noteをはじめて4年(志賀直哉の「国語問題」について書いてから)
noteに志賀直哉のエッセイ「国語問題」に関する論考を書いてからちょうど4年が経った。
それはnoteをはじめて程なくだから、noteをはじめて4年になるわけだ。
志賀直哉の「国語問題」についての論考
昨年の年始にこの論考について僕はこんなふうに述べた。
これを書いた時、僕は49才という歳を迎えたていた。
僕の周りには50歳の前後の数年、49歳から53歳の間に亡くなった人が多くいる。
その事もあって、人生50年というのは、決して昔の話ではないとう感覚が、僕にはある。
僕もその歳にさしかかり、いつ何時どうなってもおかしくはないという気がして仕方なかった。
この論考の骨子は長年考えて来たものであったが、いま書き残しておかなければという切迫感があった。
だからこれにはどこか遺書のような趣おもむきがある。
今年、僕は53歳になる。
来年には若くして亡くなった諸先輩方の歳をみな越える事になる。
昨年年始の記事
しかし考えたら僕の誕生日は年末の方に近いから、「諸先輩方の歳をみな越える」のは本当は来年なのかな...
若い頃の僕は痩せ型で、スポーツは苦手だが体力には妙な自信があった。そんな僕の本来の寿命の1つは、正岡子規が結核で亡くなった34歳あたりなのかもしれないと思う。
僕はセネガル、マリ、ジンバブエ、ケニア、キューバなどを旅したが、正岡子規も体力に任せてだいぶ無茶な旅をしたと何かで読んだ覚えがある。それで自分と重ねて見てしまうのだ。
僕が結核にならないのは、栄養状態の改善と医学の進歩のおかげなのだろうと。
西アフリカのマリの旅
もちろんそういった改善がなくとも、こういった寿命を乗り越える人はいる。
ただ子規の盟友の夏目漱石が、49歳の時に胃潰瘍で亡くなった事を思うと、本来胃弱な僕の第2の寿命は、その辺なのではないかとも思える。
自分自身が奇妙な夢を見ることもあって、漱石が書いた小説「夢十夜」が、僕には本当に見た夢なのだと思えて仕方なかった。
夏目漱石「夢十夜」
奇妙な夢の記憶
心療内科の医師には、悪夢は精神的なことから来ることもあるが、気質的なことが起因しているこが多いと言われた。漱石の場合もそうなのかもしれない。しかしどちらにしても、奇妙な夢が漱石を蝕み、病状を悪化させ、死期を早めたのだと思えてならない。
僕は今も奇妙な夢をよくみる。しかし前はよくそれによってうなされたが、それほどまでのことはなくなった。
荒れていた胃の表面も、薬のおかげで近年はとても綺麗だ。
軽い呼吸器疾患もあるが、こちらも薬で抑えられている。みな医療の進歩のおかげだ。
noteをはじめたのは、生きているうちに自分の考えたこと、してきた事を残しておこうと思ったからだった。
漱石や子規のような文才はなくとも、とにかく書いおこう、公にしておこうと、そう思ったのだ。
けれどどうも僕は2つの寿命を超えていくようだ。それならばいっそ100歳を超えるまで生きてみたいと思う。生きて、その頃のありさまを見てみたいと、今は思います。
4年経ってnoteのアクセス状況はこのようです。










まだまだありますが、それにしても随分いろいろと多岐に渡って書いてきたものだと、我ながら思う。
そのまとまりのない記事群の中の1つに辿り着き、読み、スキ(いいね)をして下さった方がたくさんいることに驚くとともに、ありがたく思います。
最近さぼっていたけれど、またぼちぼちと書いていこうと思います。
YouTubeはほとんど新しいものは上げていませんが、上位のものはいまだに視聴者数が増えていて、嬉しい限りです。






これらをYouTubeに上げることになった経緯は
こちら↓
ケニアの旅
ではでは。
自己紹介?!
