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僕の人生を変えたのは、一通の「韓国に来ない?」だった。―「夢×旅×人」が、僕の人生の軸になるまで。

僕が初めて海外へ行ったのは、大学生の頃だった。

行き先は韓国

初めての飛行機。
初めての海外。
しかも一人で、一週間。

親には言っていなかった。
パスポートも、こっそり取った。

今思えば、なかなか無茶なことをしたと思う。

飛行機の乗り方すら分からなくて、空港では係の人や職員さんに何度も質問した。

ワクワクより、ドキドキの方が大きかった。
それでも僕は、一人で韓国へ向かった。
今では韓国には10回以上行っている。

僕にとっては「第二の祖国」と言ってもいいくらい、大切な場所だ。

でも、そもそも僕が初めて韓国へ行った理由は、旅行がしたかったからではない。
一人の親友に、会いたかったからだ。
そして、その親友に会うために海外へ行こうと思えた背景には、もう一人の親友との別れがあった。

「一緒にプロになろうな」

少し、昔の話をしたい。

小学生の頃の僕は、決して勉強ができる子どもではなかった。
子役もやっていたので学校を休むこともあったし、残って勉強するのは当たり前。

でも、サッカーだけは夢中だった。

学校が終わると、近所の公園まで走っていく。
そこには、いつも一緒にボールを蹴る親友がいた。

僕たちは、

「一緒にプロになろうな」

と話していた。

そいつは勉強ができた。
サッカーは、当時の僕の方が少し上手かったと思う。

ある日、地元で有名なジュニアユースのセレクションを二人で受けた。

親には内緒。
セレクション代も、自分たちで払った。
後日、家に合否通知が届いた。
受かったのは、僕だけだった。

それでも僕はそのクラブには行かず、中学校の部活動でサッカーを続けることを選んだ。

そして中学校に進学して間もなく、親友は福島へ引っ越していった。
離れてしまったけれど、連絡は取れた。
だから僕も、どこかで思っていたんだと思う。

また会える。

これからもずっと友達でいられる。
それが当たり前だと。

あの頃は、「また明日」が当たり前に来ると思っていた。

サッカーができなくなった

中学2年生の頃。
僕は東京選抜に選ばれた。

今ではJリーグでプレーしたり、日本代表に選ばれたりしている選手たちと一緒にプレーする機会もあった。
サッカー選手になりたかった僕にとって、本当に嬉しい出来事だった。

