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「あはれ」は、どうして「哀れ」になったのか?

以前の記事でも話したが、

私は、「もののあはれ」という概念に惹かれている。

しかし、「あはれ」とは何なのだろうか?

現代人が、「あわれ」という音を聞くと、哀しいイメージが浮かんでくる。

「悲しい」と「哀しい」も一緒の意味のようでちょっと違う。

個人的な感覚だが、

「悲しい」は、主観的で、
「哀しい」は、「私」ではない別の「人物」や「もの」に当てはめる時に使うような気がするし、同時に「同情」的な意味があるような気がする……。


少し話がそれてしまった。

話を「あはれ」に戻そう。


「あはれ」とはもともと、


・しみじみとした趣きがある

・美しい、かわいい、面白い、懐かしい、優しい、悲しい、寂しい、可哀想、切ないといった全ての感情の総称

・ああ!

という意味があったようである。

それがいつしか現代では、「かなしい」という意味に限定されてしまっている。

何故なのか?


恐らくだが、
古代日本人は、「あはれ」という言葉を全ての感情を含めて使っていたが、「かなしい」、「さびしい」、「かわいそう」、「せつない」といった悲哀系の感情に特に震わされていて、「あはれ」の中でも特別な感情として認識していたのだと思う。

そして、中国から漢字が伝わってきた時、「哀」という字を「あはれ」に当てはめた。

「哀」という字に「あはれ」を当てはめた理由は、先ほど述べたとおり、「かなしい」、「さびしい」、「かわいそう」、「せつない」といった感情が、古代日本人にとって、特別な感情だったからだろう。

そして、「哀」という字が時間をかけて「あはれ」の意味を、「かなしい」、「さびしい」、「かわいそう」、「せつない」といった感情を限定するようになり、

現代では、「あわれ」と聞くと悲しい意味と理解するようになったのではないかと思う。


ここで、一つ疑問が出てきた 


同じ大和言葉である「こころ」との違いは何か?

「こころ」も感情全般の意味を持っているはずである。

だけど、「あはれ」というもう一つの感情全般を意味する大和言葉もある。


私は考えた。

そして、一つの仮説にたどり着いた。

「こころ」という言葉は、動いていない感情を表していて、「あはれ」という言葉は、動いている感情を表しているのではないか?と考えた。

「あはれ」という大和言葉の意味をもう一度確認してみよう。

・しみじみとした趣きがある

・美しい、かわいい、面白い、懐かしい、優しい、悲しい、寂しい、可哀想、切ないといった全ての感情の総称

・ああ!


「ああ!」がある……。

これは、感嘆の「ああ!」である。

この「ああ!」が、動いている感情を意味していることを証明している。

つまり、「あはれ」とは、単なる感情名ではない。

何かに触れた瞬間、

心が「ああ……!」と勝手に動いてしまった状態そのものを表しているのではないか?

と考えられる。

そう考えると、

「こころ」 ⇨ 感情そのもの

「あはれ」 ⇨ 感情の揺れ動き

という違いが見えてくる。

やはり、

「こころ」 ⇨ 静的感情
「あはれ」 ⇨ 動的感情

だと言える。

では、「静的感情」とは何か?

という疑問が出てくる。


私は、「こころ」とは、以下のように考えた。

「こころ」 = 「あはれ」 + 「知性」


つまり、「知性」が「あはれ」を繋ぎ止めた状態を「こころ」と古代日本人が意識していたのか、無意識だったのかは分からないが、区別をつけていたのである。


では、何故「知性」が「あはれ」を繋ぎ止めておく必要があるのか?


人間は、本来「あはれ」という、生々しく動き続ける感情を持っている。

しかし、そのままでは感情は暴走してしまう。

そこで「知性」が「あはれ」を繋ぎ止め、制御し、整理する必要があるのである。


子供の頃を思い出してほしい。

おとなしい幼少時代だった人もいるだろう。
しかし一般的に、子供というものは感情剥き出しで行動する。


嬉しければ大声で笑い、
悲しければ泣き、
腹が立てば怒る。


そこには、「社会性」という鎖がまだ弱い状態である。


思春期になると、理性も出ているが、その感情エネルギーも増幅されているように感じる。

女子高生なんかは、「私たち、世界最強だ」と思っているくらいである(笑)


この若者特有の万能感や衝動性は、「あはれ」の強さが、まだ知性によって十分に制御されていない状態とも言えるだろう。


しかし、社会経験を積み、大人の階段を上るにつれて、剥き出しだった感情は、徐々に理性によって覆われていく。


その「理性」こそが、「知性」が「あはれ」を繋ぎ止めている「鎖」なのである。


こうやって、「知性」と「感情」の関係を読み解いていくと、「人間」というのは、よくできたものだなと感心する。

もしかすると、古代日本人は、「もののあはれ」という概念によって、人間の感情構造そのものを直感的に見抜いていたのかもしれない。

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