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テレワークゆり物語 (68)50年前の故郷の風景と再会

幼い頃に過ごした「風景」や「街並み」が、夢に出てくる
そんなことは無いだろうか。私はよくある。
生まれ育った、奈良県生駒市の50年前の風景だ。

私の家族は、生まれてから小学校にあがるまで、祖父母の家の横にあったボロ家で暮らしていた。生駒駅のホームのすぐ近くで、窓からホームの時計が見えるほどの近さだった。

私のじいちゃんは、大阪商人で特許でひと儲けして、生駒に土地をたくさん買った。しかし戦後は事業が苦しくなり、生駒の土地を切り売りする。結果、残ったわずかの土地を子どもたちに分け与えた。

私が小学校に上がる頃に、じいちゃんからもらった土地に、両親が建てた家で、私は高校まで暮らすことになる。

しかし、祖父母の家も、両親の家も、駅に近かったため、駅前の再開発事業の対象となり、思い出の家も、街並みも、すっかりなくなってしまった。
(現在、生駒の両親が住む家は、別の家)

夢に出てくる、昔の生駒の風景や街並みには、もう会えない。
そう思っていた。

しかし、2021年11月1日、生駒市の市政が50周年を迎えるにあたり、開設された「市制50周年記念デジタル写真展のサイトで、その懐かしい風景に再会できたのだ!

生駒市の市制が始まった1971年(昭和46年)。
私は、生駒小学校に通う小学3年生(9歳)の女の子。やんちゃで、わがままで、泣き虫な、一人っ子。だけど学校では、弱気でおとなしく、なかなか友達が作れない、典型的な「内弁慶」だった。

小学生の頃の私。実に生意気そう。

さて、これ以降は、まったく持って個人的な「思い出話」となる。
市制が始まった50年前に生駒に住んでいた人、1962年前後生まれの同級生たちは、一緒に楽しめるかもしれない。
が、その他の方には超ローカルで、興味の無い長文となる。

ここまで読んでいただいた方には、申し訳ないが、
ご自身の『幼い頃の風景や街並み』に心を馳せていただき、久しぶりに、ふるさとの自治体ホームページを訪問していただけたら幸いである。

・・・といいつつ、最後はむりやり「テレワーク」に戻すので、(どう引っ張るかに)ご興味のある方は、このままどうぞ。(笑)

《私が生まれ育った頃の生駒市の風景》

生駒市のホームページで見つけた「1970年代」の写真を、ピックアップしつつ、自分なりにまとめてみた。暇なのではない。
この写真に出会えた喜びを、生駒に住んで80年以上の両親にも見せてあげたい。と思ったからだ。

50年前の生駒駅周辺、田澤由利の思い出マップ

■生駒駅前 南側商店街
当時の生駒は、南側に商店街が広がり栄えていた。母に連れられ、買い物にいくのが、楽しみだった。覚えているのは鶏肉(かしわ)屋さん。生卵を新聞で上手につつんでくれるのを見るのが面白かった。

生駒駅南側の商店街

■生駒小学校
六年間通った小学校。市の人口が増える中、私が六年生の時に新しい東小学校に分裂していった。以下は、東小学校のお別れ会の写真。
私もどこかに、いるはず。笑

生駒東小学校の児童とのお別れ会(1973年)

■旧生駒駅 南側改札
当時の家からは、近鉄電車の線路の反対側にある駅舎。大きな踏切を渡って「向こう側」に行くのは、子どもにとっては大冒険だった。

旧生駒駅 南側改札

■生駒駅の大きな踏切
大阪と奈良を結ぶ近鉄電車が通る「生駒駅」。そばに大きな踏切があった。私の記憶では、昔は電車が通るたびに、人が踏切の左右のバーを上げ下げしていた。右奥の建物は日本最初のケーブルカー「鳥居前駅」。名前の由来になった(今は撤去された)「大鳥居」も写っている。

生駒駅の大踏切

■旧生駒駅 北側改札
生駒駅北側の改札。南に比べるとさびれていたが、奈良にある高校に通うために毎日利用していた。駅を出た所には、ケーキ屋と酒屋と畳屋さんがあった気がする。
 →追記。畳屋さんではなく、瓦屋さんだったことが判明。

旧生駒駅北側改札

■生駒駅の北側の通り
子どもの頃の思い出がいっぱい詰まった通り。「駅前再開発」で、私の夢の中でしか訪問できなくなった。この通りにあるお店で、お菓子も本もおもちゃも服も、たくさん買った。駄菓子屋のおばさんは怖かったけど、毎日通っていた。
通りは今もあるけど、駅前ロータリーから近鉄百貨店、ベルテラス、近商ストアやマンションが建っている。

夢に何度も出てくる通り

■東新町児童公園
市役所と隣接する、子どもの頃の憧れの公園。すごい設備があるとかではなく、家からこの公園に行くには「無人踏切」を渡る必要があり、「行ってはいけない」公園だったから。
北見市で子育てを決意した理由が「公園」だったのは、この経験からかもしれない。

東新町児童公園

■生駒駅の朝の通勤ラッシュ
この頃の生駒は、大阪の「ベッドタウン」として、どんどん人口が増えていった。
近鉄電車の朝のホームはいつもラッシュ。満員電車が当たり前の時代だった。

生駒駅の通勤ラッシュ風景

50年近くの月日が流れ、生駒市は、大きく変わった。

テレワークが普及しはじめた今、もう「ベッドタウン」なんて言わせない。
「満員電車」「通勤ラッシュ」も死語になるだろう。

今は、ふるさとを離れてはいるが、生駒に対する思いはまったく変わっていない。
生駒で暮らす人たちの「働き方」を変えたい。働き方が変われば、毎日が変わる。毎日が変われば、生き方が変わる。生き方が変われば、街も変わる。

50年という月日を振り返りつつ、これからも生駒市にかかわっていきたいと改めて思った。

生駒市市制50周年、心からおめでとうございます。

※冒頭の写真は、私が小学校から高校まで暮らした部屋(今はない)の窓から見える「生駒山」。今は家はないが、ほぼ同じ角度から撮影した。
故郷の「山」はすごい。何十年経っても、育った私たちを見守り続けてくれる。そして、いつも、見上げるだけで、心が落ち着く。




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