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「日本最速の郵便配達員」として話題、灼熱のサーキットを駆ける8耐ライダーの本音

平日は日本郵便の職員として赤いバイクで郵便物を配達し、週末になるとライダースーツを身を纏い、時速300kmでサーキットを駆け抜ける。まるで正反対の2つの顔を持つのが、三重県桑名市在住・郵便局員の可部谷雄矢さん(30)です。

「郵便局員として働きながら、ライダーとして挑戦し続ける姿を見せたい」

そう語る彼は、これまで3度にわたりに国内最大級のバイクレース「鈴鹿8時間耐久ロードレース」(以下鈴鹿8耐)に挑み、仲間や地域の応援を背に走り続けています。



汗と油にまみれた日々の鍛錬。灼熱の8時間に挑む覚悟。そして郵便局員としての誇り。両立の舞台裏にある努力と情熱をじっくりうかがいました。


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乗り物に魅せられた少年時代


ー子どもの頃から、バイクや車が好きだったそうですね。幼少期はどんな少年でしたか?

可部谷: かなり自由奔放というか、周りに迷惑をかけてた方だと思います。小学校のときは、学校に親が呼ばれたこともありました(笑)

でも、その頃から乗り物はすごく好きでしたね。小学校5年生から中学2年生までは、ゴーカートにハマっていて、両親に鈴鹿サーキット内の遊園地まで連れて行ってもらっていました。アグレッシブな乗り物が好きだったんだと思います。


ーご両親も、もともと車がお好きだったんでしょうか?

可部谷: そうですね。父も母も、僕が生まれる前まではモトクロスバイクに乗ってたみたいです。その事実を知ったのは結構最近で、それまではバイクにゆかりがあったなんて全く知らなかったんですけどね(笑)


ーご両親は、なぜ秘密にされてたんでしょう・・?

可部谷: わざわざ言う機会もなかったんですかね。聞いた時は、びっくりしました。自分もバイクの道に進んでいたので、知らず知らずのうちにバイクに対する情熱を両親から感じていたのかもしれません。


ー中学時代の楽しかった思い出はありますか? 高校で、鈴鹿工業高等専門学校(以下鈴鹿高専)を選んだのはなぜでしょうか?

可部谷:中学時代は車に興味があったことから、車のタイヤ交換を父に教えてもらっていました。好きな車に触れられるだけで、わくわくしたんですよね。それをきっかけに工具に触れる機会も増え、工業に興味をもつようになりました。そこで、鈴鹿高専に進学しようと決めました。


ー高校入学当初のことは、覚えていますか?

可部谷: もともとは地元の学校に通おうと思っていたので、入学当初は工業にまつわる専門的な知識は乏しく、勉強で苦労しましたね。それでも、実習の授業はとても楽しかったです。机に向かってるよりも、手を動かして何かを作り上げることに面白さを感じていました。


ー 作り上げることの面白さを感じた高校1年生だったんですね。実習の中で印象に残っているものはありますか?

可部谷: 一番記憶に残っているのは鋳造です。アルミを溶かして固める実習で「鈴鹿高専」という漢字4文字をつなげた鍋敷きを作りました。型を作るところから始めて、砂に文字を埋め、半分に割って取り出した空洞にアルミを流し込む。その工程を経て、完成するんです。製造過程も面白かったし「鍋敷き」という題材がまたシュールで(笑)。今でも実家に残っていると思います。初めて「自分で製品を作る」という経験でした。


ーバイクに出会ったのも、高校生の頃なんだとか。その頃のことを、詳しく聞かせていただけますか?

可部谷: 同じ寮の1学年上の先輩がバイクに乗っていて、その姿を見たのがきっかけです。先輩が乗っていたのはHONDAの「VFR400R」。当時ですでに10年ほど前のモデルで、1990年や1992年式の古いバイクだったんですが、バブル期に作られたバイク特有の存在感があったんです。今のように効率やコストを重視したつくりではなく、手間もお金もかかっていて、良い意味で「無駄が多い」でも、その無駄こそがかっこよかったんです。デザインも性能も、当時の空気感をまとっていて、今のバイクにはない魅力がありました。


高校の校舎の前で、先輩が「じゃあ!」と一声かけて、バイクをブインッと加速させて走り去っていく。その瞬間、風を切る音とともに視界から消えていく背中を見て「うわ、めちゃくちゃかっこいい・・!」と鳥肌が立ったんです。その光景が忘れられなくて、「自分も早くバイクに乗りたい」と強く思うようになりました。


