古書店
持ち込まれた文庫本は表紙を貼り替えられていた。
厚紙で新たにつけられた表紙は和紙や布で綺麗に覆われている。
それぞれの本のタイトルは背表紙に貼られた白い和紙に筆文字で記されてあった。
「姉の本なんです」
30代後半から40代半ばと思われる男性は、小振りのダンボールに収められたそれをカウンターの上に置いたっきり、こちらが検品するのをじっと見ていた。
「古い本の割には紙の状態とかいいですね」
100冊はない。裏付けで確認すると、ほとんどが1980年代に発行された本だった。
「姉の部屋は本を保存するための部屋でしたから」
男性は言った。
「あのう。タダでもいいんです。引き取っていただけないでしょうか?」
男性の姉は6年前に亡くなったのだという。その部屋は亡くなった後もずっとそのままだったらしい。
「犀川に新しい橋がかかるにあたって、家が工事区域で引っ越すことになったんです」
彼の年老いた両親もようやく踏ん切りがついたようで、娘の持っていた蔵書を大学に寄贈したのだという。
彼の姉というのは北欧文学の研究並びに翻訳をしていたという。
「ひょっとして…」名前を出すと「えぇ。そうです。ご存知とは嬉しい」
しかし、ここにある本はいずれも北欧文学ではない。
3割は翻訳小説で、7割は日本の小説。それも、SFの掌編・短編集が多かった。
今はもう廃版になっている本が何冊もあった。
40年前。自分が中学高校の頃だ。夢中で読んだ。古本屋をしているのもそれらの本に再び会えないだろうか?と思っていたというところもあった。
「これらは手製本扱いで寄贈不可だったんです」
「なるほど…」
「僕が読みたかったのもあるから引き取らせてもらうよ」
改めて本の数を数え始める。
全部で86冊。
「お金はいいです。引き取っていただけるなら」
再び男性は言った。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
実際、翻訳小説の中には自分が読まなさそうな本もいくつかあった。
「おや。懐かしいな」
その中の一冊、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」を手に取った。
「課題だったのかなぁ?中学生の時に読んでちっともわからなかったんだ」
女性の一生を雪になぞっているというけど、女性の一生そのものが男子中学生にはよくわからないものだった。それきり、ポール・ギャリコには手をつけていない。
全くジャンルの違う話も書いていたが、何となく読んでもわからない、そんな気がしていた。
「雪のひとひら」というタイトルに似合わず、その本は日に焼けた白に紅茶か何かをこぼしてしまったかのような模様のあるなんともいえない色の布で包まれていた。
他の本も必ずしも表紙と中身が一致しているとはいえない。
小松左京の短編集は紫色の矢絣の和紙に包まれていたし、光瀬龍のジェブナイル小説は英字新聞がプリントされた布だった。
翻訳本の中でもロアルド・ダールの「飛行士たちの話」は空ではなく、赤と白のチェックの布。
おそらくそこにあったもので特に考えは無しに包んでいたのかもしれない。
だけど何故か「雪のひとひら」にその布を当てたのは理由があるような気がした。
「お姉さんの本は手元には何も残していないのですか?」
男性に訊ねた。
「僕が自分で買った姉の本が残っています。あと、姉が使っていた辞書は僕が引き取りました」
書き込みも多いので…と男性は言った。
両親は最後まで彼の姉、自分たちの娘のことを理解できなかったのだと男性は言った。
結婚もせず、海外にふらりと出掛けるか、家でずっと机に向かっているか。
「碌に人にも会わずに、あの子は何が楽しくて生きているのかわからない。といつも愚痴をこぼしていたました」
実際には出版社の担当とも打ち合わせを重ねたり、研究者同士の会合にも積極的に参加していた。
「そういうのは見えないものなんでしょうかねぇ」
仕事中に心不全で亡くなった娘をひたすら憐れんだのだと男性は言った。
「女らしい幸せも知らずに。とね」
男性は寂しそうに笑った。
「また本が見つかったらお持ちしてよろしいですか?」
「かまいませんよ」
男性は「ありがとうございます」と言って店を出て行った。
ダンボールに本を戻す。
しばらくは店に出すつもりはない。
いや、おそらく自分の書棚のある部屋に置かれるだろう。
最後に残った数冊を箱に入れようとして手が止まる。
紅茶染みのある白い本「雪のひとひら」を手に取った。
今だに自分は女性の一生を見届けたことはない。
そんな僕でも歳を取った分だけ、この本を理解することはできるだろうか?
少し考えて、箱の一番上に本を戻した。
「まぁ、そのうち」
言葉が溢れる。
そのうち…読むこともあるだろう。多分そう言うつもりだったと思いながら、僕はダンボールを手にして店の奥に向かった。
