見出し画像

その背中の先にある未来

初めて海外の有名絵画の実物を見たとき教科書の中にあったものが突然目の前に現れたように感じた。

絵の具の重なりも、筆の跡も、画面の大きさも、教科書ではわからない。何百年も前に描かれた一枚の絵を今、自分の目で見ている。

そのことに強く心を動かされた。

それが私と美術館との出会いだった。

展示室を歩きながら作品に刻まれた長い歴史に思いを馳せる。けれど、いつからか私が見るようになったものは展示作品だけではなくなった。

子供の背中だ。

親に連れられて歩く背中。
社会科見学で友達と並ぶ背中。
少し俯いた、いかにも退屈そうな背中。

私は作品を見ながら、ときどきそんな子供たちの背中を追っている。

すると、面白い瞬間に出会うことがある。さっきまで退屈そうにしていた子が、ある作品の前でふっと足を止める。

友達が先へ行っても動かない。
先生に呼ばれても、すぐには振り返らない。

ただ、じっと見ている。

その絵がどれほど有名なのか、
どれほどの価値があるのか、
その子にはまだわからないかもしれない。

それでも、
その背中は確かに語っている。

───なぜだかわからないけれど、これが気になる。

私は、その瞬間が好きだ。

もしかしたら、その一枚の絵をきっかけに絵を描き始めるかもしれない。遺跡に心を奪われ、歴史を学び、いつか新しい発見をする人になるかもしれない。

もちろん、そんな未来になるとは限らない。けれど、今の私たちにもその作品が未来の誰かを動かすかどうかはわからない。

今、美術館にある作品も、最初から「未来に残すべき大切なもの」だったわけではない。

誰かが作り、誰かが大切に思い、誰かが守ってきた。その積み重ねの先に私たちがいる。

そんな私たちが未来のためにできることは、現代の価値観だけで未来を決めることではないのだと思う。

まだ見ぬ誰かが自分だけの「なぜ?」に出会えるように、過去から受け取ったものを残しておくことだ。


展示室でまた一人の子供が足を止める。

何に心を動かされたのか、私にはわからない。その背中の先に何が待っているのかも、私には見えない。

けれど、見えないからこそ残しておきたい。いつかその子が振り返ったとき、そこに何かがあるように。

未来そのものではなく、
未来へ続いていく、小さな入口を。

 台湾の国立故宮博物院にて

いいなと思ったら応援しよう!

teaまるお あなたのチップでteaまるおを育てて下さい。応援よろしくお願いします。

この記事が参加している募集