ー それで「自分もバイクに乗ろう」と思われたのですね。

可部谷: はい。実は免許を取る前に、先にバイクを買ってしまったんです(笑)。選んだのはHONDAの「NSR250R」というモデル。バブル期に作られたバイクで、伝説的な存在でもありました。

先輩が乗っていたのは400ccのVFRでしたが、僕が選んだのは250cc。少しマニアックな話になりますが、この2つのバイクはエンジンの方式が違うんです。一般的な車に使われているのは4サイクルエンジンで、4つの工程を経て1回爆発します。でもNSR250Rは2サイクルエンジンなので、同じ排気量でも2倍近いパワーが出るんです。

「これなら先輩に勝てるかもしれない」そんな単純な気持ちで、免許を取る前に思い切って購入しました。当時は本当にワクワクして、乗る日を心待ちにしていましたね。


ー そこから一気にバイクにのめり込んでいったんですね。

可部谷: はい、先輩が鈴鹿ツインサーキットに走りに行っていたので、僕も通うようになりました。鈴鹿サーキットに比べると小さなサーキットですが、走るたびに「もっと速くなりたい」「もっと上手くなりたい」という気持ちが強くなっていって。気づけばバイク漬けの日々になっていました。



「楽しい」が全ての始まり、25歳で本格的なレース参戦へ


ー郵便局員として働こうと思ったきっかけを教えていただけますか?

可部谷:高校卒業後、バイクに乗り続けられる仕事がしたくて、日本郵便株式会社の郵便局員として就職しました。配達という仕事は日頃からバイクに親しんでいる自分にとってはごく自然な選択でしたね。当初は、自分がライダーとして鈴鹿8耐に挑戦することになるとは夢にも思っていませんでした。あくまで趣味としてサーキット走行を楽しみたいと思っていたからです。



ー レースを意識し始めたのはいつ頃ですか?

可部谷:働き始めて3年ほど経った、25歳の時です。一度バイクから離れた時期もありましたが、再びサーキットに足を運ぶようになったんです。レースにも参戦するようになり、3年間は、ほとんどのレースで勝てるようになっていました。
そんなとき、愛知県岡崎市のバイク店が運営する『CLUBモトラボEJ』から「600ccのバイクでレースに出場しないか」とお声がけいただきました。そこから本格的なライダー生活が始まりました。


ー600ccのレースへの出場が転機になったのですね。

可部谷:はい、大きなきっかけでした。ただ、新型コロナウイルスの流行と重なってしまい、通常なら年間5戦あるはずのレースが、3戦しか開催されなかったんです。それでも、自分にとっては本格的なレース参戦の1年目だと意気込み、結果的にそのシーズンで好成績をおさめ、年間の「シリーズチャンピオン」を獲得することができました。

翌年には京都市山科区のバイクショップ 山科カワサキが母体の『山科カワサキKEN Racing』に迎えられ、活動の幅はさらに広がりました。山科カワサキKEN Racingは、当時鈴鹿8耐に20年以上出場し続けているチームだったので、憧れていた鈴鹿8耐に近づけたと感じていました。



ーこれまで数々の偉業を成し遂げていますが、可部谷さんの根源は「楽しいかどうか」だとか。

可部谷: そうですね。「楽しい」という気持ちがすべての出発点です。勝敗ももちろん意識していますが、それ以上に「もっと上手くなりたい」「もっと速く走りたい」という思いが常にあるからこその結果だと思っています。楽しさがあるからこそ、誰よりもトレーニングに打ち込むことができたんです。時には思うように結果が出ず悔しい思いを味わいましたが、それでも「バイクに乗り続けたい」という気持ちが努力の源でした。夢中になって積み重ねてきた時間や努力が、振り返れば勝利につながっていたんだと思います。

しかし、鈴鹿8耐に出場し始めてからは、少しずつ「楽しい」から「完走したい」「応援してくれる方々への期待に応えたい」という思いに変わっていきました。


ー8耐出場で「楽しい」から「完走したい」という明確な目標に変わっていったのですね。

可部谷:その通りです。出場するたびに「絶対に完走したい」という強い気持ちが大きくなっていきました。

少し振り返ると、初めての8耐だった2022年は山科カワサキKEN Racingからの出場でした。チームとしては完走を果たせたのですが、僕自身決勝日に新型コロナウイルスに感染してしまい、走ることができなかったんです。レースが終わった後も「自分は走れなかった」という悔しさが強く残りました。

