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なぜ一人では一人分しか働けないのか―資本主義ゲームチュートリアル⑧

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真夜中に蠢く編集局

(`・ω・´)<新人よ。自分には重大な欠陥があることに気づいた。

(;・∀・)<いまさらですか?

(`・ω・´)<身体が一個しかない。

(;・∀・)<人類共通仕様です!!

労働には身体がある、資本には身体がない

私たちは、一日に24時間しか持っていない。

しかも、その24時間をすべて働くことはできない。

眠らなければならない。食事もしなければならない。休息も必要だ。

どれほど優秀な人間でも、東京の研究所で8時間働きながら、同じ8時間にニューヨークの会社で働き、ドイツの工場で製品を作り、インドでソフトウェアを開発することはできない。

なぜなら、

労働には身体が必要だからだ。


労働には物理的な上限がある

労働によって所得を増やす方法はいくつかある。

長く働く。

能力を高める。

より高い報酬を払ってくれる仕事へ移る。

希少な専門性を身につける。

これらはすべて有効である。

しかし、どれだけ能力を高めても最後まで残る制約がある。

自分は一人しかいない。

時給を上げることはできる。

一時間あたりに生み出す価値を大きくすることもできる。

だが、自分の一時間を二つに分裂させることはできない。

労働所得には、人間という物理的存在に由来する制約がある。

ところが、お金には身体がない

ここで資本が登場する。

たとえば、自分が働いて得た100万円のうち、一部を企業へ投資したとする。

その瞬間、そのお金は自分の身体から離れる。

自分が寝ていても関係ない。

食事をしていてもいい。

別の仕事をしていてもいい。

投じた資本は、自分とは別の場所に存在する企業活動と結びついている。

さらに投資先を分散すれば、資本は複数の企業、複数の産業、複数の国にまたがることができる。

自分の身体は日本に一つしかない。

しかし資本の経済的な持分は、世界各地に配置できる。

(`・ω・´)<つまり自分は一人しかおらんが、自分の金は世界中へ派兵できる。

(;・∀・)<急に軍事用語にするな!!

労働者は「自分」を拡張する

ここで、労働による成長と資本による成長の違いが見えてくる。

労働者として所得を増やそうとすると、基本的には自分自身を強くする必要がある。

知識を増やす。

技術を磨く。

経験を積む。

より難しい仕事をできるようになる。

これは非常に重要だ。

人的資本への投資である。

しかし、その成果を実際に使う主体は基本的に自分である。

だから労働者としての成長は、

「自分という一個体の性能を上げるゲーム」

と見ることができる。

資本家は「自分以外」を使える

一方、資本を持つとゲームのルールが少し変わる。

自分自身の能力だけではなく、

自分以外の価値生成装置へ参加できる。

企業には従業員がいる。

設備がある。

特許がある。

ブランドがある。

販売網がある。

ソフトウェアがある。

組織がある。

そして、それらが組み合わさって価値を生み出している。

株式を所有するということは、その巨大な仕組みの経済的成果に対する持分を持つことである。

自分で半導体を設計する必要はない。

自分で自動車を組み立てる必要もない。

自分で世界中へ商品を配送する必要もない。

それを行う仕組みの一部を所有できる。

ここで初めて、

「自分が働く」ことと「自分の資本が働く」ことが分離する。

これが複利を強力にする

さらに資本には、もう一つ面白い性質がある。

生み出された利益を再び資本へ戻すことができる。

100が利益を生み、その一部が再投資される。

すると次は、増えた資本が新しい利益を生む。

その利益もまた再投資される。

この循環が続けば、価値生成に参加する元手そのものが大きくなっていく。

人間は毎年、身体が二倍になるわけではない。

(`・ω・´)<今年は腕が二本だったので、来年は四本にします。

(;・∀・)<怖い怖い怖い!!

人的能力を毎年一定割合で高め続けることにも限界がある。

しかし資本は、少なくとも原理的には、利益を内部に残し再投資することで自己拡張できる。

もちろん市場には下落もあり、企業利益も一定ではない。

複利は「毎年必ず増える魔法」ではない。

それでも長期的な資本形成において、再投資が極めて強力な仕組みであることは変わらない。

だから労働を否定する話ではない

ここで誤解してはいけない。

「労働には限界がある。だから働くのは無意味だ」

という話ではない。

むしろ初期には逆である。

多くの人にとって、最初に持っている最大の資本は自分自身だ。

知識を身につける。

専門性を高める。

働く。

所得を得る。

そして、その所得の一部を金融資本へ変換する。

つまり、

人的資本が金融資本の種になる。

労働と資本は敵ではない。

労働によって作った余剰を、自分の身体から切り離せる資本へ少しずつ変換していく。

ここに資産形成の重要な意味がある。

自分が働かなくても存在する回路を増やす

資産形成について考えるとき、つい「何円持っているか」ばかりを見てしまう。

しかし、もう一つの見方がある。

自分という身体を経由せずに動く経済回路を、どれだけ持っているか。

給与は、自分が働く回路である。

金融資本は、自分の身体とは別に世界の企業活動へ接続された回路である。

事業を所有すれば、それもまた別の回路になる。

知的財産やコンテンツが繰り返し価値を生むなら、それも身体から部分的に切り離された回路になりうる。

すると資本形成とは、単なる貯金額の増加ではなく、

「自分一人」に集中していた価値生成能力を、自分の外側へ少しずつ展開していくこと

とも考えられる。

一人しかいない。だから資本を持つ

人間の身体は一つしかない。

これは変えられない。

一日は24時間しかない。

これも変えられない。

だからこそ、時間そのものを増やそうとするのではなく、

自分の時間を使わなくても価値生成に参加できる仕組みを持つ。

ここに資本を所有する意味がある。

(`・ω・´)<つまり新人よ。

(;・∀・)<はい。

(`・ω・´)<自分の身体は一個しかない。

(;・∀・)<はい。

(`・ω・´)<だから世界中に資本を配置する。

(;・∀・)<おお、今回は綺麗にまとまりましたね!

(`・ω・´)<そして世界各地からチューチューする。

(;・∀・)<結局ストローじゃねえかぁぁぁぁ!!

労働は、自分の能力を高めることで強くなる。

資本は、自分の外側に価値生成の回路を持つことで強くなる。

どちらか一方を否定する必要はない。

むしろ、

労働で人的資本を育て、人的資本から金融資本を生み、金融資本を世界の価値創造へ接続する。

そうして少しずつ、「自分が働かなければ止まる世界」から離れていく。

資本を持つとは、お金持ちになることだけではない。

自分という一個の身体が持つ物理的限界を、経済システムによって越えていくことなのである。

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