうしたのだろう?」


スタッフに聞こうかとも思ったけど、やめた。
名前も知らないし、「立ち幅跳びじいさん」と言うわけにもいかないし。


ジムでは、いつも来てた人が突然来なくなることが時折ある。
立ち幅跳びじいさんは、他に移るような歳でもなさそうだし…。
どうしてもよからぬ想像が頭をよぎってしまう。


鏡には、立ち幅跳びじいさんも、ケツガン見じいさんも、賑やかなおばあさまたちも、そして私も映ってた。
でも、鏡の向こうの世界は、日々移ろっていく。
手を伸ばすと消えてしまう幻のようだ。


ウォーキングマシンの数値はカタカタと数を重ねていく。
ふと、目を正面に向けた。


そこにいるのは、いったい誰だろう?
鏡の中の私は、何かを探しているように見えた。



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