掌編小説 昨日の私へ|拝啓文芸部
今日は最低な一日になるんだって予感があった。
だって起きたときから、昨日の私がいたから。ベッドから這いずり出した私を、昨日の私が見下ろしていたのだ。
「今日も酷い顔してる」
そう言って昨日の私はせせら笑った。
昨日の私は、終始ウザかった。
メイクをしている時も、着替えるときも。
「メイクしても酷い」「だっさい服」「安もんばっかで恥ずかしくない?」
癇に障るようなことをグチグチと言ってくる。
そんなの全部、無視したけど。
家を出る時も、昨日の私はついて来た。
ついてこないで、と睨みつけると昨日の私は口の端だけを上げて、あっそ、と鼻で笑う。
なにその顔。自分の顔でその表情されるとすっげームカつく……いや、こいつに構ってる暇なんかない。一日が始まるんだから。
だけど昨日の私は、通勤中も職場でもぴったりと張りついて邪魔をしてきた。
私のやること全てにいちいち文句をつける。
「本当にそれでいいわけ?」「遅いって。みんなもう出来てるよ?」「確認不足ー」
メールを打っても書類を確認してても、昨日の私がずっとクソみたいな実況を続けてくる。
そのせいで集中できないし、焦れば焦るほどしょーもないミスを連発した。
もう、最悪だ。
イライラは思いっきり顔に出た。
眉間にシワが寄ってるよ、って午前中だけで三回は言われたかも。
挙句には先輩から「話しかけないでオーラ出してんの?」と失笑交じりに言われた。
空気悪くすんなっていうのを、遠回しに釘をさされてるんだってことくらい分かる。
「嫌われちゃったね」
耳元で昨日の私が囁いた。嬉しそうにクスクス笑ってる。
「まあ、あんたなんて居ても居なくても同じだけど」
ほんと、なんなんだよ。
──すみません、全部昨日の私のせいなんです。こいつがずっと私の足引っ張ってるんです……なんて言い訳言えるはずもない。
ため息をつけば、これみよがしに昨日の私もため息をつく。マジで最悪。
帰り道、私のイラつきはピークに達していた。
「余計なことすんなって」「どうせ期待されてない」「愛想笑いしちゃってバカみたい」
頭の中で、昨日の私が言った言葉がぐるぐるまわる。
もう嫌だ、嫌なことだらけ。全部嫌い。誰とも話したくない。
早く帰りたかった。私は道を急いだ。
あの歩道橋を渡れば、住んでるマンションが見えてくる。もう少しだ。
背後では、相変わらず昨日の私がグチグチとうるさい。
「なんでもっとちゃんとできないわけ?」「あんたってさ、なんていうか社会とか生きるのに向いてない」
うるさいうるさい。
お前が一番嫌いだ。もう黙ってよ。
角を曲がったところで、私は昨日の私を振り切るためにダッシュした。こんなやつと一秒でも一緒にいたくない。
歩道橋の上で、腕をガッと掴まれた。
昨日の私だ。追いつかれてしまった。
ものすごい形相、ものすごい力で私の腕を掴んでる。
「痛い、やめて、離してよ」
「あんたが逃げるからでしょ!」
昨日の私は、強く私を掴んで離してくれない。
「離せって」
「なんで」
私たちは歩道橋の上で揉み合いになった。昨日の私は、必死にしがみつきながら喚いた。
「置いてかないでよ……!」
何言ってんだ、過去のくせに。こいつのせいで、今日がどんだけ酷かったか。
足引っ張って批判で攻撃してくる奴なんていらないんだよ。
過去なんだから早く消えろよ……!
