シロクマ文芸部 お題 「熱帯夜」

「数日、全国的に暑さが続いています。東京では日中40度を超え、熱帯夜が続くと予想されます。」

隣で聞いていた香奈が小さくいいなぁとつぶやいた。それに気づき口を開く。
「40度超えるって結構暑いだろ。うらやましがるもんじゃない。」
俺はそう言ったが、香奈は納得していないようで細い眉を寄せて口を尖らせていた。
「だって暑いってわかんないんだよ?ずっと寒いか涼しいか。暑いって思えるのうらやましい。」
「暑いって結構大変だと思うぞ。」
「寒い方が大変だよ絶対!」
何度繰り返したかわからないやり取りを今日も繰り返す。俺達が生まれるよりずいぶん前の録音を聞きながら、まるで異世界の話を聞いているかのように雑談をする。
「20度と30度ってどのくらい違うんだろうね。」
「お湯作ってみればいいじゃんか。すぐ分かるぞ。」
「絶対そんなんじゃないもん!空気と水じゃ全然違うよ!」
「似たようなもんだって。湿度70パーセントとか言うじゃんか。」
文字しか知らないような単語も当たり前のように使い、まるで知ってるかのように話す。
くだらなく思えても、やめてしまったらたぶん日常が消えてしまうから。
録音が途切れ、ザーっという音に変わる。
「終わっちゃった。明日も流れるかな。」
「ニュースは毎日やってたらしいし、流れるだろ。」
そう言って俺は立ち上がる。しかし香奈は動こうとしない。
「今日はもう流れないんじゃないか。」
「…まだここにいる。」
香奈は暇な時、大抵ここにいて音が流れるのを待っている。昔のニュースの何が面白いのか、俺には分からないけど。香奈が一人で聞いている後ろ姿は妙に寂しく見えるから、見かけたときは隣に座って一緒に聞いている。
香奈が動こうとしないので、諦めて俺一人部屋を出た。冷たい色の廊下を抜け、ハッチにつながるはしごを登る。操縦室には父さんがいた。モニターを眺めている父さんが驚かないよう、声をかけてから上がる。
「お疲れ様、父さん。」
「おう、将希ちょうどいいとこに来た。天井空けてみろ。」
「え、晴れてるの?」
嬉しそうな父さんの言葉を不思議に思いながら普段押さないスイッチを押す。ゆっくり開いていく天井を見ながら父さんが言った。
「いいもの見れるぞ。」
天井がだんだんと開いていくと、機械的な灰色が漆黒と輝く光の粒に変わっていく。そこにぼんやりとした緑の帯も輝いて見えた。
「わぁ!オーロラじゃんか!」
「な、すごいだろ。」
嬉しそうな父さんの声よりも早く、はしごを駆け下りる。
「お、どうした、どこ行くんだ。」
「何言ってんの父さん、二人にも言わなきゃ!」
廊下を駆け戻り、香奈のいた部屋に飛び込む。
「香奈!オーロラ見えるぞ!操縦室!」
「え、え?」
戸惑う香奈を尻目に、また廊下へと飛び出す。突き当たりにあるキッチンの扉を勢いよく開け、ほとんど叫ぶようにして声をかける。
「母さん!オーロラ!オーロラ見れるよ!」
「あら将希、もうすぐご飯できるよ。」
大慌ての俺と真反対のほんわりした声が返ってきて、少し気が抜けた。めったにないことに興奮していたが、そこまですぐに消えることはないとどこかで読んだことを思い出した。一度短く深呼吸をして、料理の方を見て今度はいつも通りの大きさで声をかける。
「ありがとう。今日もおいしそう。」
「それで将希、さっきなんて?」
「うん、今オーロラが見えるんだよ。父さんが教えてくれた。」
「あら、そうだったの。それは見に行かなくちゃね。」
洗い物をする手を止めた母さんは、手を拭きながら俺と一緒に歩き出す。
「ねぇさっきなんて言ってたの?何か事件?」
香奈がさっきの部屋から不安そうな顔をして出てきた。
「ごめんごめん事件じゃないよ。オーロラが見えてるんだ今。」
「え!オーロラ!?早く言ってよ!」
香奈は言い終わるとすぐはしごの方に走り出した。そんな香奈を見ながら母さんがこちらに笑いかける。
「そっくりね、2人とも。」
「俺、あんなに慌ててた?」
母さんは俺が困ったような顔で返した言葉には答えず、ただくすくすと楽しげに笑ってはしごを登る。あとに続いて俺も登った。
「お、来たか。」
操縦室はさっきまでついていた電気が消え、夜空の星がより輝いて見えた。
「きれいだねぇ〜」
香奈はいつものソファに座り、オーロラを眺めている。父さんがみんなで団らんする時と同じように位置を整えてくれていたみたいだ。自分のところに座って見上げると空の中にいるんじゃないかと思えるくらい一面に星とオーロラが見えた。
「いやぁ見れると思ってなかったな。無線で隣の家族に聞いたらちょっと前からみんなで見てるって言ってたよ。」
そんな事を言いながら、父さんはワインの栓を抜こうとしていた。
「え、いいの?いつも飲まないじゃん。」
香奈が聞くと、今日は特別だと言いながらグラスを2つ取り出してきてワインを注いだ。
「懐かしいわね〜」
「オーロラ見たことあったの?」
「うん、昔ね。」
先に注いでもらったワインを揺らしながら意味ありげに笑う母さんと、照れ隠しのようにようにワインを注いで一口飲む父さんの反応に香奈は教えてよと母さんの肩を揺すっている。きっと付き合っていた頃の思い出なんだろう。酔った父さんに一度教えてもらったことがある。香奈はまだ不思議そうにしていたが、俺が気にせず空を見ているのに気づいて声をかけて来た。
「兄ちゃんは気になんないの?2人からオーロラ見たなんて聞いたことなかったのに。兄ちゃんも一緒にいたの?」
「そういうわけじゃないけど、似たようなこと聞いたことある。」
「えー!教えて!みんなだけずるいじゃん!」
俺が言うのは違うからなぁとはぐらかしていると、香奈の暗くてもわかるくらいの不満そうな顔を見てやっと父さんが口を開く。
「まだ付き合いたてのころに2人で旅行に行ったんだ。そこで偶然見れたんだよ。」
暗くて表情はよく見えなかったが、照れている時の口数の少なさだった。母さんがとても楽しそうに笑っている。母さんはこういう話は父さんにしてもらったほうが楽しいからといつも自分からは話し出さない。香奈は納得したようにソファにもたれながら言った。
「なーんだそういうことね。」
それからは母さんがその頃の旅行についてあれこれと話し出し、たまに父さんが口を挟むようななんでもない会話が続いた。

ぼんやり話を聞きながらふと思う。父さん達が若かった頃はまだ季節があって、陸に住めたはずだ。どんな場所で、どんな生活をしていたのだろう。父さん達はよく楽しそうに思い出話をしてくれるけど、船での生活でも十分楽しそうで、不思議に思う。なんで世界がこうなったかは聞いたことはない。少し怖いから。香奈もその話はしない。もしかしたらニュースを聞いていればいつかわかるかもしれない。だから香奈はずっとニュースを聞き続けてるのかもしれないな。
…だんだんまぶたが重たくなってきた。みんなの声が少し遠くに聞こえている。起きたらご飯を食べよう。今は空に包まれながらまどろんでいたい。

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