でも、その選抜の試合で左腕に大怪我を負った。
全治一年以上。
中学2年から卒業まで、まともにサッカーができなくなった。

僕は腐った。
学校へ行かなくなった。
悪い仲間とつるむようになった。
携帯もほとんど見なくなった。

今なら分かる。
怪我をしていても、できることはあった。
勉強だってできた。
サッカーだって、プレーすること以外にできることはあったはずだ。

でも当時の僕には、そんなふうには考えられなかった。

大好きだったものを突然失って、そのまま自分まで投げ出してしまった。

そんな生活をしていた中学2年の終わり。
3月10日。

僕はいつものように学校へ行かず、家にいた。
突然、インターホンが鳴った。

一度ではない。
何度も鳴る。
玄関もドンドンと叩かれた。

扉を開けると、
そこにいたのは、福島へ引っ越したはずの親友だった。

3月10日

僕の変わり果てた姿を見た親友は、怒った。
「こんなお前の姿を見て失望した」
そんなことを言われた。

そして、僕は一方的に殴られた。
ボコボコにされた。

でも、不思議とやり返せなかった。
目の前にいる親友の顔を見たら、動けなかった。

ただ、

「俺、何してんだろ」

と思ったことだけは覚えている。

僕たちは「一緒にプロになろう」と約束していた。

その約束を投げ出して、学校にも行かず、腐っている僕を見て、親友なりに思うことがあったんだと思う。
結局、その日は喧嘩別れになった。

翌日。
2011年3月11日
東日本大震災が発生した。

当たり前だと思っていたもの

久しぶりに携帯を見た。
親友から、たくさんのメールと着信が残っていた。

昨日だけじゃない。
それまで、ずっと連絡をくれていた。

僕はすぐに連絡した。
でも、繋がらなかった。
親友は津波に巻き込まれ、亡くなった。
後から知った。

僕と連絡が取れなかったから、親にも内緒でお小遣いを貯めて、福島から僕に会いに来てくれたらしい。
そして僕たちは、本当の意味で喧嘩別れになってしまった。

しばらく立ち直れなかった。
何度も考えた。

どうして連絡を取らなかったんだろう。
どうして腐ってしまったんだろう。

怪我をしていたとしても、できることはあったじゃないか。
僕がちゃんと連絡を取っていれば、わざわざ東京まで来る必要もなかったかもしれない。

もちろん、今さら答えなんて出ない。
だからこそ、この経験から自分の中に残ったものがある。

当たり前を、当たり前だと思わないこと。

そして、

縁があって出会えた人を、大切にすること。
人は、またいつでも会えるとは限らない。

「今度でいいや」が、本当に次もあるとは限らない。
これは今でも、僕の根っこにある。

九九から、もう一度始めた

すぐに立ち直れたわけではない。

ただ、4月になれば新学期が始まる。
中学3年生になる。

そのタイミングで思った。

もう一度、ちゃんとやろう。

地震について学びたい。
そのためにも勉強して、高校へ行きたい。
そして、もう一度サッカーを本気でやりたい。

勉強は、本当に基礎からやり直した。
「九九」からだ。
それくらいのレベルだった。

そこから勉強して、高校へ進学した。
サッカーも続けた。

高校では、初めて背番号10を背負った。
そして部長も任された。

高校時代、初めて背負った10番。
嬉しさと同時に、「少しはあいつに誇れる自分になれたかな」と思っていた。

10番のユニフォームを着たときは、嬉しかった。
少しは、あいつに誇れる自分になれたかなと思った。

「天で見ててな」
そんなことも思った。

ただ、当時の僕にとって、サッカーは純粋に楽しいものではなかった。
どこかに義務感があった。

「あいつのためにも続けないと」
そう思いながらボールを蹴っていた時期でもあった。

入りたかったサッカー部には、入れなかった

高校では勉強も続けた。
でも、第一志望の大学には届かなかった。
滑り止めで受験していた立正大学へ進学した。

入学後、僕はサッカー部に入ろうとした。
立正大学のサッカー部は強豪だった。
もう一度、本気でサッカーをやりたかった。

でも、強化部ということもあり、基本的には推薦で入学した選手たちの世界だった。
僕は入ることができなかった。

だから、サッカーサークルに入った。
ただ、活動は週に2回ほど。
せっかく大学に入ったんだから、サッカーだけじゃなく、いろんなことをやってみよう。
そう思って、いくつかのサークルに入った。