ありったけの力で、昨日の私を押した。
あ、と言って昨日の私がバランスを崩す。
次の瞬間私が見たのは、歩道橋から落ちていく昨日の私だった。
昨日の私が、スローモーションみたいにゆっくりと落ちていく。
落ちていく昨日の私と目が合っていた。
「私はただ、あんたに私みたくなって欲しくなかったんだよ……!」
耳の中で声が響いて、それからゴンという鈍い音がした。
おそるおそる歩道橋の下を見てみると、昨日の私が道路に叩きつけられて死んでいた。
目を剥いた顔の半分は潰れ、手足は変な方向に曲がっていた。
血がどんどん染み出している。
昨日の私が道路に倒れているのに、行き交う車は全く気にもとめない。
まるで何事もなかったかのように、昨日の私なんて存在してないみたいに、無視して次々と轢いていく。
車に轢かれるたび、昨日の私は無様にはね上がった。
身体はちぎれ内臓が飛び出てぐちゃぐちゃになった。
私は怖くなって、その場から逃げ出した。
歩道橋を下りマンションまで走った。
走っている間、ずっと頭の中でリフレインしていた。昨日の私が落ちたときの怯えた目、ぐちゃぐちゃになっていく身体。
それから最後のセリフ。
「あんたに私みたくなって欲しくなかったんだよ……!」
走りながら思い出していた。
昨日のこと。
昨日の私は、どんな私だった?
……そう、朝から何もかもうまくいかなかった。
安物のメイクと服。
失敗ばかりで臆病で、いつも人の顔色ばかり見ていた私。
誰にも認められず、見向きもされなかった私。
思い出すのはそんな私ばかりだった。
今日だって同じだ。昨日と何一つ、変わってない。
自分の部屋まで、私は走った。
息が上がって、胸が痛い。
歩道橋でしがみついて喚いた昨日の私の、あの顔。
怒っているようで泣いているようで、必死で惨めで、どこにも行き場のない感情がぐちゃぐちゃに混ざった顔。
あの顔が蘇るたびに胸が痛い。
ズキズキと痛い。
落とされて潰れて轢かれてぐちゃぐちゃになった昨日の私。
あなたは、そうなっていい人間じゃない。
玄関のドアノブに手をかけたとき、私は初めて昨日の私に対して、怒りでも嫌悪でもなく、ただ「ごめん」という気持ちを抱いていた。
ごめん。消えて欲しいなんて願ってしまった。ごめん。私があなたを殺してしまった。
暗い部屋で照明のスイッチをつけると、ソファに誰かが座っていた。
「おかえり」
そう言ったのは、昨日の私だった。
歩道橋から落ちて轢かれてぐちゃぐちゃになった姿のまま、そこにいた。
グロい姿のまま私のソファに座っている。
「生きてたの……?」
「ほんとあんたってバカでどうしようもないね、過去って消せないんだよ。あんたに私は殺せない」
やっぱり昨日の私は毒づいた。
車に轢かれ続けて血まみれで内臓は飛び出てるし、手足は変な方向に曲がっちゃって今にももげそうだし、顔も半分潰れてるし。
だけど私は、気づいたら昨日の私を抱きしめていた。
「よかった……死んでない……また会えた」
「バカじゃないの」
この期に及んでまだ憎まれ口を言う昨日の私。
バカなのはどっちだよ。大バカ者だ昨日の私は。言えば良かったんだよ。昨日すごく悲しかったって。自分の価値なんてこれっぽっちも分からなくて、心が砕け散りそうで怖かったって。
あなたの悲しみも苦しみも全部一つ残らず丸ごと分かってあげられるのは、私しかいないのに。
私は、昨日の私をずっと抱きしめていたかった。無様でみっともなくて性格も最悪で、それでもなんとか昨日を生き抜いた私を。
私の腕の中で、昨日の私はもう何も言わなかった。
ぐちゃぐちゃになった身体をもう一度抱き寄せる。これ以上壊れないよう、ゆっくりと。
昨日の私は半分潰れてしまった顔を、そっと私の肩に乗せた。互いの手が私たちの背中にあった。
最悪な一日がもうすぐ終わろうとしている。
私たちは二人で何も言わず朝になるのを待った。
昨日の私へ。
正直言うと、あなたのことまだあんまり好きになれない。嫌いなとこ、まだまだいっぱいある。でも、もう置いていったりはしない。
(おわり)
こちらの企画に参加させていただきました。
https://note.com/mrq3/n/nb75149ee46ed