翌年の2023年、自分は走行できたもののチームメイトが途中で転倒してしまって、完走を果たせず。「このままじゃ終われない」「今度こそは必ず完走するんだ」という気持ちが一層強くなったんです。2度の鈴鹿8耐を経験し「3度目は、なんとしても結果を残したい」という確固たる目標ができました。


ー「 3度目こそは絶対に完走したい」という強い覚悟があったのですね。

可部谷:はい、それが2025年8月でした。



耐え抜くのは8時間だけじゃない、2025年の鈴鹿8耐を振り返る


ー改めて、 2025年の8耐を振り返っていかがですか?

可部谷:結果的には今年も完走できなくて、悔しい気持ちは未だにあります。今回の8耐は、これまでで最も準備を重ね、万全の体制で臨んだ大会でした。とはいえ、レースには予測不能がつきもので、予選で転倒するというアクシデントが発生してしまいました。決勝には進めたものの、チーム全体で目標としていた結果は達成できず。この悔しさは、これからのライダー人生において忘れられないほど強く残る記憶だと思います。



ーこれまでの努力と悔しさがひしひしと伝わってきます。鈴鹿サーキットは国内でも最も暑いサーキット場と称されており、灼熱具合は日本最大級だとか。

可部谷:そうですね。今年も大会当日は気温が37度ほどありました。路面温度が65度に達します。怪我のリスクを減らすために、分厚い革製のつなぎを着て走行するので、常にサウナの中にいるような状態です。その暑さのなか、200kg以上あるバイクを操りながら走行する。体力的には、腕立て伏せとスクワットを延々と繰り返しているような負荷に近いと思っていただければ分かりやすいかもしれません。呼吸は荒く、全身の汗が止まらない状態で、それでも集中を切らさず走り続けなければならない。まさに極限の環境で戦うレースです。


ー3度ご出場されたからこそ分かる、8耐の難しさは?

可部谷:一番の難しさは「耐久」レースというところです。鈴鹿8耐は、8時間という長丁場を走り切るために、各ライダーが合計2時間半ほど走行します。これが本当に体に堪えるんです。1回あたり50分弱を計3回走るのですが、この50分がとても過酷です。その証拠に、走り切った後は汗で体重が2キロほど落ちてしまうんです。そのため、自分の走行ターンじゃない間に、その減った体重分を水分やフルーツ、ビタミン、クエン酸など消化のいいものを摂って戻さなければなりません。体重が減った状態のまま次に乗ってしまうと、体力が最後まで持たなかったり、熱中症のリスクが高まって操作が乱れたりしてしまうからです。コンディション調整も含めて、鈴鹿8耐は本当に難しいレースだと感じます。


ー本当に過酷なレースですね。その上で8耐の魅力や面白さを教えてください。

可部谷:8耐は「8時間」の耐久レースと言われますが、実際はもっと長いんです。今年でいうと8月の本番のために、1月から準備を始めていました。約8ヶ月間、ずっと8耐に向けた日々を過ごすんです。8時間も長いですが、その前にある8ヶ月間の準備こそが本当の意味での「耐久」です。


ー本番の8時間以上に「8ヶ月の準備期間こそ耐久」なんですね。その8ヶ月、どのようなチームで準備をするのでしょうか?

可部谷:チームはおよそ20〜30人です。監督をはじめ、3名のライダー、10名のメカニック、事務を支えるスタッフ、決勝当日に食事を提供するケータリング担当、さらにライダーの体をケアするトレーナーなどその分野のプロフェッショナルが集います。

僕は日々のトレーニングを重ねつつ、チームとしてはバイクづくりに多くの時間を費やします。バイクは、細かなセッティングやエンジンの改良を繰り返し、8耐に向けたバイクへと改良させていきます。テスト走行と改善を重ね、決勝に挑めるマシンへと仕上げていくんです。

このメンバーで耐え続けた8ヶ月があるから、ライダーはその思いを、一心に背負って走ります。チーム全員で喜びや悔しさをも分かち合えるんです。「仲間とともにつくり上げる一体感」こそ、鈴鹿8耐の最大の魅力であり、大きなやりがいです。




郵便局員とライダーの両立、全ては応援してくれる方々のため


ー郵便局員とライダー。どのように両立されているのでしょうか?