その一つが、
国際交流サークルだった。

理由は単純だった。
生きた英語を学びたかった。
そして、外国人の友達を作ってみたかった。

当時の僕は知らない。
サッカー部に入れなかったことで選んだその場所が、その後の僕の人生を大きく変えることを。

Twitterから始まった、不思議な友情

最初に仲良くなったのは、中国人の友達だった。
その友達と、当時のTwitterでもやり取りをしていた。

そこへ突然、一人の人が会話に入ってきた。

中国人の友達と仲の良かった、韓国人留学生。
それが、ジュヘさんだった。

Twitterをフォローされ、

「今度遊びましょう」

と連絡をもらった。

本当に、それくらいのきっかけだった。
でも、そこから僕たちは頻繁に会うようになった。

一緒に昼ご飯を食べる。
映画を観に行く。
夜ご飯を食べる。
毎日のように連絡を取る。

気づけば、親友と呼べる存在になっていた。

大学時代の一枚。僕の隣にいるのがジュヘさん。
人との繋がりから始まったこの出会いが、やがて僕の世界を大きく広げてくれた。

ジュヘさんは僕より4歳年上。
それまで僕には、そこまで年齢の離れた友達がほとんどいなかった。
でも、不思議と年齢差を感じなかった。

親友なんだけど、
時にはお姉さんで、
時には先輩だった。

そして何より、一緒にいると、
自分の価値観が毎日のようにアップデートされる感覚があった。

僕が日本語を教えているはずなのに、逆に僕が知らないことをジュヘさんが知っていたりする。

自分にとっての「普通」が、相手にとっての普通ではない。

考え方も違う。
文化も違う。
でも、違うから面白かった。

僕の世界は、少しずつ広がっていった。

「近いから、またすぐ会えるよ」

やがて、ジュヘさんの留学期間が終わる日が来た。
僕は見送るために成田空港へ行った。
人生で初めて行く空港だった。

それまで僕は、ジュヘさんを「外国人」だと意識することがほとんどなかった。

普通に日本語で話して、
普通にご飯を食べて、
普通に遊んでいた。

でも空港の案内に表示された行き先は、

韓国・ソウル。

その文字を見たとき、
「この人は紛れもなく外国人だ」
「本当に外国へ帰るんだ」
と思った。

ものすごく遠くへ行ってしまうような感覚だった。
涙が込み上げてきたのを覚えている。

そんな僕とは対照的に、ジュヘさんは楽観的だった。

「近いから、またすぐ会えるよ。時差もないし」

そう言って、韓国へ帰っていった。

帰国後も、僕たちは毎日のように連絡を取った。

そんなある日、一通のメッセージが届いた。

「韓国に来ない?」

僕は、すぐに行くと決めた。

迷いはなかった。

初めての海外へ、一人で

もちろん、行けない理由ならいくらでもあった。

海外へ行ったことがない。
飛行機に乗ったこともない。
お金だって、余裕があるわけじゃない。

そもそも僕の家は裕福ではなかった。
家族旅行に行った記憶もない。
だから親には言えなかった。

「海外へ一人で行く」
なんて言ったら、否定されるんじゃないかとも思った。

だったら、自分でやろう。
親に内緒でパスポートを取った。
そして一人で、韓国へ行くことにした。

一週間。
人生初の海外旅行だった。

人生初の海外。初めての飛行機。
そして一人旅。
今見ると、よく一人で行ったなと思う(笑)。

成田空港では何をすればいいのか分からない。
飛行機の乗り方すら分からない。

分からないことがあれば、そのたびに係の人に聞いた。

とにかく緊張した。
でも、韓国へ到着した瞬間。

少しずつ緊張よりワクワクが大きくなっていった。

「外に出たら、どんな世界が待ってるんだろう」


そして、ジュヘさんと再会した。
そのとき最初に思ったのは、
「うわ、外国で本当に会っちゃった」
だった。

あれだけ遠いと思っていた親友が、目の前にいる。
なんだか不思議だった。

そして思った。
韓国って、意外と近いんだな。

想像の外に、世界があった

ジュヘさんは学校で忙しい中、時間を作ってくれた。

美味しい韓国料理を食べさせてもらった。
いろいろな場所へ連れて行ってもらった。
韓服も体験させてもらった。

日本で出会った友達と、今度はその人の国で会う。
その不思議な感覚が、僕は好きだった。

初めて見るものばかりだった。

文化が違う。
街が違う。
食べ物が違う。
人の感覚も違う。

たった数時間飛行機に乗っただけなのに、自分がそれまでいた世界とは違う日常が普通に存在している。
それが、すごく面白かった。

帰国するとき、僕の中には一つの感覚が残った。

世界って、広い。

それまでの僕は、自分が知っている世界の中で物事を考えていたんだと思う。

でも、本当はそうじゃなかった。

想像の中で生きるんじゃなくて、想像の外にも世界は無限に広がっている。

そして、その中には、
可能性も無限に広がっている。

Twitterでの、たった一つのやり取り。
「今度遊びましょう」
そこから始まった友情が、僕を海外まで連れていってくれた。

人生って、何がきっかけになるか本当に分からない。

世界が、どんどん近くなった

最初の韓国をきっかけに、僕は海外へ行くようになった。

韓国には、社会人1年目くらいまで毎年2、3回。
気づけば10回以上訪れている。

台湾には3回。
ベトナムには2回。
中国にも行った。

ジュヘさんと一緒に訪れたベトナム。
真ん中は現地の友人。振り返ると、僕の旅にはいつも「人」がいた。

旅先で観光することも楽しかった。
美味しいものを食べることも楽しかった。

でも、僕にとって旅の一番の楽しみは、やっぱり「人」だった。

国際交流サークルで知り合った友人たちに、現地で会う。
日本で出会った人と、その人が生まれ育った国で再会する。
日本では見えなかった、その人のもう一つの日常を見る。

