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負けると分かっていても、足掻くのか。

管理職として働いていると、
時々、大袈裟なことを考えてしまう。

戦時中の兵士たちは、
劣勢になっていく戦況の中で、
何を思っていたのだろう、と。

『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』という映画を観た。

昨年は広島の原爆ドームを訪れ、
鹿児島の知覧特攻平和会館にも足を運んだ。
自分なりに太平洋戦争について
考えてきたつもりだったが、
映画を観ながら、
その時に感じたものが再び蘇ってきた。

もちろん、私は戦争を知らない。

戦場に立った人の気持ちなど、
想像したところで分かるはずもない。

ましてや、命を懸けた戦争と
仕事を同じものとして語るつもりもない。

それでも仕事をしていると、
ふと考えてしまうことがある。

戦況が日に日に悪くなっていく中で、
兵士たちは何を思っていたのだろう。

「これはもう勝てない」
そう気づいた瞬間はあったのだろうか。
それとも、最後まで勝てると
信じていたのだろうか。

あるいは、勝てないと分かっていて、
それでも自分にできることを
やろうとしたのだろうか。

私には分からない。

だからこそ、考えてしまう。

私は幸運なことに、
戦争のない時代の日本に生きている。
命を奪われることもない。

それでも仕事は、時々しんどい。

管理職をしていると、
「これはさすがに厳しいな」と
思う目標を前にすることがある。

計算してみても厳しい。
現場を見ても厳しい。
気合いや根性でどうにかなる話でもない。

「これ、無理ゲーじゃないか」
そんな言葉が頭をよぎることもある。

では、その時にどうするのか。
私はどうも、諦めることが苦手らしい。
無理なら無理で仕方がない。
頭では分かっている。
それでも最後まで足掻きたくなる。
100を求められて、100に届かない。

だったらゼロでいいとは、どうしても思えない。

何というか、一矢報いたいのである。

誰かに褒めてもらいたいわけでもない。
会社に忠誠を誓っているわけでもない。

ただ、「あの時の自分は、
できるところまでやった」と思いたい。

それは結果ではなく、
自分自身に対する意地なのかもしれない。

そして私は、この
「どうにもならない状況で、
それでも足掻いた経験」は、
10年後、20年後、30年後の自分に
何かを残すのではないかと思っている。

順風満帆だった時のことより、
どうにもならなかった時のことの方が、
後になって覚えている気がする。

ただ、ここで一つ迷う。

最後まで足掻くことは、
本当に正しいのだろうか。

「もう無理だ。しょうがない。こんな時もある」

そう言って手放すことだって、
もしかすると立派な強さなのではないか。

私はフィジーに対して、
勝手にそんなイメージを持っている。

「しょうがないよ。こんな時もあるよね」

そう言って笑って、次へ行く。

もちろん完全に私の勝手なイメージであり、
フィジーの人たちが実際に
どう考えているかは知らない。笑

でも、そんな軽やかさを想像すると、
少し羨ましくなる。

私は、もう少し諦めてもいいのかもしれない。

そう思う自分がいる一方で、
それでも私は、
きっと明日も足掻いてしまう。

最後までやることが正しいからではない。

諦めることが悪いからでもない。

ただ、自分が後から振り返った時に、
「あの時、もう少しできたんじゃないか」と
思いたくないのだと思う。

戦時中を生きた人たちが何を思っていたのか。

私には分からないし、
簡単に分かったようなことを
言ってはいけないと思う。

ただ、その歴史に触れるたびに、
「どうにもならない状況に置かれた時、
自分ならどうするのだろう」と考える。

足掻くのか。

受け入れるのか。

諦めるのか。

それとも、別の道を探すのか。

私はまだ、足掻くことを選んでいる。

それが正しいのかは、今も分からない。

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