お城に行ったら、徳川家康と松平容保がやってきた話
こんにちは、Akiです。
今回は、福島県会津若松市に建つ 鶴ヶ城 を観光したら、戦国時代の武将・徳川家康公(以下「殿」)が鶴ヶ城の最後の城主・松平容保公(以下「容保公」)を連れて来られた話をします。
容保公は幕末の頃に名を馳せた新撰組の生みの親で、新政府の強い圧力に最後まで対抗した「徳川幕府の最後の砦」となったかたです。
あの時代に生きた悲しみはなく、怒りも焦りもなく、ひとりの人間として苦しみ抜いて答えを出した重い覚悟と、時代を超えてようやく解き放つような言葉が聞こえてきました。
おとぎ話としてお読みいただいてもうれしいです。
最近、昔から語り継がれている日本の昔話を、我が子たちと一緒に読んでいます。
挿し絵のお城のイラストをみるたびに、お城も、石垣も、お堀もまだ見たことのない我が子たちに、本物を見せたい気持ちが少しずつ湧いてきました。
「本物のお城はもっと大きくてかっこいいんだよ。昔のお殿様のおうちを見に行こう!」
と親バカな計画を立てて、連休に鶴ヶ城へ行ってきたのがきっかけです。
鶴ヶ城は、2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』の舞台で、今年1月から再放送しているそうです。

ドラマは見ていませんが、鶴ヶ城はたくさんの観光客で賑わっていました。
鶴ヶ城のなかは展示物がたくさん並び、それを見る観光客も列をなしていました。
しかし、お城という建物自体を楽しむように、列を飛ばしてどんどん先に進む我が子を追いかけ、パネルすらほとんど見られず、そのまま出口へ…。
そのあとは、石垣とお堀を見ながら、敷地内をぐるりと歩きました。
帰りの車の中では、車窓から外を眺めながらくつろいでいました。
鮮やかな新緑に心が和み、車の揺れが心地よくて、ボーッとしていると、
Akiというやら
われの話を聞いてくれ
早口で、静かに流れるように話す男性の声が脳内に響いてきました。
わしはこの地を治めていた者だ
この地は戦乱に明け暮れていた
どうしても終わらせたかった
ここまで追い詰められては勝ちも負けもない
未来を思うがゆえの判断
仕方あるまい…
我についてくれた者たちに感謝しつくせん
今でもだ
東北の地は広大で穏やかな気候
そびえたつ山々の偉大さ
湧いてくる水の清らかさ
空気の瑞々しさ
燃え上がる火の強さ
そのすべてはこの国のものだ
と思うようにした
われらのものではない
敵国のものでもない
この国に住むすべてのものなのだ
われがこの身になり、何年経とうが
この地を護る!!
神様は
こんなわれに仕事を与えてくれた
猛々しく生い茂る自然を濁してはならん
穢れるものを置いてはならん
これは日本の神々から教わった
わしは生まれ変わりなぞせず
この使命をまっとうする覚悟だ
そなたよ
この国には立派な城がたくさんある
城に住む者たちのほとんどは
われと同じ使命を与えられている
どの地域もだ
城の行方も大事だ
歴史を伝えることも重要だ
先人は後世を護らねばならん
その使命をただただ果たそう
では、また会おう
「城ですか?もしかして…」
われは松平容保
東照大権現様の許可をいただき
まいった次第
では、ごめん
「東照大権現様って、殿ですね」
と言おうとしたとき、小柄で和装姿の容保公のななめ後ろに殿がいるビジョンがみえました。
殿は何もいわず、手を後ろに組んでニコニコしています。
そして、殿はそのままの姿勢でうしろを向き、光り輝く向こう側へゆっくり歩きだすと、容保公は軽く一礼をして、殿のあとをついていきました。
いま現在、歴史研究がどのように進んでいるのかは分かりません。
勢いよく話す容保公の言葉の裏から、重たい雰囲気をずっしりと感じました。
誰かを責めるような怒りも涙もなく、自分の役目を逃げることなく最後まで果たそうとした誠実な責任感からきているのでしょう。
あのとき、容保公は幕府がすでに傾いていたことを知っていたけれど、徳川への忠義を貫いた。
鶴ヶ城で降伏したのは、会津の民を守るための苦渋の判断であったこと。
そこを殿に評価されて、たまたま鶴ヶ城へ行った私に心のうちを伝えてきた、という流れかなと捉えています。
誰にも明かさずに、天国まで持っていったのかもしれませんね。
でも、時代を経て、このnoteであなたの目に触れることができて、天国で容保公と殿は安堵しているに違いありません。
お城は昔のお殿様のおうちですが、その土地の記憶と、そこに住む人々の思いと、経てきた歴史が重なりあった象徴のように思うのは私だけしょうか。
お読みくださり、ありがとうございました。
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