私が最初に手に取るもの
好きなこと。夢中になれるもの。
最近、趣味を探すためにスマホを眺める時間が増えた。けれど、画面を閉じたあとに(結局、私は何がしたいんだろう...)と薄暗い道を歩いてるかのような、そんな感覚に陥る。
もちろん、「好きだからそこに理由なんてない」と言ってしまえば、それで話は終わる。けれど、もし他人の評価や周囲の影響から離れた空間に投げ込まれた時、私は最初に何を手に取るのだろうか。
現代では対面での交流だけでなく、インターネットを通じた情報や人との繋がりが、私たちの生活に深く入り込んでいる。好きなものを見つけやすい時代になったとも言える。
実際、私も趣味を探すためにインターネットを眺めることがよくある。どんなものが自分に合うのか。長く続けられるものは何か。さらに、(どんな趣味が人生を豊かにしてくれるのか...それを始めるメリットは何だろう...)とまで検索する。画面には、aiが導き出した答えがきれいに箇条書きに並んでいる。
しかし、そのようにして見つけたものが、自分の心から望んだものなのか分からなくなる瞬間がある。
スマートフォンを手に取れば、欲しい情報を簡単に得ることができる。TikTokで誰かが紹介していた場所に行ってみたくなったり、Instagramに載っている写真を見て、同じような写真を撮りたくなったりする。誰かの影響を受けずに好きなものを見つけたいと思いながら、私は今日も誰かのおすすめの曲を聴いている。
流行に疲れたと言いながら、流行を完全に無視することもできないのが現代社会だ。
もちろん、それが悪いことだとは思わない。誰かのきっかけで、新しい好きなものに出会える機会が溢れている。実際、このnoteを始めたきっかけも、インターネットによるものだった。けれど、自分の好きが、いつの間にか誰かの好きに支配されたような、心細さも感じる。
(もし、周りに誰もいなかったら。インターネットも使えず、友達との交流もない場所にいたら...)
最近、そんなことを自分に問いかけていた。
友達と映えで話題のカフェに行ったとき、焼きたてのトーストとサイダーが運ばれてくると、味わう前に写真を撮る場所を探していた。配置を整えたり、角度を変えてみる。やっと可愛い映え写真を撮り終えたころには、楽しみの中に疲れが潜んでいた。サイダーをごくりと飲む。口に運んだトーストは冷めていた。
写真や動画に思い出として残せるのは嬉しい。けれど、もしスマートフォンを持たず、何も記録できなかったとしたら、そこに広がる時間はどう彩られていたのだろう。
自然と心が向かうもの。
情報の多さや周囲の流行に左右されない、心の底から好きだと思えるもの。
それは一体、何なのだろう。
まだ、私には分からない。
けれど、自分の好きを疑ってみたことで、これまで何気なく選んでいたものを、少し立ち止まって見つめ直すようになった。
答えは、すぐには見つからないのかもしれない。
それでも、この疑問を持てたこと自体が、自分の好きを知るための、最初の学びなのだと思う。

