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歌がうまいって何でしょうね(おちなし、書き散らし)

私は歌うのは好きなのですが、そこまで上手ではありません。

表現の評価軸の話

上手な歌ってなんでしょうね。
カラオケの採点結果が良い人は悪い人よりもうまく聞こえることが多いと思います。
採点要素は音程が合っているかどうかの比重が大きいように見受けられますが、音程が合っている歌は確かに上手に聞こえます。
一方で、音程がずれていればすべて下手というわけではない。

歌のようないわゆる芸術・表現に属するものというのは多数の評価軸を持っており、それをうまい下手の1bit、あるいは得点の大小に落とし込むのは難しそうです。
また、自分には合わない歌い方だったりすれば評価が下がったり、自分の子供が一所懸命に歌っていれば素晴らしく聞こえたり、人によって評価軸の重みの違いや、そもそも評価軸自体の有無に差があるというのも複雑なところです。

無数のパラメータを一次元に落とし込む話

よく議論されていますが、こういった芸術のようなものを第三者が評価するのは難しいようです。
いえ、評価だけならば「自分がうまいと思った」でいいのですけれども、その評価の正当性、客観性を担保するためには理屈をつけなければならない。
つらそうですね。私は審査員などやったことはないのですが。

芸術的な試行を得点に落とし込む、ということで言うとフィギュアスケートはうまくスポーツとして落とし込んでいると思います。
「メダリスト」でふわっと理解しただけなのですが。

ジャンプ一つをとっても足の着地位置を正確に判定して回転が足りていたか、いなかったか、技についても完成度はどうだったか。
「そんなちょっとの回転不足なんかいいじゃないか。ダンスで感動させられるかが本質だろう。」と思っていた中学時代もありましたが、先述の内容を踏まえれば「正確さに執拗なまでこだわらなければ、本来内包されている多数の評価軸を、現実的な点数に落とし込むのが難しいのだろう」と思っています。
まぁ、私の納得の仕方は何らフィギュアスケートの歴史を踏まえたものではなく、独りよがりなものだというのは念頭においておいてください。
何のソースも一次情報もありません。

一次元に落とし込んでないほうの話

カラオケの採点なんかは、無数のパラメータを頑張って得点に落とし込んだというよりは、「俺はこうやって採点するぜ」といったふうに、明確に決められた点数を、歌う人に押し付けるものである印象を受けます。
声がでかけりゃ得点が高い、なんてのもよく言われたものです。
ただ、採点方式が大きくずれているわけではないので、点数が高い=上手いが成り立ってはいるようには思います。

ただ、歌がうまいと思うかどうかは結局主観的に判断されてしまうもので、またされるのが一番自然だと思います。
何かの理由で並べて評価したいということがない限りは、別にしなくてもいいのかなと思ったりもしますね。

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