19歳女子キリマンジャロ登山記
優しさに出会い、弱さを受け入れた10代最後の挑戦
ムウェカゲートにて、みんなよりも随分遅れてレスキュー車に揺られて到着した私を、みんなが優しくハグしてくれた。吐き気と苦しさ、悔しさに、19歳ながらに大泣きする私を、「なんて強い女の子」「よくやったよ」「頑張ったね」と抱きしめてくれた。2025年10月5日、まるで永遠かのように思えた私のキリマンジャロ登山が幕を閉じた。
標高4000mを超えた頃、いきなり荷物を持って立つことができなくなった。3時間歩いても4時間歩いても変わらぬ景観の山道は、私をひどく小さくさせた。一歩一歩、強力な眠気に襲われながら、なんとか足を動かし続けた。朝6時に出発したはずなのに、気が付けば夕暮れ時が迫っている。ヘッドライトを装着し、岩道や小川を渡る。焦りから制御できぬ涙が頬をつたった。19時47分。すでに真っ暗なキャンプに着いたとき、私は初めて声をあげて泣いた。
夕食のためのテントにはすでにみんなが到着していて、私のためにご飯をよそってくれた。どんなに寒くても、どんなに暗くても、みんなが集まるテントの中は暖かくて大好きだった。
その夜、キリマンジャロは悠々と聳え立ち、星々はひりつくほど輝いていた。その贅沢な景色に見惚れ、堪能する余裕がなかったことを覚えている。
一歩一歩歩くたびに自分の弱さを思い知った。体力を付けなければならないのに食欲が湧かず、朝はオレンジ一切れしか食べられなかった。たった数メートル離れたトイレに行く途中に倒れて、自力で立てなくなった。初めて吐いた時は、驚きで涙が出た。寝袋を広げるだけで息を切らした。標高が上がるたびに、自分が弱くなっているようで怖かった。
毎晩テントでは、セバスチャンが寝るまでの間、私を励ましてくれた。なぜかセバスチャンのイビキですらも、私を安心させてくれた。
3日目、果てしなく続く山道を前に、足取りは鉛のように重かった。出発から10時間を超えたとき、まだまだ終わりの見えない道に、どうしようもない子供のように泣いた。今夜のキャンプも間近、私の体力を案じてポーターがレスキューに来てくれた。2人に運ばれながら、すでに黄昏時になっていたことに気がつく。雲は遥か下に、黄金と真紅のはざまの色がキリマンジャロと私たち、全てを照らしていた。今まで一歩一歩踏み出すこと、息を整えることに必死で気が付かなかった。ああ、私はこんなにも美しい場所にいたのだ。
その日の夜も、何も口にすることはできず、私はサミットを諦めた。
9人一緒に挑んだ3泊4日のマチャメルート。私以外は7summitに挑戦しているほど登山慣れしていて、特にグローリア、ジョー、セバスチャンは、まるで家族のように暖かく、いつでも私の心の支えだった。
下山後、出発してから4日しか経っていないことに驚いた。無限に、ただただ果てしなかったあの日々が、遥か遠くのように思える。みんなと一時的に別れ、ひと足先にザンジバルのビーチで、子鹿のように歩き、階段に苦戦させられた筋肉痛が和らぐのすら、私を寂しくさせた。
優しさに出会い、弱さを受け入れた、今となっては思い出となってしまった愛おしい日々。あの時の笑い声や、夕暮れの光までも、胸が痛くなるほど鮮やかだ。
やっぱり、私はみんなとアフリカの頂上に立ちたかったのだ。

ツアー会社・値段
簡潔に書くと、マチャメコース3泊4日でマタタツアーズに1100$(チップ込み)を支払いました。
※マラングコース4泊5日という話のもと、話を進めレシートにもそのように書いてあったのですが、なぜかマチャメコース3泊4日に変更されていました。下山後、友達の協力もあり、200$返金してもらいました。

ご挨拶
こんにちは!戸田智咲です。本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。久しぶりの投稿となりましたが、現在は10代最後の挑戦として半年間のアフリカ大陸縦断をしているところです。近々アフリカでの生活に関する記事も投稿する予定です。この記事が良かったらスキとフォローしてもらえると励みになります!