それが面白かった。

そして、その友人たちは今でも大切な友達だ。
日本に来れば、連絡をくれる。
時間が合えば、会う。

国が違っても、住む場所が離れていても、縁は続いている。

海外に住みたくて、エンジニアになった

旅をするようになって、僕には一つの夢ができた。

海外に住んでみたい。
特に韓国には住んでみたかった。

だから、将来の仕事を考えたとき、ITの世界を選んだ。

エンジニアとしてのスキルと語学力があれば、
世界中どこにいても仕事ができるんじゃないか。
そう考えた。

今の僕を知っている人からすれば、
「ITが好きでエンジニアになった」
と思うかもしれない。

もちろん今ではITは僕の仕事であり、大切なキャリアだ。

でも、入口にあったのはもっと単純だった。

世界を見たかった。
知らない場所で生活してみたかった。

そのための手段として、ITエンジニアという仕事に可能性を感じた。

振り返ると、今の仕事ですら、旅と人との出会いから繋がっている。

夢を語る人たち

海外の友人たちと付き合う中で、もう一つ大きく変わったことがある。

「夢」に対する考え方だ。

僕の周りには、大きな夢を普通に口にする人たちがいた。

日本語がほとんど話せないのに、
「日本で就職したい」
と言っていた友人もいた。

最初に聞いたときは、本当にできるのかなと思った。

でも、その人は勉強した。
行動した。
そして、いつしか本当に日本で就職していた。

夢を語るだけではなく、本当に叶えてしまう人たちを僕は見てきた。

僕にとって、それは「本物」だった。

夢って、持っていいんだ。
大きなことを言ったっていい。
今できないからといって、これからもできないとは限らない。

そう思えるようになった。

でも、もし僕に少しの冒険心もなくて、大学で国際交流サークルに入っていなかったら。
海外へ行っていなかったら。

そんな人たちにも、そんな価値観にも出会えていなかったと思う。

「夢×旅×人」

僕は今、
「夢×旅×人」
という言葉を、自分の人生のテーマとして使っている。

別に、格好いいキャッチコピーを作ろうと思って生まれた言葉ではない。
振り返ったとき、自分の人生にずっとあったものが、この三つだった。

人との出会いによって、夢を持つことの大切さを知った。

旅に出たことで、自分の知っている世界がすべてではないと知った。

そしてまた、新しい人と出会った。
その人が、新しい世界を見せてくれた。

その繰り返しだった。

夢があるから、知らない世界へ行ってみたくなる。
旅に出るから、新しい人と出会う。
人と出会うから、また新しい夢や価値観が生まれる。


僕にとって「夢×旅×人」は、それぞれ別のものではない。

全部、繋がっている。

二人の親友が教えてくれたこと

今振り返ると、不思議に思うことがある。

中学生の頃。
福島にいた親友が、連絡の取れなくなった僕に会うため、東京まで来てくれた。

そして数年後。
今度は僕が、韓国にいる親友に会うため、一人で海を渡った。

僕の中では、この二つは確実に繋がっている。

あのとき僕は、

人に会えることは、当たり前じゃない

と知った。

だから今は、縁があって出会った人を大切にしたいと思っている。

もちろん、できていないこともある。

忙しさを理由に連絡を返すのが遅くなることもあるし、会いたいと思いながら会えていない人もいる。

僕自身、まだまだだ。

それでも、
「また今度でいいや」
を当たり前にはしたくない。

人生の中で出会える人の数には限りがある。
その中で、仲良くなれる人はもっと少ない。

国も年齢も関係なく、
何かの偶然で出会って、
一緒に笑って、
自分の人生に影響を与えてくれる。

それって、本当はものすごいことなんじゃないかと思う。

僕の旅は、まだ途中だ

最近は、昔ほど旅ができていない。

仕事がある。
