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【読書2】 『アルジャーノンに花束を』を読んで

今回は小説の読書感想です。ちなみに私、本は複数同時に読みます。途中で気分転換をする感じで、ジャンルも様々に。いい読書方法かは分かりませんが、今はNoteに書くをモチベーションに読書続けます。ネタバレ含みますので、ご注意ください。


この本を読み終えて残ったのは「人は何によって幸せを感じるのか」という問いだった。

主人公チャーリーは知的障害を持ち、誰よりも純粋に「賢くなりたい」と願っていた。その願いは脳の手術によって叶えられる。彼と同じ手術を受けた実験用ねずみ、アルジャーノンの存在も重要だ。チャーリーの知能は飛躍的に向上し、いつしか研究者として評価され、これまで理解できなかった世界を理解できるようになる。

だが、待っていたのは成功だけではなかった。知能が上がりすぎることで、周囲との決定的な断絶が生まれる。話が合わない。共感できない。自分だけが急激に上に登ってしまった感覚。

ここに強い孤独を感じた。「賢くなること=幸せ」ではない。むしろ、賢い、理解できるからこそ傷つくこともあるのだと思った。

また、本書で印象に残ったのはチャーリーの幼少期の描写だ。彼が本当に欲しかったのは天才になることではなく、母に愛されることだったのではないか。

障害のある息子を“普通”にしようと必死になる母の姿は厳しくも見える。しかしチャーリーもまた、母の愛を求めて彼なりに最大限の努力をしていた。

やがて母はチャーリーに見切りをつけ、その愛情をチャーリーの妹のみに向けるようになる。妹もチャーリーを厄介な存在としてきつく当たる。それでもチャーリーは、変わらず母も妹も(もちろん唯一の理解者であった父も)大好きだった。そして家族と離れても「楽しかった」「幸せだった」という記憶を胸に健気に生きている。このすれ違いに、胸が強く痛んだ。

物語の後半、アルジャーノンの知能が衰退し始める。そしてチャーリーも自らが元に戻る運命を悟る。

知能が失われる前、チャーリーは家族と再会する。父は彼に気づかない。母は認知症に侵され、和解することも叶わない。妹だけが、未来の可能性を感じさせる存在として現れる。しかし、その希望もまた、知能の喪失という避けがたい運命の前では、あまりに儚い。理解し合える時間は、ごく僅か。

最終的にチャーリーは元に戻る。知識が失われていく過程が、日記の文章崩れによって表現される描写は圧巻だった。言葉の乱れそのものが、喪失を物語っている。

次第に高度な思索はできなくなる。しかし過剰な孤独も同時に消えていく。複雑な苦悩を抱えない世界。それは一つの穏やかさだ。ようやく苦しみから解放され、平穏な日常が戻ったのだ。

知らないことは幸せなのか。
知ることは幸せなのか。

本当の幸せとは何かについて、改めて考えさせられる物語だった。


こちらは前回の読書感想です。


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