可部谷: 基本的には「仕事最優先」です。そのうえで、勤務後の限られた時間をトレーニングに充てています。仕事は不定休で連勤になることも多いですが、レース間際はシフトを調整していただくなど、周囲の協力に助けられています。


ー仕事最優先のなか、1日のスケジュールも教えていただけますか?

可部谷: 勤務は8時から、帰宅するのは夕方から19時です。帰宅後は、家族との時間を過ごしています。もちろん家族に負担がかからないように、率先して家事もします。平日ジムへ行く時間はないので、自宅近くの公園で鉄棒を使ったトレーニングをしたり、長島町の堤防をランニングしたりしています。休日は暑さに慣れるために、あえて暑い時間帯に長袖・長ズボンで10キロほどランニングしています。これがめちゃめちゃ堪えるんですよね。

体調が万全でない時には、スポンサーへの活動報告や、チームとの打ち合わせなど、レースに向けた準備に充てることもあります。


ー練習というと、サーキットでバイクを走らせるイメージがありますが、日々の地道なトレーニングが多いんですね。

可部谷: もちろん、バイクで走ることが練習の近道です。しかし毎日サーキットにはいけないので、仕事帰りや自宅周辺でできることを継続しています。その点、配達員として日々バイクに乗っているのは、自分にとって大きな強みですよね。レース用のバイクとは乗り方が異なるものの「毎日バイクに跨る」という習慣そのものが、体の感覚を馴染ませてくれています。日々の積み重ねが何より大切です。


ー配達の仕事でレースに役立ったことはありますか?

可部谷: 郵便局の仕事は配達のイメージが強いかもしれませんが、想像以上にお客様や同僚とのコミュニケーションが多いです。限られた時間の中でお客様と充実した会話をしたり、同僚に引き継ぎの要点を伝えたりする必要があります。これは、8耐においてメンバーとのコミュニケーションにも通づるんです。例えば、レースではメカニックにセッティングの要望を伝える場面があります。その際、曖昧な伝え方では意図が正確に伝わらず、マシンの性能を最大限に引き出せません。配達の経験で培った「相手の立場に立って、分かりやすく伝えるコミュニケーション力」は、こうした状況で非常に役立っています。





ー両立するうえで、一番の支えになっているものは?

可部谷:スポンサーやファンの方々の存在です。今年は個人スポンサーを広く募集したのですが、想像以上に多くの方々が応援してくださいました。職場の同僚がスポンサーになってくれたり、上司がチームのYouTubeに出演してくれたりと、身近な人たちまで巻き込んで応援していただけるのは本当にありがたいことです。さらに、YouTubeやSNSを通じて「頑張れ!」とメッセージをくださる方々の声も、大きな励みになっています。そうした応援に応えるために「もっと走りたい、もっと成果を出したい」と強く感じています。自分一人では続けられない活動を支えてくれる皆さんの思いが、常に原動力になっているんです。



郵便局員としての誇りを胸に


ー今後も二足の草鞋で続けていかれると思いますが、目標を教えてください。

可部谷:僕は「配達」という仕事に誇りを持っています。しかし世の中では「大変そう」「きつい仕事だ」というネガティブなイメージを持たれることも少なくありません。だからこそ、配達員として働きながらレースにも挑戦する姿を通じて「夢を持ち、挑戦し続ける社員がいる」ということを示したいです。そのため、郵便局員として仕事とライダーを両立する姿をファンや多くの方に伝え、その姿が郵便局のイメージアップにつながればと思っています。

また、ライダーとしては、鈴鹿8耐を完走し、できる限り長く現役ライダーとして挑戦を続けたいですね。

応援してくださる方々はライダーとしての自分だけでなく、「郵便局員」としても声をかけてくださいます。その声援に触れるたび「必ず応えたい」という気持ちが湧いてくるんです。これが、僕を走らせ続ける原動力です。




編集後記


今回の取材を通して強く感じたのは、二足の草鞋は決して特別なことではなく、可部谷さんにとっては「ごく自然な生き方」だということです。

郵便局員としての誇りと、レーサーとしての挑戦。どちらも「誰かに応えたい」という思いが根底にあったからになりません。


「地域に根ざす郵便局員」と「世界を舞台に挑むレーサー」という二つの顔が、決して矛盾せず、むしろ支え合っていると感じました。


三重県桑名市から世界へ。
2026年の夏に向けて、長い長い8耐が、もうすでに始まろうとしています。


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取材・構成・執筆/木全彩花 (「たしかなこと」ひとり編集部)


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