【大学受験】「当たり前」のハードルの高さが人を育てる
国公立医学部に入った子どもや、その友達の話を聞いていて、私はあることに気づく。継続できる人とすぐに折れる人の違いは、努力の総量じゃない。環境なのだ、と。もちろん「環境が大事」なんてことは誰もが知っている。環境が違うと、一体何が変わるのか?言語化すると、 答えは「当たり前のハードル」が変わるということだと思う。
「当たり前」という名の魔法
甲子園常連校では、甲子園を目指すことが「当たり前」になる。有名進学校では、東大を目指すことが「当たり前」になる。この「当たり前」がどれほど強力か。人間には不思議な性質がある。集団の中で「平均以上」でいたいという願望だ。そしてその「平均」が相対的に高い場所にあることに、本人は気づかない。気づかないまま、引っ張られていく。それが環境の本質なのだと思う。子どもが入った私立中学は、県内に2校しかない中高一貫校だった。偏差値は45だ。でもそんなの関係ない。中学受験という関門を突破した時点で、そこには「受験を勝ち抜いた者」というフィルターがかかっている。県内外から集まった地方の秀才たちと過ごす日々。その環境が子どもの「当たり前」を書き換えたのだ。
レベル1とレベル5の景色
努力、根性、精神力。確かにそれらも大事だろう。でもそれらは、モチベーションに左右される不安定なものじゃないだろうか。「当たり前レベル1」で目標10を目指すより、環境によって引き上げ上げられた「当たり前レベル5」から目標10を目指す方が、圧倒的にラクなのだ。心理的負担が全然違うのだ。もちろん注意点はある。自分と環境の間に遥かな乖離があれば、心は折れる。でもそれは段階を踏めばいいだけの話。「もしかしてこれ、当たり前かも?」と感じられるくらいのレベル差であればいいように思う。
意志力に頼らない生き方
何かを継続したい人へ。頑張りたい人へ。その行動が「当たり前」とされる環境に、自分を放り込んでみてほしい。意志力なんて当てにならない。でも環境は裏切らない。自然な流れで目標達成に向かえる。それが環境という魔法なのだと、子どもを見て私は確信している。今、国公立医学部という新しい環境の中で、子どもはまた成長しようとしている。その姿を見ながら、人は、環境によって育てられるのだと私は思う。
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