パスポットをはじめ、いろいろな活動もある。
気づけば、自分の予定はいつも埋まっている。

だから今の僕にとって旅は、昔よりも「息抜き」に近いものになっているのかもしれない。

韓国、台湾、ベトナム、中国。
知らない場所へ行くたびに、自分の中の「当たり前」が少しずつ変わっていった。

でも同時に、
人生観を広げてくれるもの
だという感覚は、今も変わっていない。

知らない場所へ行く。
知らない景色を見る。
知らない価値観に触れる。
そして、人と出会う。

そうすると、自分の中の「当たり前」が少し壊れる。
そのたびに、世界が少し広くなる。

今の僕は、まだ何者かになれたわけじゃない。

やりたいこともたくさんある。
うまくいかないこともある。
人間関係に悩むこともある。

自分の選択が正しいのか分からなくなることだってある。

でも、初めて一人で韓国へ向かったあの日も、空港の外に何があるのかなんて分からなかった。

それでも、外へ出てみた。
すると、自分が想像していなかった世界があった。

人生も、きっと同じなんだと思う。

想像の中だけで、自分の可能性を決めたくない。

できない理由なんて、考えればいくらでも出てくる。
だったら、できる方法や突破口を考えてみる。
そして、会いたい人がいるなら会いに行く。
行ってみたい場所があるなら行ってみる。
夢があるなら、口にしてみる。

その一歩の先に何があるのかは、進んでみなければ分からない。

僕の人生を変えたのも、
たった一通の、

「韓国に来ない?」

だった。

あのメッセージに「行く」と答えたことで、僕の世界は大きく広がった。

これから、
どんな景色を見て、
どんな人と出会うのか。
僕の旅は、まだ途中だ。

これから先、どんな場所へ行くのか。
どんな人と出会うのか。
そして、どんな夢を見るのか。

僕自身にも、まだ分からない。

だから面白い。
夢 × 旅 × 人。
僕の旅は、まだ途中だ。

あの頃から、今へ

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

一人で韓国へ行ったあの日から、ずいぶん時間が経ちました。

いろいろな場所へ行って、いろいろな人と出会って。

気づけば今は、ITエンジニアとして働きながら、サッカーやフットサルのチーム・コミュニティを運営しています。

あの頃の僕には、今の自分なんて想像もできなかったと思います。
でも振り返ってみると、やっぱり僕の人生はずっと「人との出会い」に動かされてきました。

韓国へ行ったこともそう。
エンジニアになったこともそう。
パスポットを始めたこともそう。
今こうしてnoteを書いていることだって、きっとそうです。

だからこれからも、出会った人や一緒に過ごした時間を大切にしながら、自分の歩いている道を残していきたいと思っています。

noteでは、そんな僕の過去や考えていることを文章で。

そしてYouTubeの「パスポットチャンネル」では、今の僕たちが実際に活動している姿を映像で発信しています。

この記事を読んで、
「あの後、この人は何をしているんだろう?」
と少しでも思っていただけたら。

今の僕も、覗いてもらえたら嬉しいです。

▶ パスポットチャンネル(YouTube)
https://youtube.com/@passpot_channel?si=0z5v9jXZQgzkMa-a

日々の活動や、ふと思ったことはSNSでも発信しています。

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あの日、一人で韓国へ向かった僕から、今の僕へ。
まだまだ旅の途中です。

またどこかの記事で。

夢 × 旅 × 人

猪狩達也

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