とあるバストロンボーン奏者の独白〜第四話 今のウォームアップ
ウォームアップは、たぶん一番変わってきた。
昔は、ウォームアップというと「これから吹ける身体を作るための準備」だと思っていた。
でも、今は少し違う。
最近の自分にとってウォームアップは、吹ける状態を作るというより、余計なことをしない状態に戻っていく時間になっている。
だから、あまり大げさなことはしていない。
まず、フリーバズ。
音程をきっちり合わせようとか、いい音を出そうとか、あまり考えない。
唇が自然に振動するところを探す。
それだけ。
次にマウスピース。
ここでも、何かを「作る」というより、息と唇の振動が自然につながっているかを見る。
そして楽器を持つ。
最初はチューニングB♭。
そこから低い方へ降りていく。
7ポジションあたりまでスライドを動かしながら低いEまで行って、今度は上へ。
高いBまで上がって、またチューニングB♭に戻ってくる。
いわゆる音域チェックのようにも見えるけれど、自分の中では少し違う。
このとき確認しているのは、「この音をどうやって出すか」ではない。
唇の振動。
息。
頭の中で聴いている音。
スライドの位置。
それらがちゃんとつながっているか。
音を出してから修正するというより、先に音を聴いておく。
その音に身体がついてくる。
最近は、そんな感覚の方がしっくりくる。
低い方へ行ったら、次はチューニングB♭からペダルCまで。
ここからは、また別の難しさがある。
特にバストロンボーンの場合、低音は「もっと吹けば出る」というものでもない。
むしろ、出ないからといって息を足したり、口を動かしたり、何かを操作し始めると、余計に遠くなることがある。
F管、Ges管を使う低い音も同じ。
低いFから下のあたりは、今でも簡単ではない。
その日の状態によって、すっと鳴る日もあれば、どうしても響きがまとまらない日もある。
以前なら、そういうときに「出さなきゃ」と思っていた。
でも今は、少し待つ。
無理に押し込まない。
口で音を捕まえようとしない。
とりあえず音を聴く。
そして、もう一度やってみる。
それで出れば出る。
出なければ、その日はそういう日なのかもしれない。
ウォームアップの段階で、全部を解決しようとはしなくなった。
そのあとにリップスラー。
これも、以前よりずっと小さくなった。
mpくらい。
音量を出すことより、音が変わっていく過程を見る。
上がる。
戻る。
また上がる。
その中で、どこか引っかかるところがあれば気づく。
「直す」のはそのあと。
まずは気づく。
最近は、この順番を結構大事にしている。
そして、楽器でのソノリテも少しだけ。
チューニングBから下へ。
ペダルCの方まで降りていく。
特に低いところでは、ppから少しずつクレッシェンドして、そこから半音ずつ下へディミヌエンドしていく。
途中で響きが落ちることもある。
以前だったら、そこで止めて最初からやり直していたかもしれない。
でも今は、できるだけそのまま続ける。
「今の音が悪かったからやり直す」ではなく、その状態のまま次の音へ進む。
息を取り直す必要があれば取り直す。
そしてまた続ける。
そうしていると、ウォームアップの意味が少し変わってくる。
完璧な音を並べることが目的ではなくなる。
多少うまくいかないところがあっても、そのまま音楽を続けられる状態を作っていく。
その方が、実際の演奏には近い気がする。
もちろん、ソノリテそのものをちゃんと練習する日は別にある。
低音を集中的にさらう日もある。
ロングトーンをしっかりやる日もある。
でも、それはウォームアップとは分けるようになった。
ウォームアップで頑張りすぎると、その後の練習ですでに疲れている。
これが一番よくない。
以前は「ウォームアップだから軽く」と思いながら、結局いろいろやっていた。
低音が出れば嬉しい。
高い音が出れば嬉しい。
音量が出れば嬉しい。
リップスラーがきれいなら嬉しい。
そうやって一つずつ確認していくと、ウォームアップだけで結構な仕事量になる。
そして疲れる。
本末転倒である。
だから今は、かなり引き算をしている。
フリーバズ。
マウスピース。
チューニングB♭。
そこから上下。
ペダルC。
必要な低音。
リップスラー。
最後に少しソノリテに取り組む。
その日の状態によって多少変わるけれど、大体そんな感じ。
全部を毎日「完成」させようとはしない。
むしろ、その日の自分がどういう状態なのかを知る。
今日は低音がすぐ鳴る。
今日は上が少し重い。
今日は唇の振動が軽い。
今日はなんとなく息が浅い。
そういうことが分かれば、それだけでも十分だと思う。
ウォームアップで一番怖いのは、ウォームアップそのものが「できる・できない」のテストになってしまうことなのかもしれない。
今日はペダルCが鳴った。
今日は低いFが鳴らなかった。
今日は高いBまで楽だった。
今日はリップスラーが汚かった。
そんな採点を始めると、途端に身体が固くなる。
音を出す前から、もう「成功させよう」としてしまうからだ。
だから最近は、なるべく操作しない。
もちろん、実際にはスライドも動かすし、息も使う。
唇も動く。
でも、「ここをこう操作すれば、この音が出る」ということを考えすぎない。
音を先に聴く。
身体はそのあと。
そのくらいでちょうどいい。
ウォームアップをしていると、ときどき音が勝手に鳴る瞬間がある。
「今のは何をしたんだろう」と思うくらい、何もしていない。
そういうときの方が、音はよく響いている。
逆に、「今の音を出そう」と思った瞬間に、急に重くなることもある。
たぶん、この差は結構大きい。
吹くことをやめるわけではない。
息を使わないわけでもない。
ただ、吹くこと自体を目的にしない。
今の自分にとって、ウォームアップはそのための時間なのだと思う。
音を出す前に、どんな音を聴いているのか。
身体はその音にちゃんとついてきているのか。
余計なことをしていないか。
そして、疲れていないか。
最後の「疲れていないか」は、意外と大事だ。
ウォームアップが終わったとき、
「よし、吹けるようになった!」
というより、
「まあ、吹けそうだな」
くらいがちょうどいい。
そのくらいで、本当の練習を始める。
今は、それが自分にとって一番自然なウォームアップになっている。
