月の名前、月の歌 第6回 月が消えると「晦」になる ―― 「つごもり」「みそか」という言葉の由来
月には、たくさんの名前がある。
朔。
繊月。
三日月。
十三夜。
十五夜。
十六夜。
立待月。
居待月。
寝待月。
更待月。
そして、月の一周期の最後にやってくるのが、
晦(つごもり)。
月が満ち、欠けていき、最後には見えなくなる。
その「見えなくなる」という現象が、そのまま日本語になった。
「つごもり」は「月隠り」だった
「つごもり」という言葉を聞いても、現代の私たちは「月」を意識しない。
「月末」という意味で使う言葉だからだ。
けれど、「つごもり」は、もともと**「月隠り(つきごもり)」**に由来するとされる。
月が隠れる。
月がこもる。
月の光が見えなくなる。
そこから、
つきごもり → つごもり
という音の変化を経て、現在の「つごもり」になったと説明される。古い辞書・用例にも「月隠り」が月末を表す語として確認できる。(コトバンク)
つまり「つごもり」という言葉の中には、
月が見えなくなる夜
という古い風景が残っている。
月は「消えた」のではなく、「隠れた」
ここが、日本語の面白いところでもある。
月は、本当は消えていない。
太陽との位置関係によって、地上から見えなくなっているだけだ。
しかし、昔の人にとっては、夜空から月が姿を消す。
だから、
「月が隠れる」。
「月がこもる」。
そう捉えた。
天文学的な現象を、そのまま数式で説明するのではなく、
月が身を隠すという物語
にしたのである。
月は、また現れる。
だから「消滅」ではない。
「隠れる」。
この感覚が、「つごもり」という言葉の中に残っている。
一か月の最後の日が「つごもり」
やがて「つごもり」は、月の最後の日、つまり月末を意味するようになった。
古い日本語では、月の末日だけでなく、月の下旬、月の終わりごろを指す場合もあった。
つまり、
月が隠れていくころ
から、
月が終わるころ
へ。
言葉の意味が少しずつ広がっていったのである。(コトバンク)
そして現在でも、
「今月のつごもり」
などと言えば、「月の終わり」を意味する。
普段はあまり使わない言葉になったけれど、文学や古典の中では今も生きている。
もう一つの言葉、「みそか」
月末を表す言葉には、もう一つよく知られたものがある。
「みそか」
である。
「晦日」と書く。
こちらは「つごもり」とは語源が違う。
「みそか」は、
「三十日(みそか)」
から来た言葉である。
「みそ」は三十、
「か」は日を表す「日(か)」。
つまり、もともとは、
三十日目の日
という意味だった。
そこから、月の最後の日を意味するようになった。(コトバンク)
「つごもり」と「みそか」は、違う道を歩いてきた
ここが実に面白い。
「つごもり」は、
月が隠れること。
「みそか」は、
三十日目。
出発点が違う。
一方は月の姿から生まれた言葉。
もう一方は日数から生まれた言葉。
ところが、長い時間の中で二つは同じ場所にたどり着いた。
月の最後の日。
つまり日本語の中で、
「月が隠れる」
という自然の見方と、
「三十日目」
という暦の数え方が、一つの意味に重なったのである。
「晦」という漢字も面白い
「つごもり」「みそか」に使われる漢字が、
「晦」
である。
この字には、「暗い」「月が出ない」といった意味がある。
「晦朔(かいさく)」という言葉では、「晦」が月末、「朔」が月初を表す。
つまり、
晦 → 月の終わり
朔 → 月の始まり
という対になっている。
第2回で見た「朔」。
そして今回の「晦」。
一つの月の始まりと終わりが、一組の言葉になっている。
月は、
朔から始まり、晦に至る。
そして、また朔へ戻る。
「ついたち」と「つごもり」
ここで、第2回の「ついたち」を思い出してみたい。
「ついたち」は「月立ち」。
月が立つ。
新しい月が始まる。
一方、
「つごもり」は「月隠り」。
月が隠れる。
月が終わる。
つまり、
月立ち → ついたち
から始まって、
月隠り → つごもり
で終わる。
なんとも美しい対になっている。
月が立つ。
月が満ちる。
月が欠ける。
そして、月が隠れる。
その繰り返しを、日本語は言葉にしてきた。
月の一生を、日本語でたどってみる
ここで、このシリーズ前半の月の名前を並べてみよう。
朔。
月の始まり。
↓
月立ち・ついたち。
新しい月が始まる。
↓
繊月・眉月・二日月・三日月。
細い月が姿を現す。
↓
上弦。
月はさらに満ちていく。
↓
十三夜。
満月の少し前。
↓
待宵月。
十五夜を待つ。
↓
十五夜。
満月。
↓
十六夜。
月は少しためらう。
↓
立待月。
立って待つ。
↓
居待月。
座って待つ。
↓
寝待月。
寝て待つ。
↓
更待月。
夜が更けるまで待つ。
↓
そして、
晦。
月が隠れる。
一つの月が終わる。
そしてまた、
朔。
新しい月が始まる。
月には「終わり」がなかった
