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併走する詩について



作品レビューを書く意味ある?


今の時代、作品について文章を書くことは、どんな意味があるというのでしょうか?
社会的な状況を考えると、ほとんど意味ややりがいがないと判断せざるを得ません。

まず、大した収入にならない。
文章を書くことはどうしても時間がかかるのに、今の社会ではかける時間に対して支払いの収入が少ない。

それに今は、動画や音声が個人で簡単に作って届けられる時代になりました。
YouTubeやPodcastは人に広く届きやすい。書くより話す方が楽だし時間もかからない。
しかも、声や表情がついてたほうがニュアンスも伝わりやすい。
私もYouTubeを始めたことで、その違いを痛感しました。

個人的な感覚としても、音楽や映画やマンガなどを語るコンテンツなら、音声や動画の方が文章より面白い。
程よい情報整理と大げさな形容で塗りたくられたありがちな音楽レビューを読むなら、『EIGHT JAM』を見ていた方が遙かに楽しいし参考になります。
情報を得るだけならすでにネットに転がってるいし、面白さを追求するなら動画や音声をやればいい。
東浩紀さんも、動画・音声優位の時代に文章を書くことの虚しさを、「書くことと壁」という随筆で書いていました。

じゃあ、お金にならない、手間と時間はかかる、その割には面白くならない作品のレビューに何の意味があるのか?

私は、作品レビューや評論が「詩」になるほかないと思っています。

筆者プロフィール:伏見瞬
批評家・音楽系YouTuber。東京生まれ。音楽・映画・文学など、表現文化全般に関する執筆を様々なメディアでおこなう。2017~18年「第三期ゲンロン批評再生塾」で東浩紀審査賞を受賞。2018年から旅行誌を擬態する批評誌『LOCUST』編集長。2022年からトークイベント「歌舞伎町のフランクフルト学派」を批評家・西村紗知とともに主宰。2025年に16年勤めた会社を辞め、専業作家に。
著書に『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(2021年、イースト・プレス)。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年8月時点でチャンネル登録者数約6万人)

併走する詩

ここでいう「詩」とは、「今ここに存在しないものへのあこがれ」に基づくものと考えて下さい。萩原朔太郎が『詩の原理』でそのように語っています。表現の分野だけでなく、世界の真理に近づこうとする科学者の情熱も、詩的なものと彼はいう。そうしたあこがれを言葉で表した作品の形が、ここでいう「詩」です。

今の状況の中では、作品を外側から眺めるレビューには、商品としての価値も創作物としての価値もありません。
「音楽批評には批判がなくなったから面白くなくなった」という議論がありますが、批判があるかないかは関係ない。外側から眺めているだけだと感じさせる文章ばかりだから面白くないのです。
外側から眺めて書いた文章を「批評」と呼ぶなら、私の文章は批評でなくていいと思います。


作品は走っています。作品を体験するときに、私たちの感性は目まぐるしく疾走しています。
その疾走と同じスピードで伴走するレビューだけが面白い。

作品と私の間で巻き起こる疾走を文章に再現する。そこには必ず無理が生じます。音楽を聴いたときに生まれる直観、映画を観たときに沸き起こる感覚を、そのまま言葉に落とし込むことは不可能です。
その不可能にどうにか接近しようとする「詩」の言葉だけが、作品レビューに必要なものです。
レビューは、作品と同じ速度で併走する詩です。

体験・調査・分解・模倣


作品と併走するためには、単に感想を書けばいいわけじゃない。
作品体験の性質を分解して、文章体験に置きかえること。文章を読む体験を、作品の体験と似せること。
そのためには、作品を形成する要素を分解したり、作品のバックグラウンドを調べたり、自らの感覚をより細かく分析したりと、様々な工夫や苦労が必要になります。
時代背景や類似する作品との関係についても、時には知らなくてはいけない。他の作品や社会との関係が作品体験にとって重要なことも、多いにあり得るからです。

分解した情報を無造作に並べていくだけでは併走できない。
分解したパーツを、文章の中で再構築する作業が更に必要になります。
作品が持つ細部やリズムやストーリーを、文章の構造のなかで模倣しなくてはいけない。
体験する。調査する。分解する。模倣する。
そのような面倒な作業をすべて行うことで、ようやくレビューは疾走を始めます。

喩えるなら、マラソンをテレビや街頭から眺めているだけでは仕事になりません。
ランナーと一緒に走ろうとすることではじめて、仕事になるのです。

そのために、日々鍛えることが必要です。
体系的な知識を得たり、作品と触れる機会を増やしたり、ふさわしい文章の書き方を考えて実践したりすることの、積み重ねが必要です。
そして、積み重ねた知識を、よりよく走る運動に変えなければいけない。

こうした仕事が、非常に困難なものであることは容易に想像がつくと思います。
併走するには知識も訓練も、忍耐も必要です。困難だからこそ素晴らしいし、やりがいがあります。
併走をサボっている文章ばかりだから、批評や評論は舐められるのです。


マラソンランナーに「何故?」と問うな

私は、併走する詩が書きたい。その価値を多くの人に知ってほしい。価値を知ってもらうことで、もっと収入を得たい。

でも、そこまでして何になるのか?
苦労して併走する詩を書くことが、一体何の役に立つのか?

そう問いたい人もいるかもしれません。
しかし、私はそうした問い自体が罠だと思っています。

マラソンランナーや野球選手に、何故大変なのに競技を続けるのかと問うことと一緒です。
走ることや球を打ち返すことに魅せられたから。
それだけで理由は十分です。

作品について文章を書くことに魅せられた。魅せられたからにはやるしかない。
やるからには、多くの人に読んでもらいたい。
ただそれだけの気持ちなのです。

役立てるとか社会のためとか、そんな不純なものはいらない。書くことも読むことも、面白くて気持ちいい。

それだけをただ伝えたくて、私は今日も併走を始めます。
作品よりも速く走ることを夢見て、私は今日も文章を書きます。


併走するための環境づくり

では、そのような「併走する詩」を書くためにはどうしたらいいか。
書くための技術も必要ですが、その前に書き続けるための環境を持たなきゃいけない。
周囲の環境が用意されなければ、書くこともままならない。お金や時間も必要です。

これは、音楽にしろ美術にしろ映画にしろ、あらゆる作品作りが抱えている問題と一緒です。作るための環境を整えなきゃいけない。
というか、すべての「やりたいこと」をやり続けるための方法を、最初に考えなくてはいけない。
まず、どうすればいいのか。どういう環境を作ればいいのか。

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