こうして見ると、月の名前は一冊の物語のようでもある。
生まれる。
育つ。
満ちる。
最も輝く。
少しずつ欠ける。
人に待たれる。
そして隠れる。
けれど、「隠れる」は「終わる」とは違う。
月はまた現れる。
だから「晦」は、完全な終わりではない。
次の月が始まるための終わり。
日本人は、月の消える夜を見ながら、そんな循環を感じていたのかもしれない。
「大晦日」も月の言葉だった
そして、私たちが一年の最後の日に使う、
大晦日(おおみそか)。
これも「みそか」という言葉からできている。
「みそか」が月の最後の日なら、
「大みそか」は一年の最後の日。
つまり、一年の終わりを表す言葉の中にも、かつての「月の暦」が残っている。
「大晦日」と聞けば、私たちは除夜の鐘や年越し蕎麦を思い浮かべる。
けれど、その言葉の奥には、
月の終わりを表した「みそか」
がある。
毎年の最後の日を、私たちは今も「晦」と呼んでいるのである。
「晦日払い」という暮らしの言葉
江戸時代以降、「晦日」は人々の暮らしにも深く入り込んだ。
月末に支払いをする。
商売の勘定を締める。
給金を受け取る。
借金を清算する。
だから、
晦日払い
という言葉も生まれた。
月の終わりは、時間の終わりであると同時に、
一か月分の暮らしを締めくくる日
でもあった。
月が隠れる。
そして、人間もまた、その月の仕事や暮らしをいったん閉じる。
月の満ち欠けと、人間の生活が重なっていたのである。
月を表す言葉は、時間を表す言葉でもあった
ここまで六回にわたって月を追ってきた。
最初は、
「月にはこんなにたくさんの名前があるのか」
という驚きだった。
けれど、名前を一つずつ見ていくと、それ以上のものが見えてくる。
「ついたち」は、月が立つ。
「三日月」は、月齢と形を一つにする。
「十六夜」は、月の出の遅れを「ためらい」にする。
「立待・居待・寝待・更待」は、時間を人間の身体で表す。
「十三夜」は、秋の実りと結びつく。
「二十三夜・二十六夜」は、人々が月を待つ場になる。
そして、
「つごもり」は、月が隠れる。
月は、単なる天体ではなかった。
日本人の時間そのものだった。
月が消えても、言葉は残った
現代では、月がいつ昇るかも、いつ沈むかも、スマートフォンですぐにわかる。
月齢も正確に表示される。
「今日は月齢○○です」と数字で知ることができる。
けれど、私たちは今も、
「ついたち」
と言い、
「みそか」
と言い、
「大晦日」
と言う。
月を見ることが少なくなっても、
月から生まれた言葉は消えていない。
月が空から隠れても、
その月を見ていた人々の言葉は残った。
月は、言葉の中で今も満ち欠けしている
考えてみれば、不思議である。
私たちは今、昔ほど月を見ない。
けれど、
「ついたち」
と言えば、月の始まりがある。
「つごもり」
と言えば、月の終わりがある。
「みそか」
と言えば、一か月の締めくくりがある。
つまり、私たちは月を意識しなくても、
月の時間の中で生きている。
月は空から消えたのではない。
私たちの言葉の中に移ったのである。
六回の旅を振り返る
第1回では、月には月齢ごとに名前があることを見た。
第2回では、「ついたち」の中に「月立ち」が隠れていることを見た。
第3回では、月の出が遅くなるにつれて、
立つ → 座る → 寝る
と、人間の身体が言葉になっていくことを見た。
第4回では、「待つ」という時間そのものに目を向けた。
第5回では、十三夜や二十三夜、二十六夜を通して、月が人々の暮らしや信仰、江戸の娯楽にまで入り込んでいたことを見た。
そして第6回。
月は最後に隠れる。
月隠り。
それが、
つごもり。
そして、
晦。
月が一度、姿を消す。
けれど、また朔がやってくる。
月は、終わらない。
月は消えても、物語は終わらない
ここで、第一部をいったん閉じたい。
月の名前を追いかけてきたけれど、実は私たちが見ていたのは、月そのものだけではなかった。
そこには、
日本人の時間の感じ方があった。
待つこと。
満ちること。
欠けること。
終わること。
そして、また始まること。
月は何も語らない。
ただ、満ちて、欠けて、隠れ、また現れる。
それなのに人間は、その姿に名前を与えた。
そして、その名前に物語を与えた。
朔。
月が始まる。
十五夜。
月が満ちる。
十六夜。
月がためらう。
更待月。
人は夜更けまで待つ。
晦。
月が隠れる。
そしてまた、
朔。
新しい月が始まる。
月は、昔も今も同じ月である。
変わったのは、月ではない。
月を見つめてきた人間の心である。
そして、その心が残したものが、
日本語だった。
ここから先は、月が言葉だけでなく、文学の中でどのような物語を生んだのかをたどってみたい。
月は、題名になり、歌になり、恋の相手になり、別れの象徴になり、時には異界への扉にもなった。
月は、空から消えても、
物語の中からは消えなかったのである。
